蜜蜂が花訪れるごと聖者は村訪れて静かに去りぬ

ダンマパダ 49

蜜蜂が花の
色と香りを損なわず
蜜をもらって飛び去るように
聖者はそのように村を行く


○この詩から学ぶこと

 皆さんはこの詩からどのような光景を思い浮かべるでしょうか。蜜蜂が菜の花の蜜を集めに来ました。ある晴れた暖かい春の日が眼に浮かび、穏やかな気持ちになります。昔は小学校の校庭の花壇にも蜜蜂が飛んで来て、花の中にもぐり込むのが観察できました。今はどうなっているのでしょか。

 ご存知でしょうが、蜜蜂は花の蜜を取る代わりに、花粉を身体につけて他の花に授粉しているのですね。蜜蜂と花とはギブアンドテイクの関係なのです。しかし、蜜蜂は花に何も迷惑を掛けていないスマートな態度です。でも、蜜蜂も花もそのようなことは一切、気にしてないのです。

 この詩は聖者の人間関係における態度について述べたものです。聖者になった出家者は村に托鉢に出かけました。村人は彼を待っていて、食事の一部を彼の鉢にお布施しました。聖者は静かに村をはなれます。村人は幸せな気持ちになり、心が穏やかさで満たされました。

 人間関係において蜜蜂から学ぶこと
1.相手に迷惑を掛けないこと。
2.相手に何か利益を与えること。
3.用事が終われば黙って去ること。


○蜜蜂が花訪れるごと聖者は村訪れて静かに去りぬ


~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年02月01日 05:13
ワンギーサさん、おはようございます。人間と蜜蜂は違います。人間は生まれつき「社会的」生き物とは言えません。問題は、ではどうすれば「人の迷惑にならず、人の為になることを与えられるか。」という方法だと思いますが、その人によって「迷惑」の尺度が違いますから、実践するにはかなりの「智慧」が必要かもしくは不可能です。ダイレクトメールは迷惑でしょうか?私はゴミの量が増える一方なので、かなりの迷惑ですが、送る方は親切のつもりなのでしょう。実際有り難がる人たちがいるからです。私が思うに蜜蜂にならって「迷惑をかけない」より「人間、誰かに迷惑をかけなきゃ生きられないんだ」と自覚して生きる方が遥かに人間的だし重要だと思われます。せいぜい「迷惑をかけないようにしよう」という心構えで十分です。この前提から「迷惑をかけた世間様にお返ししよう」という考えが生じます。更には「世間様に貢献しようではないか。世間様に迷惑をかけているのだから」というギブ&テイクの関係に至ると思います。このような人間的なアプローチが大切だと思われます。有難うございました。
2009年02月01日 06:42
 おはようございます。
 しゃべり過ぎます。
 相手が、無関心になっていました。
 お互いに、一言ずつ話すと、関心が離れません。
ワンギーサ
2009年02月01日 07:21
新さん、ツヨシさん、おはようございます。
新さんへ。
人間と蜜蜂と違うのは当たり前です。釈尊がなぜ蜜蜂をたとえにしたかを考えなければ、釈尊の詩から学べませんよ。
2009年02月01日 07:59
ワンギーサさん、ご指摘有難うございました。俗世間の人間関係はギブ&テイクといえども、欲怒り、無知に支配されて、理にかなっていません。しかし、聖者のそれは、人間関係といえども、欲、怒り、無知の支配のない合理的なもので、それはまるで蜜蜂と花の関係のように、美しく自然である。と。一言で言えばそれは「自我がない」関係。有難うございました。
高橋優太
2009年02月01日 08:59
ワンギーサ先生、新さん、ツヨシさん、おはようございます。最近、迷惑をかけないよう気をつけています。ついつい親に依存してしまいますが、直そうと思います。ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年03月30日 07:05
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「相手に迷惑を掛けないこと。相手に何か利益を与えること。用事が終われば黙って去ること。」心に響きました。
特に用事が終われば黙って去ること、素適だなーと思います。
恩着せがましく「あれをしてあげた・これをしてあげた・・」等々と主張してしまうと、爽やかでなくなりますよね。
戒めたいと思います。

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