香りない花があるように実践のない仏教は成果をあげない

ダンマパダ 51、52


美しくあでやかな花でも
香のないものがあるように
よく説かれた教えでも
実践されなければ実を結ばない

美しくあでやかな花で
香があるものがあるように
よく説かれた教えが
実践されれば実を結ぶ


〇この詩から学ぶこと

 日本人には花の香はあまり重要視されていないように思います。しかし、インドやスリランカでは花と言えば香りなのです。香りのない花は釈尊に差し上げないそうです。そのような意識でこの詩を理解する必要があるのです。花にとって香りはどうしても必要なものなのです。今の日本人にとって分かりやすいたとえは何でしょうかね。甘さのないケーキですか。甘くないケーキは食べた気がしません。(私の冗談は似合いませんね。)

 そのように釈尊の教えには、それを聞いた人々の実践がどうしても必要なものです。釈尊は人々の幸福のため、今までなかった、人類が発見できなかった、確実に幸福にいたる道を説いたのですが、それは実践されなければ、成果はないのです。しかし、それが実践されれば、確実に実践した人を幸福にすることができるのです。

 仏教における理論と実践の問題は、すでに何回か述べましたし、これからも繰り返し述べることになると思います。本来、仏教は理論と実践が一体の分けられないものですが、仏教の教えを会得する人は、一歩一歩、教えを知り、実践し、確信(悟り)に近づくのです。釈尊の教えを少しずつ聞きながら、少しずつ実践して、少しずつ理解していくそれでいいのではないかと思います。途中で少し分からないことがあっても、分かる範囲で実践してみる。そうすると分からなかったことが分かってくるということがあります。少しずつでも分かってくるということは楽しいことです。

 人格を完成する過程で、心を育てる過程で、壁にぶつかることがあるかもしれません。しかし、壁というのは、観念なのです。実際に壁があるわけではないのです。心があるは頭が作り出したものです。しかし、実践は実際の事実です。実際の事実は観念を打ち破れます。例をあげれば、恨みは恨まないという実践で破れます。怠けは怠けないという実践で打ち破れるということです。実践こそが修行の武器なのです。

○香りない花があるように実践のない仏教は成果をあげない
○香りある花があるように実践された仏教は成果をあげる 

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年02月03日 06:13
 おはようございます。
 友人に会うと、「調子はどうですか。」と、聞いています。
2009年02月03日 06:47
ワンギーサさん、ツヨシさん、おはようございます。壁は観念ですか。そうかもしれません。ところで、以前あるお医者さんが「病気というのは一直線で治るような場合は危険が伴う。ダイエットもしかり。急激に減量の場合、かなり危険で死の場合も。人間の身体のメカニズムからいって、少し病気が良くなっては、ひと休み、そしてまた少し良くなる。という治り方が一番よろしい」というのを聞きました。医学的な知識はわかりませんが、修行も壁と思ってる間はひと休み(実際休むのではない)と思えば、悩まず気が楽になるかもしれません。有難うございました。
高橋優太
2009年02月03日 08:03
ワンギーサ先生、ツヨシさん、新さん、おはようございます。観念(壁)を実践で打ち破る。そうですよね。わからないうちにあきらめていたら、どうしようもないですよね。あきらめないで、実践で怠け・後悔・欲・無知を打ち破るよう頑張ります。やる気が出ました。ありがどうございました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年03月30日 07:18
壁に当たった時は自分の器がそこまでという事になるのかなと思います。
その壁を取るには、自分の私観・概念を一度取り去りクリアにして、そして法を学んで智慧がつけば壁は自然と消えるように感じます。
おかしなもので壁を理由にして怠けたり、壁が無くなる事に不安を感じたりする無知もあると思います。
こちらで学び、理論と実践を精進して参りたいです。

この記事へのトラックバック