道徳と不放逸な生活で解脱した人輪廻はしない

ダンマパダ 57

道徳を守り
不放逸な生活をし
完全智で解脱した人の
行く末を悪魔は見えない


○この詩から学ぶこと

 「道徳を守る」とは、2月4日のブログでダンマパダ53番の説明で①から⑩まで述べましたが、今回の詩について、八正道と関連して述べたいと思います。八正道については昨年何度も述べましたが、初めての方は日本テーラワーダ仏教協会のホームページを参考にして下さい。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi3.html 

1.正見
 ⑩間違った意見を持たないこと

2.正思
 ⑧心で勝ってに妄想する怒りをしないこと
 ⑨心で勝ってに妄想する欲を持たないこと

3.正語  
 ④嘘を言わないこと
 ⑤噂話しをしないこと
 ⑥無駄話しをしないこと
 ⑦悪口を言わないこと
  嘘はいけないと思っている人は多いでしょうが、⑤⑥⑦も大切なことなのです。

4.正業
 ①生き物を殺さないこと
  蚊やゴキブリも殺さないことです。
 ②盗みをしないこと
  職場や公共のものを私物化しないことなども含まれます。
 ③よこしまな行為をしないこと

5.正命
  不道徳な職業に従事しないこと。①から⑩に反する職業につかないことです。

6.精進
  八正道の精進は八項目に実践に努力することではありますが、当然それは道徳の実践に努力  
することであります。

7.正念
  道徳を守るためには、常に自分自身に注意を向けている必要はあるのです。それが「不放逸              な生活をすること」です。不放逸についてはダンマパダの「第2不放逸の章」で繰る返し述べました。不放逸の実践は正念の実践です。

8.正定
  正念を実践すると集中力(正定)ができます。

 八正道を実践する人は、正智慧(完全智)、正解脱と続き、涅槃に至るのです。涅槃に到達した方は阿羅漢です。阿羅漢は輪廻をしないのです。輪廻の世界の支配者である悪魔は輪廻を脱した阿羅漢の死後は見ることができないのです。要するに、この詩は八正道を実践することを勧めているのです。

○道徳と不放逸な生活で解脱した人輪廻はしない

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~ 

この記事へのコメント

2009年02月07日 04:53
ワンギーサさん、おはようございました。目下、十悪の中の言葉に関する実践をしています。私にとってかなり難しくわからないのは「無駄話をしないこと」です。昨日は自分なりには出来たつもりですが。嘘は事実でないことを言わなければ良い。悪口は怒りの感情や高慢に気を付けていれば良い。噂話は定かでないこと、興味本位で人の話をしなければ良い。これらは、基準がかなり具体的でもあるし実感としても分かりやすいです。しかし、無駄話とは何ぞや?という疑問が無駄話をしないことで生じてきました。特に、自分にも相手にも無駄ではない話しとはどうすれば良いのか?これはやはり「正見」に基づかないと無理な気がしてはいます。そして「正見」はまた難しい。何かいい目安があったら是非教えて頂きたいと思います。有難うございました。
2009年02月07日 07:46
 おはようございます。
 無駄話をしません。

 友人が、指を切ります。
 友人は指を口に、当てています。
「自業自得ですよ。」と、見ていた人が言います。
「絆創膏(バンソウコウ)を貼りますか。」と、僕は言います。
「貼ります。」と、友人は言います。
 友人に絆創膏を渡します。 
 友人は、絆創膏を切り口に、貼ります。
2009年02月07日 08:07
ワンギーサさん、ツヨシさん、おはようございます。ツヨシさんの例のような場合は分かりやすいです。相手が困っている。自分に相談される。質問される。等々。これらは無駄話とは言えないとは思います。私が分からないのは、もっと日常的というか他愛ない会話のやりとりのことです。その中で、無駄話とそうでない話との区別の目安が欲しいのです。ちなみに今現在考えている無駄話とは、相手が聞いてない。明らかに興味がない場合に話す。よこしまな行為やウソをつくのを賛美している話題は話に乗らない。自分の単なる話したい衝動では話さない。だいたいその程度です。有難うございました。
2009年02月07日 08:13
後半部分、無駄話の後半は無駄話をやめることを述べてました。
高橋優太
2009年02月07日 08:19
ワンギーサ先生、新さん、ツヨシさん、おはようございます。「③よこしまな行為をしないこと」で質問なんですが、この項目はすべてのよこしまな行為ですか?それとも不倫をしないということでしょうか?お教えください。ありがとうございました。
2009年02月07日 10:33
よこしまな行為をしません。
人を怒らせる行為をしません。
ワンギーサ
2009年02月07日 12:18
新さんへ。
無駄話については、長部第9ポッタパーダ経、中部第76サンダカ経などに具体的に28種類の無駄話が書かれています。ただし、王の話は政治の話、道の話は旅行の話などと現代的に理解する必要があります。心を育てない、解脱に導かない話を無駄話というのです。しかし、在家の方は仕事に役に立つ話、家庭の平和に役に立つ話は無駄話としなくてもいいと私は思います。
ワンギーサ
2009年02月07日 12:29
高橋優太さんへ。
「的中する生き方」の107ページに「不正に快楽を求めてはならないというのが『不邪淫』です。」とあります。ですから、不倫だけが不邪淫ではないようです。
2009年02月07日 12:53
ワンギーサさん、ご指導有難うございます。一応経典を読んでみます。自分の傾向としては、口数を減らした方が役に立つ感じはしてます。そうして、より必要な時により必要な言葉が言えたら、と思います。ケースバイケースのようだし、経験を積んでいこうと思います。有難うございました。
2009年02月08日 01:47
ワンギーサさん、今晩は。長部経典ですが、政治、旅行、恐怖、戦争、…等々。つまり欲や怒りの妄想だけを増大させる話。それから「ああではないか?こうではないか?」と結論のでない、具体性のない無益な話。ざっと俗世間的に言うと、「井戸端会議をする。世直し、政治、官僚など、もっともらしいがデカイ話、浮いた話をする。抽象的な議論のための議論をする。幽霊話、お化け、ホラー映画など刺激があるが、フィクション・根拠のない話をする。予想や占いなど将来になればわかることを延々と話す。」イメージとしてはこのような感じです。在家でも役立ちます。有難うございました。
林田明大
2009年02月08日 01:49
 皆さんというより、私は、ワンギーサ先生とお話がしたくて、ここにコメントを寄せるようになりましたが、ついつい皆さんの真摯な姿勢にうたれ、親切の押し売りをしてしまいました。
 これを最後にしたいと思います。
 多くを語る人は、
「多くを語るのは、何故か」
 とその動機を問うて欲しいのです。
 目立ちたいのか、真摯な気持ちから、つい言葉数が多くなったのか、などです。
 工夫と本体、という話があります。私が、本体の話をしていても、相手は、工夫の話だと思うこともあり、その逆もあります。
 この工夫と本体という論議に、議論ではありません、気づいたのは、私も50才を過ぎてからでした。
 人生、自己啓発に邁進していると、限度がない、底がない、終わりがないことに気づかされます。だからこそ、謙虚になれるんです。
 今、私が、日々心底感動しているのは、江戸期の「大和の清九郎(大和清九郎も可)」です。
 皆さんとの出会いを、心から、感謝します。有難うございました。 
ワンギーサ
2009年02月08日 11:50
 林田明大先生。コメントありがとうございます。ですが、非常にさびしい思いが現れました。コメントを最後にしたいとの文面だったからです。私は林田先生のコメントを楽しみにしていたのですね。そのくせ、私は毎日、先生のブログを読みながらほとんどコメントを書かなかったことを反省しております。
 「工夫と本体という論議」の意味するところを私はまだ正しく理解しておりませんが、一応「方法と目的」と考えてよろしいでしょうか。質問にしてしまうのは失礼でした。お答して頂かなくて結構です。私なりに先生の御本などで勉強してみます。大和の清九郎についても興味を持ちました。
 先生の中江藤樹の御本の出版を楽しみにしております。私は先生のブログに時にはコメントさせていただきます。
身の丈修行者
2015年04月01日 07:18
八正道とその具体的な内容、とても分かり易いです。
同僚で神社巡り(御朱印集め)が趣味な方が居ます。
また何かあると「お祓いにいく」という方もいます。
人それぞれで良いと思いますが、それをどれだけしても心の成長は・・と考える時があります。
私は八正道を身の丈で精進して参りたいです。

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