善いことは直ぐにやること今すぐに急がなければ悪がのさばる

ダンマパダ 116

善は急げ
悪から心を守れ
善を急がなければ
心は悪を楽しむ


○この詩から学ぶこと

 今回の116番の詩から128番の詩までは「第9 悪の章」になります。13の詩で釈尊の悪に関する考え方を学び、悪を避ける必要性を学んでください。悪は私たちを不幸に導くものなのです。悪は決して軽く見てはいけないのです。

 今回の詩では「善は急げ」と述べられています。そして、「善を急がなければ、心は悪を楽しむ」と続きます。

 では、「なぜ心は善を急がなければ悪を楽しむのでしょうか?」 

 すぐに私が答えらしきものを書かない方はいいと思いました。少し、自分で考えて、できれば考えたことを、コメント欄に書いてみて下さい。明日のブログに私の考えを書きます。

 116番に関するスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページに掲載されています。そこには「悪は心の趣味です」と書かれていますが、なぜ心は悪を趣味にしているのか?まで考えて答えを出して下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa44.html

○善いことはすぐにやること今すぐに急がなければ悪がのさばる


~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年03月22日 04:44
おはようございます。
2009年03月22日 04:53
ワンギーサさん、おはようございます。善は急げ。ということは、善は為しがたく悪は簡単だからこそだと思います。ここで、善悪というものから離れて、やり難い、やり易い。という観点から考えてみると、やり易い方を選ぶのは「怠け心」が原因と考えられます。「怠け心」は全ての生命にあるそうですが、同時に「不幸」の原因でもあります。一応私なりの答えは「怠け心」です。それが根底にあるから為しやすい「悪」は趣味になり、「善」は精進しないとできないのだと思います。有難うございました。
2009年03月22日 06:16
 思考に早く気づくと、呼吸は静かです。穏やかです。背筋が伸びています。
 思考に遅く気づくと、疲れています。溜息が出ます。背筋が曲がっています。
2009年03月22日 07:07
 上の自分のコメントは、答えになっているだろうか。新さんのコメントを読んで、「怠け心」が気になりました。観察をやり直しました。
 思考が浮かびます。あれは、どうしようか。不安。わからない。無知。思考します。考えれば、分かるだろう。邪見。もう一度、思考します。やっぱり、分からない。ああ、わからねぇ。怒り。諦めます。落ち着きます。今、すべきことは何か。歩きます。
あっきん
2009年03月22日 07:52
 おはようございます。
ワンギーサさん昨日のコメントありがとうございます。
私ってどんな人?ユニーク、まじめそうとか人それぞれの反応が返ってきます。そして自分のタイプをつかんでいます。自分の心は鏡にうつらない。
”本物で、慈悲ある人の意見を受け入れる。”考えです
驕らず高慢にならないよう戒め励みます。
今日の答えは戻ってからにします。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
まお
2009年03月22日 08:09
 ワンギーサ様、ツヨシさん、新さん、おはようございます。
 善行為をしなければ善の結果を受けて楽しむことがないので、悪行為をすればするほど悪の結果ばかり受けて自分が堕落し自然と悪を楽しむようになり放っておくとその傾向が強化されるので、善はすぐに行うべきです。悪から心を守るのは、悪行為はやりやすく心はすぐに悪に染まってしまうからです。すぐに行動しないと善行為は出来ません。だから急いででも善行為をするべきです。
と考えました。
まお
2009年03月22日 08:10
 あっきんさん、おはようございます。
2009年03月22日 10:14
為しやすい「悪」と断定してしまいましたが、それは「心」が本来無知だからです。しかも無知から生じた行為は「悪」であり、無知から離れる行為は本来心が無知であるが故に為し難いのだと思います。
2009年03月22日 10:17
ツヨシさん、あっきんさん、まおさん、おはようございます。
高橋優太
2009年03月22日 10:18
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
怒りや欲は自然に、勝手に、放っておいても、出てきます。さらに放っておくと、どんどん感情が強くなります。癖になります。癖になると、無意味でも、そこから抜け出すのは大変です。僕は後悔癖がありました。実況して、悪い感情から離れないと、後悔が癖になっているのでずっとそのことばかり妄想します。後悔は、実況中継しないとずっと続きます(=悪を楽しむ)。だから善をしないでいると、自然と悪い感情に支配されてしまいます。

ワンギーサ先生の宿題はとても楽しいです。またこれからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
あかさ
2009年03月22日 19:06
こんにちは!
冥想します。無駄話してないで。
いつもありがとうございます。
しげん
2009年03月22日 19:23
皆さんはじめまして。
人は「貪瞋痴」で生きているので、こころが汚れている。汚れているこころで行った行為はすべて悪行為。だから幸福を目指しにこころの汚れを清らかにするために修業する。知識としてのコメントは自分で考え出していませんね。
難しいです。たまにお邪魔します。皆さんよろしくお願いします.
あっきん
2009年03月22日 22:35
こんばんわ。
仕事に行く途中でも考えていましたが・・
 なぜ心は悪を趣味にしているのか?
仮に五戒を破ったとします。協会の会員でしたら罪悪感を抱くでしょう。それ以外の人は悪を楽しみ快感で嬉しくて泥沼にはまり執着するのです。趣味も楽しいからのめり込む同じ事である。そういった中で一瞬でも善行為をしたいという気持ちが生じ実行すると次のステップに上がる。
逆に行動を起こさないと泥沼にはまる。
貪瞋痴、無明が心の土台になっているからです。
つまり心が変わらないうちに行動しなさいと言っているように感じます。
たか
2009年03月22日 23:33
悪いことをすると、まずは、「気持ちいい」それで、後から悪い結果が自分に降りかかる。悪いことの結果は、すぐに出ないから、目先の刺激に惑わされてしまって、やりやすいのだと思います。
悪いこと=欲とか怒とか無知

逆に、善いことは、悪いことのように即「刺激」(気持ちいい)がなくて、少し時間がたって善い結果が出る。でもこのパターン(善い事をして善い結果を得るパターン)は、「悪いこと」をするパターンに比べて、私たちの経験的に少ないので、「先を見ると善い結果がある」ことが見えにくい。それで、「これは善い事」と説明では納得していても、「善い事→善い結果」の経験がないので、善い事をする勇気が出ないのだと思います。


それで、悪のパターンに一旦入り込んでしまうと、目先の刺激を求めることばかりで、物事が見えにくくなり、悪から出てきにくいのだと思います。
たか
2009年03月22日 23:40
あと、なにか出来事があると、とっさに出てくるのは、怒りとか欲、あとは退屈とか、悪の感情です。

例えば、私は、怒っている人を見ると、怒りたくなるクセがある。放っておくと、怒りがどんどん増幅していく。その怒りを相手にぶつけたり自分で燃やすのは刺激があって、それが治療のように自分で思い込んでしまってます。

でも、そこで、「笑顔だ」と思って、にこっとすると、相手もにこっとしてくれる。

でもこの、にこっとすると相手も怒りがやむってことが、怒りの中では見えにくい。怒りがとろ火のうちに「にこっ」を処方しないと怒りの炎がでかくなるばかり。
さみ
2009年03月23日 00:51
はじめまして。皆様こんばんは。いつもありがとうございます。
悪は、たかさんと一緒で、悪行為をしている瞬間気持ちいい。しかし後で長い間苦しむ結果になる。
善は、善行為をする瞬間、しんどい。でも後でじわじわ幸せになる…が、こころは弱いので、その瞬間の気持ち良さをとってしまって苦しむ事になり、苦しみから抜け出す為に、また瞬間の気持ち良さ(楽・怠け)を選んでしまい悪循環に繋がるのでは?
生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年04月19日 15:59
2015年ですが参加させて頂きます。
「なぜ心は善を急がなければ悪を楽しむのでしょうか?」 ですが、善行為をしないと欲が出て悪・・をしてしまいがちだから、かと思います。
その後の回答が楽しみです。

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