釈尊の説かれた真理守るなら乗り越え渡る煩悩の海

ダンマパダ 85、86

人々の中で
彼岸に達する人は少ない
多くの人は
こちらの岸で走りまわる

正しく説かれた法を
法に従って実践する人々は
極めて越え難い死王の領域を
越えて彼岸に至るだろう


○この詩から学ぶこと

 この詩はある風景を想定しています。対岸が見えないほどの大きな河が流れています。対岸を「彼岸」と言って、悟りの世界、涅槃を意味しています。「こちらの岸」は今私たちが生きているこの世界、世間です。しかし、これは例え話で、世間と涅槃の関係はこのような空間的なものではなく、心の世界なのです。これも例え話ですが、涅槃とは今私たちが感じている心を裏返したような状態と言ってもだめでしょうね。涅槃は言葉では説明できないのです。ただ、釈尊は「涅槃は最高」とは仰っています。

 こちら岸、私たちの世界には多くの人々が住んでいます。涅槃を目指そうと言う人々は仏教徒の中にしかいないでしょうが、その仏教徒は世界の人口の中でほんの少しです。統計は正確ではなさそうですが、10%程度でしょう。また、その中で、悟りを目指して涅槃に達しようと思っている人は、1%いるでしょうか。1%いたとしても、実際に彼岸(涅槃)に達するする人はほとんどいないのです。圧倒的多数の人々はこちらの世界で、たまには楽しいこともあっても、悩み苦しみ、怒ったり、恨んだり、争いに明け暮れています。なぜでしょうか? その理由が次の詩で述べられています。

 釈尊の教えを知って、悩み苦しみから脱出するために、仏教徒になり、修行に励む、少数の人々がいます。釈尊の教えは、「正しく説かれた」完全な真理です。これは単なる修飾語ではないのです。完全に事実なのです。釈尊が実際に自分で試した実証済みの真理なのです。しかし、仏教徒の修行者は、自分の解釈で、それを理解しようとしてしまうのです。真理は少しでも変えてしまうと真理ではなくなります。それで「法に従って実践」しないのです。そのために、彼岸に到達できないのです。

 「こちら岸」と「彼岸」の間には越え難い死王の領域(河)があるのですからなおさらです。死王の領域とは煩悩の世界(輪廻の世界)ことです。欲と怒りと無知です。渇愛と無明の大河なのです。この越え難い大河を渡るには、釈尊の説かれる法を一分の狂いもなく、そのまま従って実践しなければならないのです。ですから、多くの人々はこの大河を渡れないのです。しかし、「正しく説かれた法を 法に従って実践する人々は 極めて越え難い死王の領域を 越えて彼岸に至るだろう」ということになるのです。

 この詩について、スマナサーラ長老が昨年12月20日ゴータミー精舎で説法されました。その要旨をナーギタさんがまとめた記録が「ゴータミー精舎日記」にあります。参考にさせて頂きましょう。
 http://gotami.j-theravada.net/2008/12/20091220.html 

○煩悩の大河を渡る人わずか多くはこちらで悩み苦しむ
○釈尊の説かれたの真理守るなら乗り越え渡たる煩悩の海

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年03月03日 05:21
ワンギーサさん、おはようございます。今日の内容はとても重要ですね。でも「ちゃんと理解」し、「正しく実践」するにはどうすれば良いのでしょうか?…私なりに考えてみました。1・それが本当かどうかまず自分で確かめてみる。(真理は同じ結論になるはず)2・わかった、十分理解したと思った時点で、他人の疑問や質問に答える。(真理を理解したのなら、それについてのいかなる質問にも正しく答えられるはず)3・修行が進んだと思ったなら、「欲、怒り、無知」を調べる(悟ったなら全ての怒りはどこにもないはず)。以上ですがいかがでしょうか?ご指摘お願いいたします。有難うございました。
高橋優太
2009年03月03日 06:24
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
自分が法に従って(教えられたとおり)実践しているか、注意します。スマナサーラ長老のヴィパッサナー実践に関する本・DVDを見て、やり方が間違っているか正しいか、しっかりブッダの教えに沿うように、実践します。今日もご指導ありがとうございました。今日も一日頑張ります。
まお
2009年03月03日 07:12
ワンギーサ様、新さん、高橋優太さん、おはようございます。
「つもり」病患者にならないように気をつけます。「正しく説かれた法」についてなのですが、釈迦尊が説かれた法が最上で他にはないのなら、他の阿羅漢が説いたのではない限り常に間違いはありうるということですか?釈迦尊の正しく説かれた法をその通り正しく理解し、正しく理解された法に従って実践すれば必ず涅槃に達するのならば、新さんが法を理解し実践するためにどうすればいいのかと尋ねましたが、私もその方法を知りたいです。ワンギーサ様、私からもコメントをお願いします。
ワンギーサ
2009年03月03日 07:16
新さん、高橋優太さん、おはようございます。
新さんへ。何か分かろうとするのでなく、何が分かってないのか、何を誤解しているのか、自分のどこが間違っているのかに、焦点を置いて精進して下さい。そうすれば、自分の考えを人に押し付けることなく、大きな誤りをしなくなります。瞑想の時もその通りです。あえて言うと、真理を発見しようとするのではなく、自分の問題点を発見しようとした方がよいと思います。
ワンギーサ
2009年03月03日 07:20
まおさん、おはようございます。質問は新さんに答えておきました。
高橋優太
2009年03月03日 07:46
ワンギーサ先生、新さんの質問の答え、僕も参考になりました。今の僕の問題点は、怒り、後悔だと思います。怒りに対しては、慈悲の瞑想をします。
後悔は懺悔誓願の文を読みます。
そして怒り・後悔のない状態にして、実践に移ります。これで良いでしょうか?間違いがあったら教えてください。
2009年03月03日 08:14
ワンギーサさん、ご指導有難うございました。自分の問題点を発見する。大変わかりやすいポイントです。有難うございました。
まお
2009年03月03日 08:15
高橋優太さん、おはようございます。

ワンギーサ様へ
すばらしいコメントありがとうございます。とても勉強になりました。ワンギーサ様のこのコメントは日記にメモして、暗記して日々の生活に役立てたいと思います。
身の丈修行者
2015年04月09日 06:51
ワンギーサ長老の分かり易い本分・解説の「・・自分の解釈で、それを理解しようとしてしまう・・「法に従って実践」しない・・ために、彼岸に到達できない・・」から、正しく教えて頂いた事を正しく実践する重要さを感じました。
また、ワンギーサ長老コメントの「自分の問題点を発見しようとした方がよいと思います。」とても参考になります。本日の冥想で早速実践して参ろうと思います。

この記事へのトラックバック