怒らない慎み深く清らかな そんな人には輪廻はないぞ

ダンマパダ 95

大地のようの怒らない
門柱のように慎み深く
濁りのない池のような
そのような人には輪廻はない


○この詩から学ぶこと

 「大地」に唾をしようと、蹴飛ばそうと、穴を掘ろうが、大地は何も言わずに、びくともしません。そのように、悪口を言われようが、暴力を振るわれようと怒らない人、そのような人は相当な人格者です。

 怒りはどんな怒りも悪行為なのです。正義の怒りなどはないのです。怒りは相手の心に作用して、その人の心に怒りを引き起こし、その人に悪行為をさせることになります。また、怒りは大変な猛毒なのです。怒った人の心と肉体を破壊します。つまり、どんな怒りも自分と相手の心身を破壊する行為なのです。そのため、怒りは来世に悪い所に生まれ変わる悪業を作るのです。怒りをよく知れば、怒りを止めなければいけないことが分かります。心を育てようとする人は怒りを止める努力をするべきなのです。

 怒りについては、ダンマパダの「第17怒りの章」221番から234番の詩で繰り返し述べられています。このブログでは昨年7月26日に掲載した221番のアドレスを示しておきます。時間があればここから、234番まで読んで下さい。 http://76263383.at.webry.info/200807/article_27.html

 「門柱」は何かを守ることの象徴です。「慎み深い」は道徳を守っていると言うことです。十悪を止めて、十善を実践することです。

 「濁りのない池のような」とは、池は泥などで濁ります。その濁りが沈んで水は澄んでくると、池の水は清らかになります。そのように、心は煩悩で汚れていますが、その煩悩をなくすと、心は清らかになります。

 怒りがなく、道徳を守って、心から煩悩をなくした人は阿羅漢です。阿羅漢には、この世に引き止めておく煩悩がないので、輪廻しないのです。

○怒らない慎み深く清らかな そんな人には輪廻はないぞ

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
 

この記事へのコメント

2009年03月11日 05:57
 おはようございます。
 「ダンマパダ221、読んでください。」、過去のものだ。読んだことある。なんで、また同じものを読まなくてはいけないんだ。無知、無知、無知。でも、読んでみよう。221。読みます。初めてだ。ふむ、ふむ。なるほど。新鮮だ。読んで、よかったです。続きを読みます。
2009年03月11日 06:06
ワンギーサさん、おはようございます。正義の怒りはなぜ起こるのでしょうか。やはり「自分こそ正しい」という感情の正当化のように思えます。私が最近気づいたことは「怒り」が起こる時は「心」が固い・頭が悪い、ということです。つまり頭が固い、心が固まってる、心が縮こまってる、かたくなである、もの事の理解が足らない、心に柔軟性がない、思い込みが激しい等々。全て同じことなのですが、怒った瞬間は頭がかなり悪いということだと言えます。そして怒りでさらに頭が悪くなってしまいます。無知が消えれば怒りも消える。以前は疑問でしたが何となくわかるようになってきました。有難うございました。
高橋優太
2009年03月11日 07:59
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
ワンギーサ先生へ。
学校の友達と勉強会を作ったのですが、最近人が増えてきました。そこで勉強を教えたり、教えてもらったりするのですが、そのとき、気になったことがあります。
お釈迦さまは「仏陀の九徳」で「無上の調御丈夫(人々を指導することにおいては無上の能力を持つ方)」とご説明されていました。お釈迦さまは具体的にどのように教えられたのでしょうか?あとそれは僕が人に学校の勉強を教えるとき、役立てることはできるでしょうか?
あと人に物事を教えてもらうときの態度はどのようにすべきでしょうか?
あっきん
2009年03月11日 08:01
おはようございます。
何度となく読んだ「阿羅漢の章」
阿羅漢の特徴は無い事である。
怒り・十悪・煩悩・自我・執着・そして輪廻
あるのは、知恵のみかな。
逆に私は有る事に自慢する。「家のPCねDVDが見れるんだ」とかね。だから全く共通点が見出せない。
泥沼を飛び立った鳥は涅槃に行く。そこは、無の世界なのでしょうか・・?

まお
2009年03月11日 08:54
 ワンギーサ様、ツヨシさん、新さん、高橋優太さん、あっきんさん、おはようございます。
 ダンマパダ221~234まで読みました。よくわかりました。ヴィパッサナー瞑想で怒りを観察するのは指導を受けてからです。なので慈悲の瞑想を頑張ります。 慈悲喜捨の心が無量に育てられますように。
ワンギーサ
2009年03月11日 09:42
皆さん、おはようございます。
 高橋優太さんへ。ずいぶん難しいことを聞いてくれますね。それは千兆知っている人(お釈迦様)のことを、十知っている(高橋優太さん)がたぶん百知っている(私)に千兆のことを説明してくれと、言っているようなものですからです。
 でも、高橋さんより、私は少しだけ知っていることもありますから、一つだけ説明します。釈尊はどんな時でも、相手の話をよく聞いて、相手の土俵の中で話しをしたということです。つまり相手の言葉で相手の言葉の使い方で、相手の考え方で、その考え方の、問題点や矛盾を、自分自身が気がつくように教えていました。決して自分の言葉で、自分の考え方を押し付けるようなことはないのです。
 ですから、高橋さんは先ず、相手の話をよく聞いて、相手が分からない所はどこか、明確に把握することから始めればよいと思います。その点がわかれば、相手が理解できるように説明すればよいと思いますが、」そこは難しいでしょうね。しかし、あきらめずに何度も相手と一緒に解決するように努力して下さい。そうすると智慧も現れます。慈悲の心を忘れずに実践して下さい。
高橋優太
2009年03月11日 09:54
ワンギーサ先生、ご説明ありがとうございます。お釈迦様は素晴らしい方ですね。仏教を勉強すればするほど、お釈迦様やサンガの方々が素晴らしいと感じます。相手の話をよく聞きます。あと自分の考え方を押しつけるところもあるので、直すよう努力します。慈悲の心を忘れないようにします。ワンギーサ先生、ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年04月15日 13:05
ワンギーサ長老コメントの「釈尊はどんな時でも、相手の話をよく聞いて、相手の土俵の中で話しをした・・相手の言葉で相手の言葉の使い方で、相手の考え方で、その考え方の、問題点や矛盾を、自分自身が気がつくように教えていました。決して自分の言葉で、自分の考え方を押し付けるようなことはないのです」心に響きます。
私は看護師ですが、職場で介護の方に看護師レベルで話をしても通じません→介護の方に合わせる必要があります。相手が分かっているか確認し相手が分かるように配慮して、そしてこちらに依存されるのではなく自立するように接する難しさ(※介護現場ではメインの介護士が主体にならないと回りません(看護師配置は数人))を日々感じています。
ワンギーサ長老のコメント、智慧になるように日常の中で実践して参りたいです。

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