見なさいよ、飾られているこの肉体を病に犯され歳をとるだけ

ダンマパダ 147

見なさい、着飾れているが、
傷だらけで、よせ集められた肉体を
病気がちで、悩まされている
身体には老いないものはなにもない


○この詩から学びこと

 この詩とは直接関係はないのですが、先日ゴータミー精舎で、スマナサーラ長老の「初期仏教教室Q&A」がありました。そこで、生命のネットワークについて質問された方がいました。スマナサーラ長老の「ブッダの青年への教え」という本があり、「生命のネットワーク『シガーラ教戒経』」という副題が付いています。ですから、そのことについてその本に説明がありますが、その方はさらに知りたかったのでしょう。スマナサーラ長老の答えは大変勉強になりましたから、その一分を紹介しましょう。

 生命のネットワークと言うとき、単に生命は単独では生きて生けない、他の生命と支えあって生きているのだと言う単純なことではありません。生命は生命のネットワークとして存在しているだということです。たとえ、ゴキブリ一匹が眼の前に現れば、私たちの心が変わります。一個の生命の心が変われば、世界は変わるのです。このことが分かるには、自我がないことが自覚できなければなりません。いつも『私」「私」と自己主張している人には分からないことです。また、一個の生命の心が変われば、すべてが変わっていることが見えなければなりません。つまり無常がわからければ分からないのです。

 つまり、生命は生命ネットワークとして存在していることが分かる人なのです。これらの人々は生命のネットワークを大切にします。生命のネットワークの調和を大切にします。これらの人々はすべての生命に対して慈しみの心を持っています。困っている生命に対して哀れみの心があります。喜んでいる生命とともに喜びます。生命のネットワークの生命はすべて平等です。これらの人々には差別する心はありません。

 慈悲の瞑想を実践する人の心は広がり、生命のネットワークが分かるようになるでしょう。それらの人々は真理を知る人になるでしょう。以上生命のネットワークについてのお話です。

 さて、今回の詩ですが、生命のネットワークの話と関係がないでしょうか。実は関係があるのです。私が無理にこじつけようとしているのではないのです。私たちが生命のネットワークを理解できないとすれば、それは私たちの自我意識です。ありもしない自我を大切に守っているからです。この自我が自分の肉体を私だと、変わらないもの、美しく、丈夫なものと考えています。しかし、実体は弱く、病気はするし、どんどん老化しているのです。ただ外側を着飾っているだけのです。そのことを直視すれば、肉体にこだわっている自我意識が消えていきます。

 自我意識が消えていけば、自分が生命のネットワークのなかの生命であることが自覚できます。そうすれば、慈悲喜捨の心は育ち、どんどん大きくなります。生命のネットワークの生命が自覚できれば、孤立していた生命では感じられない、真の幸福を実感できるようになるのです。めでたし、めでたし、生命のネットワークは今回の詩のキーワードだったのです。

 この詩に関するスマナサーラ長老のオーソドックスな法話が、日本テーラワーダ仏教協会のホームページにありますので、是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa64.html


○見なさいよ、飾られているこの肉体を病に犯され歳をとるだけ


~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年04月12日 04:30
僧に帰依いたします。おはようございます。
2009年04月12日 04:42
洞察です。帽子を脱ぎます。髪に型がついています。変だなぁ。気になるぁ。直すのが、面倒だなぁ。髪を刈ります。面倒が、無くなります。穏やかです。
2009年04月12日 04:50
洞察です。歩きます。見えます。動きを感じます。クモだ。クモが歩いています。踏まないように。慈悲。私も歩きます。実践。見えます。クモは、壁を上がっていきます。私は、床を歩きます。修行します。
2009年04月12日 04:51
生きとし生けるものが幸せでありますように。
2009年04月12日 05:06
ワンギーサさん、おはようございます。スマナサーラ長老の法話有難うございます。ただ分からないのは、自分の心が変わった時「全て」が変わる。ということです。心の状態によって身の周りの人、環境などは確かに変わります。「全て」が変わること。は推測レベルは出来ますが、確証を得られるかが疑問です。一応無量心を限りなく育てれば、答えが出るものと予想してます。変わらない「私」がいれば病気にならないどころか死んでしまいます。事実を受け入れない「無知」を徹底的に叩くことに精進したいと思います。有難うございました。
あっきん
2009年04月12日 08:09
おはようございます。
生命のネットワークを小規模で考えると人間関係。
大規模で見ると生き物の全てのネットワークかな。
結局自分勝手な人は嫌われる。TVで、将来マグロがなくなるかもと報道していた。人間がネットーワークを壊しているのに気がつかない。この法話道徳・選択とも繋がっている。自分・相手・全体が良くなる道を選びなさいとね。ワンギーサさんとのネットワークも良くしたいです。ありがとうございました。
まお
2009年04月12日 08:40
 皆様の願い事がかなえられますように。
 身体に対する余計な世話をするのは貪瞋痴があるからだと思います。体の美しさなんて錯覚で、肉体は必ず老い衰えるもの。腐る粗大生ゴミなんですね。ありがとうございました。
 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。
2009年04月12日 08:58
ワンギーサさん、ツヨシさん、あっきんさん、まおさん、おはようございます。一応、理論的に「心が変われば全てが変わる」ことは証明できるかと思います。例えば、私の心が変わりゴキブリを殺さないことで、ゴキブリの心が変わります。他の生命についても同様のことが言えます。ここで「私」を「一生命」と置き換えると「一生命の心の変化は他の生命の心をも変える」。それが事実ならば、そのゴキブリの心の変化によってその他の生命の心が変わります。以下同様にして次々と生命の心が連鎖反応的に変化し、上記命題は証明されます。簡単なことですが、あとは実感、実体験に基づいた検証が必要です。その意味ではあくまで仮説に過ぎません。有難うございました。
ワンギーサ
2009年04月12日 11:42
皆さん、こんにちは。日曜日なのに皆さんも早くから活動していますね。ブログの記事には書かなかったのですが、生命のネットワークと業との関係について質問した方もいました。スマナサーラ長老は生命のネットワークは業そのものだという言い方をしていたと思います。生命のネットワークの広大さと奥深さを感じさせますね。天界や地獄にも生命はいます。生命は無始の過去から未来まであります。皆さんの生命のネットワークのイメージイメージを広げようと思って書きました。
身の丈修行者
2015年04月26日 06:26
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「自我意識が消えて・・生命のネットワークのなかの生命であることが自覚・・慈悲喜捨の心は育ち・・孤立していた生命では感じられない、真の幸福を実感できるようになる」心に響きます。
孤立していた生命になっている事に気がつけるか、そしてそれを分かって慈悲喜捨の心を生命全体に持てるか、そのように取り組んでみたいです。

この記事へのトラックバック