どこにでも一人で飛ぶこの心制御する人解放される

ダンマパダ 37


遠くに飛び、一人で動く
身体はないが、身体にいる
心を制御する人々は
悪魔の支配から自由になるだろう



○この詩から学ぶこと

 今日は先ず、昨日の問題の回答を書かなければならないでしょう。昨日の問題(心は五感では知れないのに)「私たちはなぜ心の存在を知っているのでしょうか?」

 コメントに書かれた皆さんの答えはほぼ正解です。なぜならば、心を知るものはそのようなものだからです。一言で答えた人はその言葉の本当の意味を知らないおそれがあります。

 相応部経典に「一切」というお経があります。(南伝大蔵経15巻25,26ページ)この中で、釈尊は「何をか一切となす。眼と色なり。耳と声なり。鼻と香なり。舌と味なり。身と触なり。意と法なり。これを名づけて一切となす。」 これ以外に何かあると思う人は混乱すると述べています。そのようなものはないからです。ここから判断すると心は法に含まれます。法を知るものは意なのです。意とは心の感覚器官です。アビダルマ的には意門と言います。意は心と言ってもいいのです。この言葉で答えなかった人は悲観しないでください、心を知るものを言葉で知る人よりよく分かっているかもしれませんから。

 瞑想をするのは、言葉ではなく実感を把握するためです。たとえば、座る瞑想で、お腹の膨らみ、縮みを実況中継をしていると、頭にかゆみが現れる、かゆみ、かゆみと実況中継していると、外で音が聞こえました。音、音と実況中継します。この時は身の感覚、耳の感覚があり、五感が働いています。また、お腹の膨らみ縮みに戻ります。だんだんお腹の動きに集中していくと、お腹の動きとそれを知っているだけになることがあります。それを知っているのは心なのです。心の本質は知る機能ですが、心の感じる機能を「意」といいます。

 心の感覚(意)は身体の感覚(五感)に妨害されて、なかなか自覚されないのです。しかも、瞑想で心を落ち着かせても、五感の刺激があると、心は思考、妄想を初めます。そのため心を感じるということが難しいのです。実況中継で思考、妄想が起きないようにして、心(意)が心を感じられるようにするのです。そうすると心の無常、苦、無我が発見できる筈です。

 このような瞑想実践を通じて、今回の詩の心が「遠くに飛び、一人で動く 身体はないが、身体にいる」ことが分かると思います。「身体はないが」は心は身体を持たないと言うことです。「身体にいる」はその心が身体の中にいるという意味です。また、心を感じ、心を知ると、心を制御できるのです。悪魔の支配とは、五感よって起きる欲望の支配なのです。この支配を克服できれば、煩悩を克服できるのです。煩悩を克服することは解脱、涅槃への道なのです。

 最後になりましたが、昨日提起した問題に対して多くの方がまじめのお答え頂きましてありがとうございます。今回の私の回答に納得できない方は、またコメントして下さい。お答えできるものはお答えいたします。


○どこにでも一人で飛ぶこの心制御する人解放される

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年01月23日 06:50
ワンギーサさん、おはようございます。昨日の正解有難うございました。誤解を防ぐためにも理解の確認ということも大切かと思います。心の感覚とは五感を超えて認識するようなことなのですか?意識であるとか。昨日の回答では私は瞑想を引き合いに出しました。気になるのが本のことです。妄想はほとんどありませんでした。眠気や不安などが無いことが実感出来てるという意味です。活字を追わなくても内容が分かる感じでした。ページをめくっただけで分かるような。そして理解力もより正解です。通常は目で活字を追って、「うん、待てよ」などと内容や理屈などを理解しながら読むので時間がかかります。もしこれが「心で感じる」ことだとすると、心で感じられることは「かなり凄い」常識の認識レベルを超えていると思えます。事実誤認ならご指摘お願いいたします。有難うございました。
ワンギーサ
2009年01月23日 07:02
新さん、おはようございます。妄想がなければ心は無限大と言ってもいいほどの力があると言われています。慈悲喜捨と智慧は無量心なのです。
2009年01月23日 07:35
ワンギーサさん、ご指導有難うございます。妄想撲滅を目指していきたいと思います。有難うございました。
2009年01月23日 08:05
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
 困っている人がいます。
 「どうしますか。」と、聞きます。
 慈悲喜捨に、なっていますか。
線香花火
2009年01月23日 10:06
ワンギーサさん、みなさん、こんにちは。
回答は、意なのですね。
勉強をしているつもりでも、きっと自分で思っているより妄想が多く頭に入っていないのだなと感じました。
どうしても理想を追い求めてしまい、自身の見たくもない煩悩を正しく見ることは至難の技です。いつかありのままの自分をも超えていけるように根気よく、妄想をしっかり確認していこうと本日の解説を拝読させて頂き、あらためて思いました。
ご指導をありがとうございました。
あっきん
2009年01月23日 23:26
ナミちゃん~  =^_^=ミャー
イナリ君~   おっと逃げていっちゃった
なるほど猫にも心があるのだな
心に知る働きがあるなら、事実を正しく見る訓練と正念が必要ですね 放逸だと誤った判断で、誤った行動等とり危険で不幸になるという前回とのつながりを感じます
不放逸の大切さが解りありがとうございました
身の丈修行者
2015年03月27日 06:23
回答は?とワクワクしながら拝見致しました。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説「心を感じ・・知ると・・制御できる・・五感によって起きる欲望の支配・・を克服できれば・・煩悩を克服する・・解脱、涅槃への道・・」とても分かり易いです。
冥想をもっと精進して参りたいと思います。

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