挨拶と敬老心で徳増える寿命と美貌 幸と力だ

ダンマパダ 109

丁寧な挨拶が習慣となり
常に年長者を敬うことで
四つのことが増える
寿命と美貌と幸福と力


〇この詩から学ぶこと

 この詩は、在家の皆様が読経や瞑想修行をした後、回向文を唱えます。その後、テーラワーダの僧侶が皆様に祝福のお経を唱えます。その中の一つです。そういうわけで私は毎朝唱えています。パーリ語の発音と単語の意味は次の通りです。

アビワーダナシーリッサ   ニチャン  ワッダーパチャイノー
丁寧な挨拶を習慣にする  常に    年長者を尊敬する

チャッタロー ダンマー ワッダンティー アーユ ワンノー スカン バラン
四つ      こと     増える      寿命  美貌   幸福  力      

 これは、僧侶が在家の皆さんに対する教訓でもあるのです。その内容は、丁寧に心をこめて挨拶をしなさいということと、年長者を敬いなさいという二点です。これで在家の生活は円滑に進むようになるのです。

 在家の人々の悩みには、人間関係に関するものがほとんどです。なぜ、人間関係で悩むのでしょうか。具体的には問題点はいろいろあると思いますが、今回の詩と関連して言えば、お互いに心を開いてない、自分を守っているからではないでしょうか。そのため、お互いに打ち解けず、勝ってに、相手を妄想して誤解し、また自分を誤解されないように自分を守って、自分ひとりで悩むということになっていたりします。

 「丁寧な挨拶」というものは、自分の心を開くことになるのです。そして、それは相手の心に、ノックをすることです。それにより、人間関係が始まります。丁寧な挨拶には、相手を大切にする気持ちがあります。それは、言葉の音や調子また態度で相手に伝わります。丁寧に対応された人の心は開きます。相手の気持ちが分かれば、心が開きます。心と心が触れ合えば、よい人間関係が始まるでしょう。はじめはかなり大切でっすよ。慣れた人間関係でも、乱暴な態度は相手の心を傷つける場合があります。気をつけましょう。ことわざでは「親しき仲にも、礼儀あり」というのですね。

 次は、「年長者を敬う」ということです。これは今の日本ではなくなった現象です。昔は若者は悩みがあれば、親兄弟には相談できなくとも、年寄りに相談したものです。今はそんな時代ではなくなっています。ですから、今の若者は相談できる相手がいないのです。どのように時代が変わったからでしょうか。私の考えでは、悩みの本質は心の問題であるのに、技術の問題であると、若者も年寄りも考えてしまう社会になっているということです。

 技術重視の社会では、技術革新の社会では、老人は技術についていけず、自信を失っています。若者は新しい技術を知らない老人は尊敬しないので、相談はもちろんしません。ですから、若者は悩みの解決方法が分からないのです。老人は具体的な技術のことは分からなくとも、長い人生でそれなりの知恵があります。若者が心を開けば、その知恵が生かせるのです。そのため、老人も自信をもつことができるのです。それは、「年長者を敬う」ことから始まるのです。今の日本ではなかなか難しいことではありますが、釈尊の教えを学ぶ若者には是非実践してもらいたいことです。

 「丁寧な挨拶が習慣となり 常に長老を敬う」この二つのことを実践すると 「寿命と美貌と幸福と力の四つのことが増える」と述べられています。実践する価値はあると思いますし、信じられない人は、実践して確認してください。後ろ二つは、間違いありません。人間関係がよくなれば幸福になれます。力には肉体的な力もあります。幸福になれば、健康になり肉体的な力も増えます。また、この実践で心の力も強くなります。そして自信ができてくれば社会的な力もできるものです。健康になり、幸福になり、心も強くなれば、当然、寿命も長くなるでしょう。そして明るくなって、顔も美しくなるでしょう。釈尊の仰ることは間違いありません。

 この詩のスマナサーラ長老の法話は日本テーラワーダ仏教協会のホームページに掲載されております。そちらも是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa39.html

○挨拶と敬老心で徳増える寿命と美貌 幸と力だ

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年03月19日 05:26
ワンギーサさん、おはようございます。人が人に心を開かないのは自己肯定感が乏しいからかだと思います。自己否定感の強い場合は、挨拶と言っても相手への迎合である可能性が高いと思います。迎合すれば、自分の欠点を隠せるからです。相手を大切に思える人は当然いい挨拶ができるでしょうが、相手を大切に思う前に自分自身が大切だと思うことの方が大切だと思います。慈悲の瞑想はまず私の幸せから始まります。自分の幸せを願い、そして自分を大切にし、自己肯定感を得た場合に限り、相手を真に大切に思えるように思えてなりません。その延長に自然でその人なりに丁寧な挨拶というものがあるように思えます。有難うございました。
2009年03月19日 06:10
おはようございます。
あっきん
2009年03月19日 07:57
おはようございます。
感情は相手に伝わりますね。冷たい態度をすると相手も同じような態度になる。散歩している犬でも目が合うとよって来たりする。年長者は尊敬に値する人。時として話がくどかったりして、隔たりを感じますが心に入れておきます。

*猫寺のコメント
ゴータミ精舎は皆のお寺です。初めての場合、長老の瞑想指導を直接受け本物の体験するのがお勧め。なんたって瞑想は人間しかできないからね。(=^・^=)
2009年03月19日 08:19
寺猫さんへ。じゃ君たちは瞑想中何しにやって来るのかね?(@_@)
まお
2009年03月19日 09:19
 ワンギーサ様、新さん、ツヨシさん、あっきんさん、おはようございます。
 この前今日のダンマパダについての長老の法話を読んだのですが、ダンマパダの言葉の意味がよくわかりませんでした。なので、ワンギーサ様の今日の法話を読んでなぜ寿命と美貌と幸福と力が増えるのか、なんとなくわかりました。
 挨拶だけでなく、丁寧な言葉、心のこもった態度、相手に対する正直な気持ちは、人とうまく付き合うために大事なことだと思います。
 年長者を敬うこととは、たとえ相手が年長者でなくても、考え方が悪かったり性格が悪かったり行いが悪くても、慢や嫌悪をおこさずに事実を見るようにして、大切に対応し平等に敬うべきなのではないでしょうか?まだ、それを実践できているわけではありませんが。
まお
2009年03月19日 10:23
 「丁寧な挨拶」についての言葉が、特に感動しました。ワンギーサ様、今日も法話ありがとうございます。
高橋優太
2009年03月19日 11:37
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。仏教を学ぶ前は、先生方や先輩に対して馬鹿にした態度をかなりとっていました。でも最近は、自分に物事を教えてくれる方々に対して心から尊敬しています。とくに仏教を教えてくれる方々は本当に素晴らしいと思います。だけど昔の惰性で馬鹿にした態度や生意気な言動があったかもしれません。そうだとしたら、ごめんなさい。これからも先輩、先生、長老に感謝して、教えていただいたことをしっかり実践しようと思います。ワンギーサ先生、皆様、今日も本当にありがとうございました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
2009年03月20日 04:13
年長者に挨拶しよう、と思う。「先生、お世話になりました。」僕。「卒業おめでとうございます。」先生。「ありがとうございます。」僕。「これから、どうするのですか。」先生。「就職します。」僕。「就職が決まって、よかったですね。」「学生生活は、思い通りに行きましたか。」先生。「思い通りに行かないことを、知りました。」僕。「担当の先生がキブアップしていましたね。」「言われても、納得しないと、実行できません。」「突き詰める生徒は、先生にとって、初めてだったのでしょう。先生は価値観に誘い込もうとしたが、あなたは従わなかった。先生は、生徒にAとBの案を出す。どちらを生徒が選んでも、また、二つの案を出すべきですよ。」先生。
身の丈修行者
2015年04月18日 07:14
挨拶が大事な事、日々実感しています。笑顔にもなるようにしています。
挨拶をせずに接すると、殺伐としたものを感じます。温かい交流の機会になりますね。
挨拶をして返事がないと落ち込む・・ような時もありますが、見返りを期待しない方が爽やかな感じが致します。
また年長者を大事にする気持ちを培いたいと思います。
それら人間関係を良くする宝、実践して参りたいです。

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