深ければ湖清く濁りない 仏法聞けば心清らか

ダンマパダ 82

あたかも深い湖が
澄みきって、濁りがないように
賢者は仏法を聞き
心を清らかにする


○この詩から学ぶこと

 なぜ深い湖は澄みきって、濁りがないのでしょうか? 小学生にするような質問をするのは最近の若者、若者ばかりでなく大人も何にも考えないからです。このブログを読む人は少しはものを考える人たちですが、それでももう少し、自分で考えて下さいと思うことがあります。

 どうですか、この答えが分かりますか。一応私の答えを書きます。湖が汚れるのは、湖に塵芥が流れ込むからです。しかし、塵芥は湖の底に沈んで、湖の水が澄んで濁りがなくなるのです。ところが、浅い湖であれば、風などで波立つと、沈んだ塵芥が舞い上がり、また水が濁るのです。深い湖であれば、水面の波立ちでは湖底の塵芥が舞い上がらず、水は澄んでいるのです。ですから、深い湖は澄んでいて、濁りがないのです。

 心も同じようなことがあります。私たちの心を湖に譬えると、心は欲や怒りや無知の塵芥で濁っています。そして、絶えず、眼、耳、鼻、舌、身からの刺激で、例えば欲しいものを見ると、益々欲しいという欲が増え、嫌いな人に会うと、怒りの感情が現れるなどして、心を汚すのです。

 「賢者は仏法を聞き」、ここで聞くとは理解してという意味です。仏法を理解して、欲と怒りと無知の汚れをなくし、清らかにするのです。仏法と言えは、釈尊の説かれた真理ですが、これは理論と実践があります。理論だけの仏法はありません。実践だけの仏法もありません。

 理論的に、無常、苦、無我などの真理を理解して、すべての事柄に執着する無意味さを知るのです。しかし、無常についても、苦についても、理論だけでは、実感や確信が持てません。特に「私」という概念は、実感になっていますから、「私はない」と理論的に理解しても、実感はなくせん。そこで、実践が必要になります。

 瞑想実践を通じて、外部刺激を少なくして、妄想をなくし、身体や感覚や心や真理を観察します。無常、苦、無我などを体験するのです。そうすれば、欲や怒りや無知などの汚れが少なくなり、最後には消えてなくなるのです。そのとき、涅槃を体験するようになるでしょう。

○深ければ湖清く濁りない 仏法聞けば心清らか

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年02月28日 05:05
 おはようございます。
 ブログを読むとき、テレビを消していると、明確に読める気がします。
2009年02月28日 05:38
ワンギーサさん、おはようございます。澄みきれば澄みきるほど、底に溜った塵芥(煩悩)がはっきり見えるでしょう。その点が疑問です。私なりの答えは次の通りです。およそ「譬」と「本題」とは同一の構造をもっていると考えられます。すると、「賢者」=「深い湖」。「仏法を聞き」=(それによって)「澄みきって」。「心清らか」=「濁りがないように」と対応するかと思われます。この場合の「賢者」とは四無量心などを育て、既に大きな心を育てた者、あるいは仏道修行者と解釈出来ます。そして、冥想実践で「煩悩」を減らし、つまりは心をどんどん澄ませていく。そして、一切の煩悩がなくなった時、湖の塵芥がなくなるように心が清まる。どこをどう探しても、完全に澄みきったが故に、見通せる心の奥底までも清らかである。まあ今のところこんな理解です。有難うございました。
まお
2009年02月28日 07:43
ワンギーサ様、ツヨシさん、新さん、おはようございます。
新さんのコメントを読んで今日の法話はとても意味深くて、いろいろな受け取り方ができるのですべてを読み取ることは難しいのだなと思いました。
優太さんへ
昨日の質問への答え等は昨日の法話のコメントに書き込んだので読んでください。
まお
2009年02月28日 07:52
私は初対面の人と会うときあまり緊張したり気まずいと思ったりすることは少ないです。会う前の心の状態が良ければ良いほど動揺せず、逆に普通に黙って相手の様子を見たりしているので(話も少ししますが)、昨日一緒にいた知り合いにその場で緊張するかと聞かれ時にしていないと返事をすると、悪い意味はなく軽いノリで私はちょっと変わっているんですよというようなことを言われました。そのことで今までの問題がまた浮上してきました。
まお
2009年02月28日 08:10
それは私が初対面の人に対して、相手にリラックスしてもらおうと普通に態度をたどたどしく控えめにしたり少々笑顔を作ったり何か少し話をしたり話を聞いていたりといった態度をするべきか、または自分の心や行為や相手をよく観察して自分一人異様な空気(?)を醸し出していいのかという問題です。前者はひどく疲れるし昨日は無駄話にわざわざ付き合ってしまって頭痛がしました。後者はとても楽なのですが、なんか双方共にとっつきにくくなります(私からすると話したいけれどそんなに何か話する必要はないし、相手からすると話しかけにくいし何を話したらいいのかわからないのだろうと思います)。
皆様、どうしたらいいと思われますか?
まお
2009年02月28日 08:13
二つ前の07:52のコメントの中の「時にしていない」は「特にしていない」の間違いでした。
高橋優太
2009年02月28日 08:36
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
昨日の詩と今日の詩は、賢者の心の素晴らしさを感じます。やっぱりいつも言われていることですが、理論と実践、この二つが大事なんですね。自分だけだとやる気がしぼんだりしますが、このブログで皆様が頑張っているのを見ると、とても励まされます。
高橋優太
2009年02月28日 08:58
まおさんへ
僕も昨日のコメントに書き込んでおきました。

ワンギーサ先生へ
書き忘れましたが、なんでも質問ばかりせず、自分で調べる癖をつけます。
まお
2009年02月28日 11:22
優太さん、こんにちは。

優太さんへ
昨日のコメント欄にお礼の書き込みをしました。

皆様へ
今日書き込んだ自分の問題は協会に電話するなり何度も工夫して改善するなりして解決していこうと思います。
まお
2009年02月28日 11:54
皆様へ
もし私の行為で何か間違いや不正がありましたら、何でも指摘してください。改善するように心がけます。
まお
2009年02月28日 14:05
数か月前と最近、暇なときは真理を妄想するとよいというようなことで、業や輪廻のことはまだ詳しくは知らないのですが「キャンピングカーで旅をする人の話」と、戒について「(ベルリンの壁のように)壁で二つに分けられた国の話」を現代風に考えました。
それでは、紹介します。
まお
2009年02月28日 14:33
「キャンピングカーで旅をする人」
例えばこういう決まりがある世界があるとします。その世界のある人々はキャンピングカーで旅をします。旅の途中のイベントやお店で生活費やガソリン代、車の修理費などを稼ぐために何か働いたりお手伝いなどそれぞれ好きなことをするのです。また、使っているキャンピングカーがボロボロになり修理できなくなり燃費の悪いおんぼろ車になると古い車を捨てて、新しい新品のキャンピングカーに取り替えてもらうのですが、その新しいキャンピングカーの種類や性能、容量、重量、ブランドなどを決める法律があります。それは、旅の途中に立ち寄ったところで何か行いをするので、その行いに対してイベントの主催者側や店主などがすべての参加者宛にそれぞれ一人七個ずつ何か荷物、プレゼントを用意して七回に分けて宅配されるように手配します。
まお
2009年02月28日 14:46
そして、その荷物はキャンピングカーを交換してもその人宛ですから絶対に届くようになっています。その人はその荷物が届いたら中身を見て、感謝状や景品や生活用品なら喜びますが、他にも空箱やどうでもいいもの、別に良くも悪くもない微妙なもの、それから気持ちの悪くなるものや苦情届やもらっても使い道のない無駄なものであったりするとがっかりしますね。
と、途中ですが作成したのはここまでです。
まお
2009年02月28日 15:13
では次は「壁で二つに分けられた国の話」です。
壁とは正しい戒の壁で、この国に住んでいる人たちは壁、一方は壁から遠い順に道徳に興味がない人々、道徳を守らない人々、道徳的でない人々、正しい戒のない人々であり、もう一方は壁から近い順に正しい戒のある人々、道徳的な人々、道徳を守る人々、道徳を離れた人々です。道徳を知らない人々は戒という壁のあることさえ知りませんから、壁から遠い所に住んでいます。善や安楽を求める人は壁に穴を開けるなりよじ登って乗り越えるなりどうにかして壁の向こう側に行き、住処を移して生活します。そして正しい戒を持ち、道徳を守ります。そして、執着がない上にたくさんの善行為を行うので道徳からも離れます。そういう人々は壁から離れた遠いところで生活します。
という話です。このような話を読んでくださりまことにありがとうございました。つじつまが合わないところや真理に沿っていない場合はどうぞ指摘してください。特にワンギーサ様、できればこのような妄想について何かコメントしてください。
ワンギーサ
2009年02月28日 15:21
まおさんへ。
「暇なときは真理を妄想するとよいというようなことで」とコメントにありましたが、真理を知らないあなたが、どうやって真理を妄想できますか。妄想はあなたの心を汚します。また、妄想を読む人の心を汚します。大変な悪行為です。妄想をコメントしないようにがんばって下さい。
 あまりお勧めはできないのですが、もしあなたが、物語を書きたいのであれば、ツヨシさんのように、自分でブログを作って、そこに書いたらよいでしょう。読みたい人は読むでしょうし、読みたくない人は読まなくてすみますから。このブログのコメントは妄想でないことを書いて下さい。
まお
2009年02月28日 15:42
ワンギーサ様へ
わかりました。コメントありがとうございます。ワンギーサ様のコメントでこういう妄想をしてはいけないし、妄想を発表することもあまりよくないことがわかりました。ワンギーサ様にきつくびしっとコメントされてよかったです。これからは妄想を誰にも話さないように気をつけます。あと、自分でも妄想しないように努力しようと思います。
まお
2009年02月28日 16:05
私はこのブログを読んでいる方々に心を汚させる行為をしたことを謝らなければいけません。本当に申しわけありませんでした。すみませんでした。ここで会話をするのが楽しくてつい舞い上がっていました。これからはこういう妄想や言動にも気づきを増やし自重していきたいと思いますので皆様これからもよろしくお願いしたいです。
身の丈修行者
2015年04月08日 07:31
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「瞑想実践を通じ・・無常、苦、無我などを体験・・汚れが少なくなり・・涅槃を体験するようになるでしょう」とても分かり易くて心に響きます。
思った事ですが、冥想で感じている事の観察をする程、大脳新皮質の神経回路が発達して旧脳を冷静に見る能力が出来→悟りにいくのかな・・なんて想像も致します→余計な思考ですね。
冥想精進して参りたいです。

この記事へのトラックバック