水滴が水瓶満たすそのように小さな悪行悪の山になる

ダンマパダ 121、122

悪の結果は私には来ないだろうと
悪行を軽視してはいけない
水滴の落下によって
水瓶が満たされるように
少しずつ積み重なって
愚か者は悪に満たされる (121)

善の結果は私には来ないだろうと
善行を軽視してはいけない
水滴の落下によって
水瓶が満たされるように
少しずつ積み重なって
賢者は善に満たされる (122)


○この詩から学ぶこと

 今回の二つの詩は、先ず、小さなことを軽んじてはいけないことを教えています。そのことを教える諺はたくさんあります。

 ちりも積もれば山となる   千里の道も一歩から
 千丈の堤も蟻の一穴から崩壊す   一円を笑う者は一円に泣く   
 水の一滴岩をも砕く   ローマは一日ではできず
 愚公山を移す   マッチ一本火事のもと

 もっとあるでしょう。これだけ、小さいことを軽視してはいけない諺がたくさんあるということは、私たちが小さいことを軽視していることです。

 しかし、世間の諺は、世俗の知恵です。生きていくために、必要なことを教えていますが、釈尊の言葉は生きていくために、必要なことではありません。正しく生きていくために必要なことです。心を育てるために必要なことです。ですから、単に小さいことを軽視してはいけないというだけでなく、特に、悪いことは、どんなに小さなことに見えても、決して行ってはいけないということです。小さな悪行は積み重なって大きな悪業になります。悪業は私たちを不幸にするものです。小さな悪行はを軽視して行うと心が悪行に慣れてしまいます。それは大変危険、恐ろしいことなのです。

 逆に、どんな小さな善行でも、それが積もれば大きな善業になります。また、善行の実践になれることができます。それは心を育てる大きな力になります。ですから、小さな善行でも軽視しないで実践する必要があります。

 また、小さなことを軽視しないことは、瞑想中にも重要です。瞑想中で、感覚の小さな変化を軽視しないことは大切です。例えば、瞑想中に表れる痒みや痛みなどは、はじめ針の先ほどの痒みや痛みから表れます。それを見逃さずに観察するのです。そうすれば、感覚の生滅を観察できるようになると思います。いずれにせよ小さなことに注意を向けると仏教の修行の面白さが分かってきます。面白さが分かると修行を継続できます。修行を継続できると修行を完成できます。

 尚、121番、122番に関するスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページがります。是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa47.html

○水滴が水瓶満たすそのように小さな悪行悪の山になる (121)
○水滴が水瓶満たすそのように小さな善行善の山になる (122)

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年03月25日 04:58
ワンギーサさん、おはようございます。目下自分なりに非常に注意してるのが、微細な悪と善です。それは自分の生活はとても平凡であるからです。しかし、平凡といえども悪行為、善行為というものがあり、そしてそれは小さなものです。それを無視すると、やがて平凡の域を越えてしまいます。私が感じたのは小さな善行為は貴重ではないか、ということです。少なくとも、誰にも知らなれないので、エゴを直視する機会となります。そこで喜びを感じる場合は欲が混ざらない。という意味でもあります。悪については、十悪の嘘や無駄話に焦点をあててます。絞りこんだ方が心の葛藤がわかりやすいからです。悪にしろ善にしろ小さなことに気を付けていると、「心の本音」が見えてくるのが勉強になります。有難うございました。
高橋優太
2009年03月25日 07:55
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
怠け心にズバっとメスを入れられるような詩ですね。小さな悪いことでも、恐ろしい。だいたい悪いこと、不善をするときは、理屈がすごくおかしくなっていると思います。「一日くらいハメをはずしても・・・」「少しくらい良いのでは・・・」などと言って後で苦しくなる。
理屈がおかしい考え(邪見かな?)に慣れたら、その後の行動は全部、不善ばかりになってしまう・・・とても恐ろしいです。ありがとうございました。
まお
2009年03月25日 08:48
 ワンギーサ様、新さん、高橋優太さん、おはようございます。
 微細な悪行為や善行為、それから感覚に迅速に気づいて観察できるように頑張りたいと思います。
ツヨシ
2009年03月25日 08:57
おはようございます。針の痒みに気づいていないです。観察を続けます。
2009年03月25日 09:35
高橋優太さん、まおさん、ツヨシさん、おはようございます。普段何気ないシーンに本音が出やすいを短歌にしてみました。~短歌「一」にちなんで~……階段を一段上がるに躊躇する怠け心も登山家気取り…。
高橋優太
2009年03月25日 10:09
新さんへ。
面白いですね。では僕も普段の何気ないシーンの本音を俳句にしてみます。
「明日から その言葉には 騙される」今日やるべき仕事はどんなことでも、しっかり取り組もうと思います、怠けないで。生きとし生けるものが幸せでありますように。
ワンギーサ
2009年03月25日 10:42
皆さん、おはようございます。
「階段を一段上がるに躊躇する怠け心も登山家気取り」も「明日から その言葉には 騙される」どちらも面白いですね。私も短歌の他に、時々川柳を作って遊んでいることがあります。それから、高橋さんのは俳句というよりは川柳です。一応俳句には季語が必要なのです。もっとも最近は新俳句というのがあり、季語なしでもよいそうです。
身の丈修行者
2015年04月20日 07:28
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「瞑想中・・痒みや痛みなどは・・針の先ほどの痒みや痛みから表れ・・見逃さずに観察・・感覚の生滅を観察できる・・」を拝見してハッとしました。
私の実践では、そこそこ度合い以上にならないと「痛み・痛み・痛み」と実況中継していなかったです。
もっと小さな事で感じるレベルで実況中継実践をしてみようと思います。

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