百年も生滅知らずに生きるより 生滅知って一日生きよ

ダンマパダ 113、114、115

物事の生滅を見ないで
百年生きるよりも
物事の生滅を見て
一日生きる方が優れている  (113)

不死の境地を見ないで
百年生きるよりも
不死の境地を見て
一日生きる方が優れている  (114)

最高の法を見ないで
百年生きるよりも
最高の法を見て
一日生きる方が優れている  (115)


○この詩から学ぶこと

 世界歴史上で最もよく読まれた書物と言えば、西では「聖書」、東は「論語」と言われています。この「ダンマパダ」はそれ以上に価値のある書物であることを知ってほしくて、このブログを立ち上げた訳ですが、それはともかく、その「論語」に、「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」という言葉が有ります。「朝に真理を知ったならば、夕方に死んでも思い残すことがない。」という意味です。真理を知ることが人生の最高目的であるので、目的を達成したのだから死んでもいいということでしょう。

 今回の三つの詩も同様な意味がありますが、真理の内容が具体的に示されています。

 113番で述べている真理は「物事の生滅」ですが、仏教が教える重要な真理の「無常」のことです。無常については何度も説明しています。すべての物事は変化し、変化しないものはないということです。理屈では多くの人は分かっていると言います。しかし、多くのの人々には好ましい変化と好ましくない変化があります。子供が成長する変化は喜びます。しかし、自分が老化し、死ぬという変化は嫌がるのです。理性的に考えればどちらも同じ変化ですから、同じように受け止めるのが自然ですが、そのようには受け止められないのです。それは、「無常」を受け入れられないということです。

 「無常」をよく観察すると、「物事の生滅」からできているのが分かります。最近は今の季節でも百合の花があり、お寺の花瓶に生けられています。百合の花は、始めつぼみでした。しかし、だんだん花が開いて、花びらが枯れてきます。そうすると捨てられます。それは、つぼみの百合の花が膨らんだで、膨らんだつぼみの百合の花が生じたことです。次に花が開きます。それはつぼみの花が滅して、開いた花が生じたのです。次は開いた花が滅して、枯れた花が生じます。そのように、変化するということは、あるものが滅して、変化したものが生じるということです。つまり無常とは生滅なのです。

 そして、無常の観察で大切なことは、私たちの外部の物事だけではなく、内面、自分の心の無常を知ることです。私たちの心は非常に速い速度で生滅を繰り返しています。それをヴィパッサナー瞑想で観察するのです。それで無常を体験し、執着するものがないことを実感するのです。すべての執着が消え、すべての悩み苦しみがなくなるのです。

 113番についてのスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページにあります。この詩の因縁物語はある悲劇的な女性の人生にまつわるもので、非常に興味深いものです是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa43.html

 114番の詩は「不死の境地」という真理です。「不死」とは、文字通りの死なないとい意味ではなく「涅槃」を意味する言葉なのです。涅槃は究極の幸福、究極の目標、涅槃に達するためにすべての修行があるのですから、涅槃を知ってしまえば、修行は完成し、もうすることがないのです。ですから、いつ死んでも思い残すことがないのです。涅槃の境地は言葉では表現できないものなので、各自が体験する以外には知る方法がないのです。

 115番は「最高の法」という真理です。この場合の最高の法とは、四段階の悟りと涅槃を意味します。それは次のようなこの詩の因縁物語で分かります。
 ある資産家の未亡人に十四人の子供がいました。子供たちは母親の面倒を見るという約束で、母親の資産を分配することを要求しました。母親はそれに応じて資産を分配しましたが、子供たちは母親の面倒を見ずに、邪魔者扱いしました。悲観した母親は出家して、比丘尼になり、熱心に修行をしました。ある日彼女は一睡もせずに、瞑想に打ち込んでいました。釈尊は神通力で、彼女の前に現れ、「最高の法を見ないで 百年生きるよりも 最高の法を見て 一日生きる方が優れている」と述べ、そのまま瞑想を続けるように指導しました。それにより、四段階の悟り経て涅槃に達して、阿羅漢になったということです。四段階の悟りについては、昨年の6月26日のブログをお読み下さい。http://76263383.at.webry.info/200806/article_6.html

百年も生滅知らずに生きるより 生滅知って一日生きよ (113)
百年も涅槃知らずに生きるより 涅槃知って一日生きよ (114)
百年も真理知らずに生きるより 真理知って一日生きよ (115)

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年03月21日 05:05
ワンギーサさん、おはようございます。113番の長老の法話、いつ聞いてもためになります。無常を理解するとはそのような境遇を悩まないということに繋がると思うからです。さて、生滅ですが、どちらかというと生に気をとらわれて、焦点をあわせすぎてるとは思います。だから滅に焦点をあててみたりします。例えば、人混みを見れば、閑散がなくなった。閑散を見れば人混みがなくなった。眠気が起きれば、すっきり状態が滅した。すっきりしてくれば、眠気が滅した。という具合で。何でも滅したと見ると物事の見方が変わってきたりします。私も無常を完全に理解出来るのなら一日いや数分生きていれば十分だと思います。何故なら、執着と苦しみの人生を何千年生きても意味がないと思うからです。実のところ無常を理解することはそれだけ凄いことだと思ってるからなのですが…。有難うございました。
2009年03月21日 05:29
おはようございます。
2009年03月21日 05:58
「おはようございます。」を読みます。「おはようございます。」と、書きたい、が生まれます。「おはようございます。」と、書きます。「おはようございます。」と、書きたい、が滅します。「次は、何を書こうか」が、生まれます。
あっきん
2009年03月21日 06:25
 おはようございます。
阿羅漢は完全たる人。
不完全な人が、私の考えは正しいと考えていること自体間違っている。以前ワンギーサさんが書かれていたように自己を確立する必要がある。でないと社会の混乱に巻き込まれるだけである。
”仏陀の100の経典を学ぶより1つの経典を正しく理解し実行する事のほうが価値がある”
私が作りました。自己を戒め向上あるのみです。
高橋優太
2009年03月21日 07:36
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。最近、自分が本当にくだらないことばかり考えていると思います。それは妄想なので、足の感覚を実況します。妄想に気を取られないようにします。だけど、普通の日常生活を、仏教を勉強することなく、生きていたら、くだらない妄想を、くだらないと思わずにずっと生きていることだと思います。実況中継をオリンピックの選手ぐらいの意気込みで頑張ります。くだらない妄想(ゴミ)をなくします。ゴミに執着しないよう、実況中継を続けます。僕が、ワンギーサ先生が、皆様が、生きとし生けるものが本当に幸せでありますように。ありがとうございました。
まお
2009年03月21日 07:57
 ワンギーサ様、新さん、ツヨシさん、あっきんさん、高橋優太さん、おはようございます。
 思考をまとめます。
 努力を続けます。
ワンギーサ
2009年03月21日 09:13
皆さん、おはようございます。
あっきんさんへ。
”仏陀の100の経典を学ぶより1つの経典を正しく理解し実行する事のほうが価値がある”はなかなかよい考え方です。そのように実践して阿羅漢になった方について、昨年8月17日(259番)で紹介しました。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_17.html
それを読めば、自分は間違いないと自信がつきますよ。
林大貴
2009年03月21日 14:51
ワンギーサさん、こんにちわ。 二つ質問があるのですが、パパンチャ(捏造)の過程を、知識的に学ぶなら顛倒のメカニズムを理解すればよいのでしょうか? あとお釈迦様の教えで、大乗仏教の唯識みたいに?認識の範囲について6処以外で説明されいている箇所はありますか?
ワンギーサ
2009年03月21日 18:58
林大貴さん、パパンチャについてのパンフレットがありますから、日本テーラワーダ仏教協会に依頼して、送ってもらってください。
認識の入り口は、6処以外にありません。
身の丈修行者
2015年04月19日 15:57
時間は限られるので、生滅・涅槃・真理が分かるように、一日の24時間大切に使いたいです。
日常で実況中継の実践をする事を目標に致します。

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