極端な破戒行為をする人は自分自身を地獄に落とす

ダンマパダ 162

極端な破戒を行う人は
まるで自分の敵がするように
自分自身を不幸にする
つる草がサラの木にまとい付くように


○この詩から学ぶこと

 この162番の詩の趣旨は、今年の1月28日のブログに掲載した42番の詩とよく似ています。つまり、破戒(悪行為)をすることは、自分自身を苦しめることなのだと釈尊は繰り返し教えておられるのです。http://76263383.at.webry.info/200901/article_28.html

 また、この162番の詩についてスマナサーラ長老は、日本テーラワーダ仏教協会のホームページで、この詩の「つる草」が「マールワー」という名前の蔓で、そのつる草の特徴にまつわる、この詩の興味ある因縁物語を紹介されておられます。是非お読み下さい。
http://www.j-theravada.net/howa/howa77.html

 今回は、皆様に問題を出そうと思います。それは次のような問題です。正解を出そうと思わなくて、結構です。自分の考える回答をコメントに書いていただけると、大変ありがたいと思います。明日の詩の解説とともに、私の回答を書いてみたいと思います。宜しくお願いします。

 「なぜ、人は自分が不幸になるのに、悪いことをするのでしょうか?」



○極端な破戒行為をする人は自分自身を地獄に落とす

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年04月25日 04:26
おはようございます。
2009年04月25日 04:35
「なぜ、人は自分が不幸になるのに、悪いことをするのでしょうか?」悪くないことを知らないからです。
2009年04月25日 04:37
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
2009年04月25日 04:45
お金を三宝にお布施するには、どうしたらいいですか。テーラワーダ仏教協会の口座に、「お金を三宝にお布施します」と、通信欄に書いて、振り込めばいいですか。
2009年04月25日 07:02
ワンギーサさん、ツヨシさん、おはようございます。目先のこと(快楽など)にとらわれて「悪因悪果」をまるで信じてない、無視してますね。それを信じていても、何が「悪か?」を履き違えている。やはり本来の姿が「無知」に支配されているからでしょうか。有難うございました。
高橋優太
2009年04月25日 07:25
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
悪いことは簡単にできるからだと思います。
ありがとうございました。
2009年04月25日 07:38
そして、何が「悪か?」を知っていても、その制御方法を知らない。例えば怒るのはよくない、とわかっていてもどうすればよいか?など。ひとつ付け加えれば、それが何故「悪か?」に本心では納得してない。さらに、仏教を学んで制御方法を知ったとしてもなかなか実践しない。実践したとしても正しくきちんと実践できない。やはり「無知・無明」が元凶でしょうか。
あっきん
2009年04月25日 07:48
おはようございます。
ワンギーサさん昨日はありがとうございました。
悪い事をするか?心の元々の機能だから。欲・怒り・無知で。良心も多少はあるけれど、パワーが弱いのでその心を育てましょうと教えているのだと思います。
まお
2009年04月25日 08:53
 皆様の悩み苦しみがなくなりますように。
 私は正しく善く語ることができません。だから間違っているかもしれません。だからコメントしません。
 本当に仏教を理解しているのかわかりません。
 生きとし生けるものの願い事がかなられますように。
線香花火
2009年04月25日 15:57
ワンギーサさん、皆さん、こんにちは。
ワンギーサさんの「なぜ、人は自分が不幸になるのに、悪いことをするのでしょうか?」の問いかけを毎日自分自身に問いかけていましたので、答えてみます。
業、渇愛、そして無明。生きる上で、すべて選択と判断をしていると知った時に自分の判断を注意深く観ようと思うようになりました。不幸になるような判断はしたくないと。
でも、智慧がないので幸福になるような判断をするのが、非常に難しいと感じています。例えば、食している時、ゆっくり噛んでまだ飲み込みたくないと思っていても注意深く観察しているつもりでいても、あっと言う間に飲み込んでしまうことがあります。ありのままを観察しているようで出来ていない。一事が万事このような生き方をしていると幸せにはなれないだろうと愕然と肩を落としてしまいます。これが業なのかなとも思います。そしてどうすることも出来ないほどの渇愛、生に対する執着。>>続く
線香花火
2009年04月25日 15:59
ヴィパッサナー冥想と慈悲の冥想を実践していて、執着が少しでも無くなるのではと期待している自分、無くなるどころか不幸であっても解脱はしたくない。また生まれ変わって今まで出合った人々にまた巡り会いたいなどと思ってしまう自分がいます。それらの感情は、やはり真理を知らず、無明の世界にいることの証明だと思います。そして幸せになりたいと言う自我が、重たい鎖のようにからまり、縛りつけているのではないかと感じていた今日この頃でした。

生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように。
高橋優太
2009年04月25日 19:17
ワンギーサ先生、皆様、こんばんわ。
今、横浜に来ました。
さっきのコメントの追伸です。
無常に逆らう気持ちがあるからではないでしょうか?
(というより無常を知らないからかな?)
変化を認めたくなくて怒ります。変わると知らないので欲張ってしまいます(執着します)。
無常を知らない無知があるから悪いこと(不善行為)をするのでは、と思います。ありがとうございました。

一切の過ちを懺悔いたします。
すべての生命が幸せでありますように。
髙橋優太
2009年04月25日 19:20
今、横浜に来たと書きましたが、数時間前なので今ではないです。間違いました。ごめんなさい。
生きとし生けるもが幸せでありますように。
ワンギーサ
2009年04月25日 19:27
皆さん、こんばんは。
問題のにコメントありがとうございます。私の回答は明日のブログで書く予定です。
ツヨシさんへ、三宝へのお布施は日本テーラワーダ仏教協会あてに、郵便振込をすればよいのです。その際、通信欄の旨を記入して下さい。
2009年04月26日 05:08
ワンギーサさんへ、コメントありがとうございます。お布施のこと、わかりました。
身の丈修行者
2015年04月30日 12:28
質問「なぜ、人は自分が不幸になるのに、悪いことをするのでしょうか?」に、参加させて下さい。
・無明で不幸になる事が分かっていないからやってしまう
・無明で不幸になる事への恐ろしさが分からず、軽く判断してしまう等で、退避行動を実行するまで至らないから
でしょうか。明日の回答が楽しみです。

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