煩悩や混乱のない覚醒した人恐怖はないよ

ダンマパダ 39

煩悩の心のない人
混乱した心のない人
善悪を克服した人
覚醒した人には恐怖はない


○この詩から学ぶこと

 幸福の対極にある感情はなんでしょうか? 恐怖ではないでしょか。この感情は生命の「生きていたい」という本能が危険を感じた時現れるのです。

 子供の時は怖いという感情は、頻繁に現れました。大きな動物に会えば怖がり、暗いところは怖かったものです。頼れる親や大人を探しました。

 大人になると怖いという感情は、経験や見栄で少なくなりますが、形を変えて不安という感情が常に現れます。仕事や生活の不安、老後や健康の不安など絶えずあります。その不安を取り除くために、保険を掛けたり、お金をためたり、神仏に頼ろうとします。

 保険を掛けても、最近のように保険会社が倒産する恐れもありますし、その掛け金で万が一のとき大丈夫なのか確証がありません。お金をためてもどうなるか分かりません。もちろん万が一の場合のために預金をしておくのは必要なことですが、それで安心できるというものではないのです。また、神仏にたよるということも、理性的に考えれば神仏は何もしてくれませんから、無意味なことです。

 釈尊は、「煩悩の心のない人 混乱した心のない人 善悪を克服した人 覚醒した人」には恐怖がないと仰りました。

 恐怖は煩悩から現れます。煩悩がなくなれば、執着がなくなり、恐怖が消えるのです。

 混乱した心では、何をやっても失敗します。混乱には失敗が続きますから、不安や恐怖がついてきます。ですから、落ち着くと不安や恐怖がなくなるのです。

 善悪を克服した人とは、悪行為はすべて克服して、善行為をする必要がなくなった人、どんな行為をしても悪意がないので、悪行為にならない阿羅漢です。阿羅漢はすべての執着がないので当然、恐怖はないのです。

 覚醒した人は悟った人です。阿羅漢ですから恐怖はないのです。

 釈尊は心の最大の苦悩というべき恐怖を、克服するために、お金や神仏に頼るのではなく、 煩悩の心のない人、 混乱した心のない人、 善悪を克服した人、 覚醒した人になるべきだと勧めておられるのです。

○煩悩や混乱のない覚醒した人恐怖はないよ

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
 

この記事へのコメント

2009年01月25日 06:19
ワンギーサさん、おはようございます。私が仏教に関心をもち、ある程度の理解を得るに至った原動力は恐怖や不安を克服したいがためです。仏教を知るまでは恐怖が煩悩だとは知りませんでした。煩悩なら仏教実践で取り除けるはずですから。神仏をいくら拝んでみても、不安は解消出来ません。何故なら一生神仏を拝んでいるからです。信仰とは最大の煩悩「無知」が機能した結果でしょうか。宗教や哲学では出来ないことを解決する方法論がブッダ(目覚めた人)の教えつまり仏教であり、それを実践することが幸福の道なのだと思います。有難うございました。
2009年01月25日 07:28
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
あっきん
2009年01月25日 09:14
おはようございます。 1/23コメントしたように、不放逸のことを再度念を押して諭しているように感じます。普段なにげなく慈悲の瞑想で「私の悩み苦しみがなくなりますように」唱えていましたが、スゴイ意味と法則と最終目的があったのですね 
 生きとし生ける物が幸せになりますように 
身の丈修行者
2015年03月27日 07:36
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「心の最大の苦悩というべき恐怖を、克服するために、お金や神仏に頼るのではなく、 煩悩・・混乱した心のない人、 善悪を克服・・覚醒した人になるべきだと勧めておられる・・」心に響きます。
これを実践するには、自分の心を成長させれるか・・という事になると思います。精進して参りたいです。

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