法津(のりつ)如来 の独り言

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zoom RSS 肉体はくたびれはてて病気して実に寿命は死で終わるなり

<<   作成日時 : 2009/04/13 04:20   >>

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ダンマパダ 148

この肉体は 老化する
病いの巣であり もろいもの
腐った肉体は 分解し
実に寿命は 死で終わる


○この詩から学ぶこと

 この詩から学ぶことは「肉体はくたびれはてて病気して実に寿命は死で終わるなり」、これだけで十分であると思います。私たちの人生はこれだけなのですから。

 これをどう受け止めるかは、千差万別、いろいろあります。ほとんどの人は嫌だなと思います。わざわざ言わなくともいいと言われ、おめでたい席などでこれを言うと顰蹙(ひんしゅく)をかいます。あるいは病院のお見舞い行ったときは、言ってはいけない言葉のように思うでしょう。この言葉を聞いて、元気の出る人、明るくなる人は、事実を事実として素直に認められる人ですが、あまりいないでしょう。

 この当たり前の事実は、受け入れようと、受け入れまいが関係なく、事実なのですから現実です。この事実を嫌がって悩み苦しむか、事実を受け入れて、明るく賢く生きるかは個人の自由です。しかし、できれば、明るく賢く生きたほうがよいでしょう。そのためにはどうしたらよいか?

 一つの考え方として、荘子の言葉を引用しましょう。
「天地自然は、我々を大地の上にのせるために肉体を与える。そして、ゆったりとした時間がすごせるために、老いの時間を与え、ゆっくりと休めるように、死を与えてくれる。」というものです。老いや死を肯定的に受け入れる考えて示しています。これで納得できる人はこれでよいと思います。

 私は、釈尊がダンマパダ53番で述べられていうことを提案したいと思います。

人として生まれて死ぬべきならば
多くの善ことしようではないか


 人生は生老病死なのです。これは事実なのですから、否定できない前提です。その上でどのような生き方をするかが問題になるのです。前提を否定したり、悩んでも意味のない、無駄なことです。善いことをする生き方、すなわち人に役に立つ生き方をすることが大切なのです。人に役に立ち生き方をすれば、感謝されます。人に役に立つことをすると、満足感や充実感が生まれます。これが幸福です。

 生命は昨日述べた生命のネットワークの中で生まれ、老いて、病気して、死ぬのです。その間、生命のネットワークに支えられ、個々の生命はネットワークを支えるのです。それが役に立つという幸福な生き方なのです。

 この詩に関するスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページにあります。是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa65.html

○肉体はくたびれはてて病気して実に寿命は死で終わるなり

〜私は幸せでありますように〜
〜私の親しい人々が幸せでありますように〜
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

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コメント(11件)

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三宝に帰依いたします。五戒を守ります。おはようございます。
ツヨシ
2009/04/13 05:13
ワンギーサさん、おはようございます。「死」を前提にすることで困難が生じたりします。例えば年金。どうせ死ぬのだから、と考えると年金システムの基盤が崩れてしまいます。何が言いたいのかというと、ヤケッパチになったり、自暴自棄、刹那的になったりしがちではないかということです。私個人の経験ですが、あくまで長生きを前提とする社会と、「死」を前提とする真理の生き方の中間として「もし生きていたらどうしようか?」という発想で生きることを試みてます。年金も預貯金も、万一長生きしてしまった場合には役立ちます。そうした無理のないステップを踏んで生活し、仏教の「死の瞑想」に取り組むと自然といきます。「万一長生きしてしまったらどうしよう?」と心配してみるのもいいものです。有難うございました。

2009/04/13 05:20
おはようございます。
人間の寿命は業によって決まっていると、前回プログに書かれていた。人間ができるには、一つの細胞が分裂して足や手ができる。心が行っているのですが、これは、ネットワークと言わないのですか? 脳細胞は繋がっていると何かで見たからです。ワンギーサさんどう思います? 私の考えすぎかな。 
生きとし生けるものは幸せでありますように。
あっきん
2009/04/13 08:04
 皆様に悟りの光が現れますように。
 私は荘子の言葉には納得できません。
 生命のネットワークとは業であるということと、生命のネットワークとは一体何なのかがわかりませんでした。生命と生命の間でどうやって互いに関係し合うのでしょうか?
 それに対しては慈悲や智慧を育て、善行為をするべきではないかと思います。
 生きとし生けるものが幸せでありますように。
まお
2009/04/13 08:14
まおさん、おはようございます。あくまで私個人の意見ですが、まおさんはこうして毎朝ダンマパダの記事を読んで、心が変わりませんか?そうだとしたら、その日の生き方に影響がありませんか?メカニカルな道具を介してますが、このようなネット社会も生命と生命との関わり合いだと思うのです。そうして、ブログから学び、ダンマを実践する気になれば、それは善行為なのではないでしょうか?それが業だと思うのです。以上私的な感想です。有難うございました。

2009/04/13 08:52
 皆さん、おはようございます。生命のネットワークと業の関係など、私にもよく分からないことを、調子に乗って書き過ぎました。皆さんを混乱させました。しかし、よく分からないことがたくさんあることを知っておくのも悪くないと思います。
 ツヨシさん、その気持ちで生活してください。決して不幸にならず、幸福になります。
 新さん、寿命があるうちは、生きることができますから、長生きしたらどうしようなど心配しなくといいと思います。寿命がなくなれば死にます。
 あっきんさん、生命のネットワークとは、生命のインターネットですよ。いろいろなサイトが繋がっていると同時に個々のサイトも更新され、変化しているのです。ですから、一つの細胞が分裂して、手足ができるのは一つのサイトが更新され成長しているのと同じようなものです。
 
ワンギーサ
2009/04/13 09:21
 まおさん、おはようございます。荘子の言葉は納得できなくてもいいのです。私は、人間が生まれて、老化して、病気して、死ぬのだという事実を拒否しないで、受け入れる考え方の一つの例として書いただけです。「生命と生命の間でどうやって互いに関係し合うのでしょうか?」心と心で関係しあっているのです。例えば、AがBに「おはよう」と言えば、Bは「おはよう」と言い返します。そのとき、言葉や笑顔で関係を持ちますが、基本は心と心で関係を持ちます。それが生命のネットワークです。
ワンギーサ
2009/04/13 09:25
ワンギーサさん、ご指摘有難うございます。一応自分としては、「死は確実、生は不確実」ということと、「善因善果」が今生に現れることをまとめて書いたつもりです。(死後のことはわかりません。)日々精進することがベストだと思います。有難うございました。

2009/04/13 11:55
 皆様が幸せでありますように。
 新さん、ワンギーサ様、コメントありがとうございます。生命特に人間は身口意や六処と所縁で関係を持つが、実際は心によってお互いに関係し合っているということかなと考えました。
 生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。
まお
2009/04/13 14:35
懺悔いたします。食べます。目の前に人が居ます。あれを言われるかも。不安。何て、言い返そうか。こう言い返そう。対策。食べるのを終わります。穏やかです。結局、言われませんでした。不安は、ネットワークにならないようです。解脱の道へ導かれますようにと、ここに誓願をいたします。
ツヨシ
2009/04/13 19:11
この詩ワンギーサ長老のご指摘通り、日常で口にすると嫌がられる結果になる事が多そうですね。
特に社会では、体を大事にしたり華美にする商品でお金を得ている方もいて、このような詩は特に嫌がられそうです。
この詩の事を自覚し、日々出来る範囲で人に喜ばれ・充実感を感じる事が出来るような、そして心が明るく透明で・安定するように成長出来るような、そんな生き方を実践して参りたいです。
身の丈修行者
2015/04/26 07:48

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