戦場で百万人に勝つよりも一人の己に打ち勝ちがたい

ダンマパダ 103、104、105

戦場で百万人に
打ち勝つよりも
一人の己に勝つ者が
最上の戦勝者だ (103)

他の人々に勝つよりも
己に勝つ方がすぐれている
絶えず己を制し
行いを制御する者 (104)
このような人の勝利を
神も音楽神も
悪魔も梵天も
敗北にすることはできない (105)


○この詩から学ぶこと

 今回の三つの詩のテーマは「己に勝つこと」「克己心」です。

この三つの詩については日本テーラワーダ仏教協会のホームページにスマナサーラ長老の説話があります。特にこれらの詩ができた因縁物語が詳しく、興味深く書かれていますので、是非お読み下さい。

 103番:http://www.j-theravada.net/howa/howa36.html

 104、105番:http://www.j-theravada.net/howa/howa37.html


 ここでは、なぜ「己に勝つこと」は難しいのか考えてみたいと思います。先ず、なぜ己に勝たなければいけないのでしょうか?「己に勝つ」とは感情で生きている自分に勝つことと定義しておきます。

 己に勝つ必要があるのは、私たちが幸福でありたいからです。己に勝たなければ、幸福にならないからです。自分の思うままに生きるということは、感情のままに生きることです。感情のままに生きるということは、欲や怒りや無知のままに生きることです。慈しみや哀れみの感情などもありますが、その心は育てなければ弱いもので、欲や怒りには負けてしまうのです。ですから、感情のままに生きると、自分勝手な悪行為を重ねることになり、不幸になるのです。悪行為を重ねると、まわりの人々に嫌われ不幸になっていくことはすぐ分かりますね。ところが、私たちは感情のままに生きては幸福になれないということをよく理解していないのです。ですから、まずここに「己に勝つこと」の難しさがあります。つまり、感情のままに生きること止めようと思ってないのです。

 感情のままに生活する、感情のままに行為するのが、私たちの日常生活ですから、私たちはそのことに何の違和感がないのです。つまり、自分が感情のままに生きていることが自覚できていません。自覚してないものを直すことは難しいのです。いや、それはできないのです。ですから、「己に勝つこと」は難しいのです。

 慣れているから自覚できない上に、私たちは自分自身についてはよく分からないのです。私たちは他人の欠点や誤りはよく分かります。ですから、人の行為を見て、笑ってたり、非難したりします。しかし、自分が同じことをしても気がつきません。よく人は目は外を見るようにできていて、自分を見るためにできないといいます。ですから、自分に勝つことは難しいのです。

 しかも、自分が感情的に生きていること、自分勝手に生きていることが自覚できるようになっても、その行為は習慣になっていて、変えるのには、変える意志が必要です。何度も挑戦して変える克己心が必要です。ですから、「己に勝つこと」は難しいのです。ですから、このような困難を乗り越え、「一人の己に勝つ者は 最上の勝利者」なのです。

○戦場で百万人に勝つよりも一人の己に打ち勝ちがたい

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年03月17日 04:50
ワンギーサさん、おはようございます。私の場合、感情のままに生きては幸福になれないということを納得するは法話や著書での勉強によります。それを自覚するには多くの場合、怠け心に勝って行動する際の心をチェックすれば、それは欲か怒りの衝動であるという結論が出ます。自分自身を知るには冥想です。そして「最上の勝利者」に向けては精進だと思います。有難うございました。
2009年03月17日 04:57
この詩も好きです。勇敢でカッコいいからです。
2009年03月17日 05:17
 おはようございます。
 後ろの方で、仲間の声がします。「あの人、遅刻ばかりですよ。」仲間。他人のことを言っているな。あ、自分も他人を気にしている。自分を見よう。座っています。背筋を伸ばします。
高橋優太
2009年03月17日 06:50
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。悪い感情に負けないで、しっかり自分を育てる人は素晴らしいです。サンガに帰依いたします。生きとし生けるものが幸せでありますように。
あっきん
2009年03月17日 08:08
自分にある煩悩を焼く事が勝利者なのでしょう。
パーリ語経典の読経をすると心が統一するそうですが、初め何でお経を言うのか分かりませんでした。
嫌だったのです。
今は、真実の事を知ると心が安定してくるのでないかと考えが変わりました。
まお
2009年03月17日 08:38
 ワンギーサ様、新さん、ツヨシさん、高橋優太さん、あっきんさん、おはようございます。
 自分の行為や感情を自覚することで、改善しようとする意志が生まれ、それに挑戦し努力することで己に勝つこと(解脱)ができるのですね。なので、ヴィパッサナー瞑想はその自覚を促し、それでしっかり自覚をすることで自分が一体どんなことをしているのかを理解できるので、ヴィパッサナー瞑想は日々心を育てるのにとても大事な仕事だと思いました。今日の法話は今の自分の状況に対してとてもいい勉強になりました。社会を敵にし、人々と競争する必要は何もありませんね。自分がつらい思いをするだけですから。
カッシー
2009年03月17日 14:29
 はじめまして。二か月ほど前、このブログを読みました。ワンギーサ先生のお言葉の一つ一つが水のように心に染み入りました。

 その日から毎日ブログを読み、スマナサーラ長老の書かれた本や法話を読み、日曜日にゴータミー精舎の「法話と冥想の会」に出席して、スマナサーラ長老の冥想指導を受けました。

 これから、精進し、心を育てていきたいと思います。
 
 生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年04月17日 07:26
感情失禁ぎみの方に「感情的になっている」と指摘しても、否定される事は珍しくないと経験しています。
また、そんな方は他人の欠点は良く気がつき・問題にして下さいます(あなた自身は自分に気づいてますか?と言いそうになりますが・・)
そして、元々の気質なのか不明ですが、適応障害の・精神科疾患領域に行きかねない印象を感じます。自分は何も悪くない全て他人のせいだとか、私が正しいのだから私が仕切る・私の言いなりになれとか、等の反社会的?な言動をする時もあります(気分等によりムラがあります)
職場で仕事だからとしても合わせるが難しいと感じる面もあります。
そんな時、他人ではなく自分がどう生きるか自分を見つめる事は大変有効に感じています。特に怒りを膨らませないような実況中継実践を精進して参りたいです。

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