誤りを教えてくれる人は宝物 近づくならば善いことばかり
ダンマパダ 76
財宝のありかを教えてくれる人のように
過ちを指摘してくれる智慧者を知ったならば
そのような賢者に親しみなさい
そのような人に親しむならば
善いことはあるが、悪いことはない
○この詩から学ぶこと
自分の誤りや欠点は自分では気が付かないものです。現在の自分の感情にも気が付かない場合が多いのです。私たちの注意力は外側に向いていて、自分自身には向いていないからです。
私は以前、自分自身に対して鈍感で、自分が怒りっぽい人間だとは思っていませんでした。自分が怒っていることにも気がつきませんでした。人から「怒っているよ」と言われても、「怒ってない」と言っていました。でも、その時身体が震えていたのです。それほど怒っているのに自分では気が付かないのです。さすがに、しばらくして、自分が怒っていることに気がつき、愕然としました。自分のことがこれほどまでに分からないのだと。それが切っ掛けで、ヴィッパッサナー瞑想などを始めるようになったのです。
このように、私ほど酷くはないでしょうが、一部の内省的な人を除いて、多くの人は自分のことが分かっていませんから、自分の誤りや欠点を教えてくれる人はありがたいのです。自分に対して敵意を持つ人は、自分を攻撃して来る言葉、欠点を指摘するものがあれば、それはありがたいものです。ましてや親切に欠点や誤りを教えてくれる人は、本当に大切な宝物なのです。
では、このように、当然と思われることを釈尊は詩の形で改めて述べておられるのでしょうか?
実は、私たちは自分の誤りや欠点を指摘されるのは嫌なのです。しかも自分が気が付いてない誤りや欠点については、そのようなことはないと反発します。自分のことを誉めてくれる人や欠点を言わない人には近づいて親しみますが、誤りや欠点を指摘する人から遠ざかり、親しみません。誤りを正し、欠点を修正するためには、矛盾する態度です。ですから、釈尊はあえて、過りを教えてくれる智慧のある賢者に親しむならば、善いことがあり、悪いことはないと教えておられるのです。
最後になりますが、この詩、ダンマパダ76番から89番まで、「第6賢者の章」になります。
○誤りを教えてくれる人は宝物 近づくならば善いことばかり
~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
財宝のありかを教えてくれる人のように
過ちを指摘してくれる智慧者を知ったならば
そのような賢者に親しみなさい
そのような人に親しむならば
善いことはあるが、悪いことはない
○この詩から学ぶこと
自分の誤りや欠点は自分では気が付かないものです。現在の自分の感情にも気が付かない場合が多いのです。私たちの注意力は外側に向いていて、自分自身には向いていないからです。
私は以前、自分自身に対して鈍感で、自分が怒りっぽい人間だとは思っていませんでした。自分が怒っていることにも気がつきませんでした。人から「怒っているよ」と言われても、「怒ってない」と言っていました。でも、その時身体が震えていたのです。それほど怒っているのに自分では気が付かないのです。さすがに、しばらくして、自分が怒っていることに気がつき、愕然としました。自分のことがこれほどまでに分からないのだと。それが切っ掛けで、ヴィッパッサナー瞑想などを始めるようになったのです。
このように、私ほど酷くはないでしょうが、一部の内省的な人を除いて、多くの人は自分のことが分かっていませんから、自分の誤りや欠点を教えてくれる人はありがたいのです。自分に対して敵意を持つ人は、自分を攻撃して来る言葉、欠点を指摘するものがあれば、それはありがたいものです。ましてや親切に欠点や誤りを教えてくれる人は、本当に大切な宝物なのです。
では、このように、当然と思われることを釈尊は詩の形で改めて述べておられるのでしょうか?
実は、私たちは自分の誤りや欠点を指摘されるのは嫌なのです。しかも自分が気が付いてない誤りや欠点については、そのようなことはないと反発します。自分のことを誉めてくれる人や欠点を言わない人には近づいて親しみますが、誤りや欠点を指摘する人から遠ざかり、親しみません。誤りを正し、欠点を修正するためには、矛盾する態度です。ですから、釈尊はあえて、過りを教えてくれる智慧のある賢者に親しむならば、善いことがあり、悪いことはないと教えておられるのです。
最後になりますが、この詩、ダンマパダ76番から89番まで、「第6賢者の章」になります。
○誤りを教えてくれる人は宝物 近づくならば善いことばかり
~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
この記事へのコメント
から揚げを食べていた手を止めて覗いて見た。この鶏も苦=私も苦=全ての生き物がドゥッカなんだ。先日アメ横に行って、以前売っていた鮭トバを探したけど見つからなかった。そうだ!天候等によって左右されるのに、商品としてしかとらえてなかった。食欲旺盛な私ですが、このプログを見て解脱をするとは神秘的な事ではないんだと感じた。事実を知り安らぎが得られるんだ。
生きとし生けるものは幸せでありますように
「冷蔵庫のコードを抜きますよ。」と母。
「1日前に、抜きますよ。」と私。
「霜が溶けて、水が出ます。水を拭きますよ。」と母。
「拭きます。」と私。
そして、その指摘者方は、自らは相手が嫌に思われる事はしてない・・との自信がある様子を感じる事があります。
そのような自分の事は気がつかない・・は、しばしば出てくるシーンです。
自分にも相手にも謙虚で、そして相手の方に慈しみの気持ちで改善点を害しない形でお伝えできるような実践をしたいです。
https://noritsu.seesaa.net/article/200902article_22.html