悪いこと為にならぬこと為し易い為になること実に為し難い

ダンマパダ 163

悪いことは為し易い
また自分の為にならないことも
為になることと善いことは
実にきわめて為し難い


○この詩から学ぶこと

 「なぜ、人は自分が不幸になるのに、悪いことをするのでしょうか?」という問題を昨日皆さんに提起しました。それに対して、高橋優太さんが、「悪いことは簡単にできるからだと思います。」とコメントしてくれました。それは今回の詩で、釈尊が仰られたことと同じです。悪いこと、自分の為にならないことは、為し易いから、悪いことをするのですね。

 しかし、この答えでは、直ぐ次の問題が出てきます。それは、なぜ「悪いことは為し易い また自分の為にならないことも 為になることと善いことは 実にきわめて為し難い」のでしょうか?

 昨日の他の方々は、この問題にも答えてくれていたのです。これは私の計画でもありました。昨日の私が提起した問題の答えは、今回の163番の答えでもあるはずだからです。

 以前、どこかで書いたかも知れませんが、私はスマナサーラ長老に、「なぜ、悪いことはし易く、善いことはし難いのですか?」と質問したことがあります。スマナサーラ長老は「あほだからだ。」とお答えになりました。たしかにその通りですが、その答えをよく考えてみる必要があります。

 ツヨシさんは、「悪くないことを知らないからです。」と答えてくれました。その通りです。普通、善行を知らないのですね。ヴィパッサナー瞑想も慈悲の瞑想も知らないでしょうし、三宝にお布施をしようなどという考えはまったくありません。ツヨシさんは早速、お布施をしようと考えたようです。

 新さんは長老の仰られた「あほだからだ。」をさらに分析して、「本来の姿が『無知』に支配されているからでしょうか。」「そ して、何が『悪か?』を知っていても、その制御方法を知らない。例えば怒るのはよくない、とわかっていてもどうすればよいか?など。ひとつ付け加えれば、 それが何故『悪か?』に本心では納得してない。さらに、仏教を学んで制御方法を知ったとしてもなかなか実践しない。実践したとしても正しくきちんと実践で きない。やはり『無知・無明』が元凶でしょうか。」と答えてくれました。

 あっきんさんは「心の元々の機能だから。欲・怒り・無知で。良心も多少はあるけれど、パワーが弱いのでその心を育てましょうと教えているのだと思います。」と要点をまとめてくれました。

 線香花火さんは、二回目のコメントかな。ありがとうございます。「これが業なのかなとも思います。そしてどうすることも出来ないほどの 渇愛、生に対する執着」が問題の答えだと述べられています。また、「執着が少しでも無くなるのではと期待している自分、無くなるどころか不幸であっても解脱はしたくない。また生 まれ変わって今まで出合った人々にまた巡り会いたいなどと思ってしまう自分がいます。」と悩みも述べられていました。

 高橋優太さんは追伸で「無常を知らない無知があるから悪いこと(不善行為)をするのでは、と思います。」と答えました。

 皆様、コメントありがとうございます。このように、皆さんの御意見をリストアップすると、要点はすべて出ていると思いますが、私が付け加えれば、次のようになります。

 何が不幸になることなのか、何が幸福になることなのか分かってないということがあります。悪いことをすると不幸になると分かってないということもあります。その前に何が幸福で、何が不幸なのか分かってない。無知だということです。ですから仏教を学ぶ必要があるのです。仏教は幸福な生き方を学ぶことなのです。

 また、生きているとは欲と怒りと無知の煩悩で生きているのです。ですから、私たちの行動の衝動は、欲と怒りと無知です。考える時も、話す時も、身体を動かす時も、欲、怒り、無知のパターンで行うのです。それ以外はできないのです。この行動パターンから抜け出すためには、仏教の知識と理解や精進が必要です。ダンマパダを学ぶことは、善いこと、自分の為になる困難なことを実践するための大きな力になると思います。

 この詩に関するスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページにあります。この法話はスマナサーラ長老のお答えが示されいるといってもよいものですから是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa78.html

○悪いこと為にならぬこと為し易い為になること実に為し難い

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年04月26日 05:14
三宝に帰依いたします。生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。おはようございます。
2009年04月26日 05:22
ワンギーサさん、おはようございます。問題の答え楽しみにしてました。私の最初のコメントは説明不足のようでしたが、ワンギーサさんがより明確でわかりやすく説明してくれて自分の理解が深まりました。幸福とは快楽の追求のみにあり、善悪などは一切無視する。という考えがひとつ。そして、「善果」を期待しても、その解釈が間違っているので、つまり幸福とは何か?を知らないので、「善因善果」のつもりが「悪因悪果」になってしまう。というのがもうひとつ。社会の幸福を実現するには戦争も辞さない。正義のための戦争なら悪ではない。悪人を殺せばその善行為によって天国に生まれ変わる。などの考えがその一例です。悪を履き違えている、というより、善を履き違えている。「善因善果」を知らない。と言った方が正しかったようですね。ところで、「悪」を撃退してやろうという気持ちにも「怒り」があったりするし、修行の成果を期待し過ぎて「欲」になったり、成果が芳しくないと「怒り」の感情がでやすくなるので、その辺にも十分注意したいと思います。有難うございました。
2009年04月26日 05:23
ツヨシさん、おはようございます。
あっきん
2009年04月26日 07:51
おはようございます。
以前プログで、心は癖が付きやすいとあったのを思いだしました。なるほどと思ったのに。良いことは忘れやすく、嫌な事とかよく憶えている。逆だといいのですが
懺悔いたします。
無明の闇に覆われて、身・口・意の三業に犯してしまったあやまちがあります。いっさいのあやまちを懺悔します。また自分が受けた他の人々のあやまちも許します。
線香花火
2009年04月26日 10:19
ワンギーサさん、皆さん、こんにちは。
ワンギーサさん、ありがとうございます。
何が一番の幸福か。それは解脱することだと思います。

私は、今まで怒りの心で冥想をして来たのか、とご紹介下さった法話を読んで思いました。心を清らかにしたい、でも解脱はしたくない。解脱はしたくないという心は、明らかに悪を選択していることになりますね。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年05月01日 07:39
無知・無明の行動パターンに陥っている・・方は多いと思います。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「仏教の知識と理解や精進が必要です。ダンマパダを学ぶことは、善いこと、自分の為になる困難なことを実践するための大きな力になると思います。」心に響きます。
○上記とご縁を持てているか・いないか。
○上記を大切な事として認識でき、そして実践出来るか・出来ないか。
それで生き方は180度変わるように思います。
ご縁を頂いている事を喜び、そして実践・精進して参りたいです。


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