灰色の投げ捨てられた骨を見て欲を起こすか修行者たちよ

ダンマパダ 149

投げ捨てられた
秋の瓜のような
灰白色の骨を見て
誰が喜べるのか


○この詩から学ぶこと

 この詩は、この詩だけを読んだのでは分かり難いのです。釈尊が次のような状況のもとで、弟子たちに述べた言葉です。詳しくはスマナサーラ長老がこの詩に関するホームページの法話の述べていますのでそちらを参照して下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa66.html

 ここでは、概略を書きます。釈尊に瞑想指導された弟子たちは、森へ行って瞑想修行を行いました。森の中は瞑想の邪魔になるものがなく、弟子たちの瞑想修行は進み、深い禅定に入ることができまし。弟子たちは自分たちは悟りの境地に達したと勘違いして、釈尊の元に報告に行きました。
しかし、釈尊はこれを察知され、アーナンダ尊者に彼らを死体置き場につれて行くように指示されました。死体置き場には、捨てられた日によって白骨化したものや、ぼろぼろになったもの、膨らんだもの、膿みや内臓が飛び出したもの、まだ新しい女の死体もありました。弟子たちは気持ち悪い思いと、同時に性欲も現れました。彼らは動揺したのです。その時、釈尊は、「投げ捨てられた 秋の瓜のような 灰白色の骨を見て 誰が喜べるのか」と述べたのです。

 私たちは、外部からの刺激がない時は、心が落ち着いて、瞑想が進んだと勘違いします。それは単に心を刺激するものがなかったというだけで、瞑想が進んではないのです。そのような状況を悟ったと思うのは大変な間違いなのです。

 比丘の守るべき戒律の中で、最も罪の重いものに波羅夷(はらい)という戒律があります。1.性的な関係を持つこと。2.与えられないものを盗むこと。3.人を殺すこと。4.悟ってないのに悟ったと言うこと。以上の4つですが、この戒律を犯すと即破門になります。

 今回の詩の場合は、悟ったのではないかと勘違いしただけで、まだ悟ったと言ったわけではないので、波羅夷の第4戒条を犯したわけではありません。しかし、この戒条を犯す危険性があるので自分が悟ったのではないかと思うことには注意が必要です。これは比丘の戒律ですので、在家の方には関係ないのですが、悟ってもないのに、悟ったと言うことは、周りの人々を混乱させる迷惑なことであります。また、もし悟ってもないことを自覚して、悟ったと言うのであれば在家の人であっても確実な妄語ですから、五戒の違反です。

○灰色の投げ捨てられた骨を見て欲を起こすか修行者たちよ

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年04月14日 04:34
三宝に帰依いたします。五戒を守ります。おはようございます。
2009年04月14日 04:57
ワンギーサさん、おはようございます。現代日本のように過剰に欲を刺激し、企業がサービスを向上に努める一方で、消費者がちょっとのことで不満や怒りを抱く硬直した「ストレス社会」では「悟ったつもり」もなかなかないと思います。むしろ、社会不安の結果「世捨て人」となる危険性をはらんでいるかもしれません。在家としてで注意すべきは、世の中に対する恨みつらみが修行の原動力となってないか?だとは思ってます。失敗を仏教で見返してやろうと思ったら最悪だと。有難うございました。
2009年04月14日 05:01
ただ、世の中に対する恨みや失敗を仏教を通じて自ら「克服」するのはいいことだと思います。
2009年04月14日 05:03
懺悔いたします。見えます。色。体。女性。美しいな。性欲。あやまち。洞察します。体は汚い。汗。肉。悪臭。性欲が消えます。修行を続けます。
2009年04月14日 05:33
「花も恥じらう」が死語になったように最近の若い女性は細やかな女らしさがなく、色気がありません。歩きタバコや男言葉の濫用、パンツ丸見えの座り込みなど、街中でも汚く品のない女性が増えたと思います。残念なことでもありますが、私は今どきの女性を特別綺麗だとは思いません。しかし、一万人に一人くらいは女性らしい女性がいるものでその時は「いいな。近付きたいな」と思います。今日の法話を読んでふと思いました。有難うございます。
あっきん
2009年04月14日 06:39
おはようございます。
 ワンギーサさん、昨日の返答ありがとうございます。帰りが遅かったので失礼しました。
比丘が解脱まで到るまで、いろいろなパターンで因縁物語に書かれ面白い。森で修行していたんだ。そして煩悩を全て無くすのは、かなり能力が必要なのかもしれませんが、事実をありのままに見るよう心がけたいです。
まお
2009年04月14日 08:54
 皆様の悩み苦しみがなくなりますように。
 捨てられた秋の瓜とは乾燥させたヘチマみたいなものでしょうか。体も肉が腐り落ちれば骨になりますね。皆が知っている体はただの物体なんですね。自分勝手な感想や妄想や感情の対象ではなく、事実を客観的に理性的に観察することなんですね。
 新聞を見ていて自分勝手な妄想や感情がありました。物事をありのままに観る訓練をしようと思います。
 生きとし生けるものの願い事がかなえられますように。
2009年04月15日 03:24
休み時間。一人になります。静かだ。穏やかです。休み時間が終わります。人に会います。うるさい。怒り。穏やかが、消えます。生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。
身の丈修行者
2015年04月27日 07:52
私は今年からになりますが、冥想合宿等に身の丈で参加させて頂いています。
そこで「○年修行している・・」みたいな話題が出る事があります。ですが、年数ではないみたいですし、何より「○年修行して悟りまして・・」の方向に話が出たら、もうその人は偽者という事になる様子と知りました。
本当に悟った人は○年修行しているとか悟っていると話題にする事はないみたいですね。
その他に長老は阿羅漢・・という話も不毛と知りました。
注意する所なんだなと分かり、安易に話題にしないように戒めています。

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