阿羅漢の教えを非難する人は結果が熟すと己が滅びる

ダンマパダ 164

真理に従って生きている
阿羅漢たちの教えを
悪い見解によって
愚かにも非難するならば
カッタカ草のように
実が熟すと己が滅びてしまう


○この詩から学ぶこと

 この詩を要約すると、「阿羅漢を非難すると自分が滅びてしまう」ということです。そうすると現代人は、なぜ阿羅漢を非難すると、自分が滅びるのだろうという疑問が出てくるのではないかと思います。阿羅漢も同じ人間ではないか、それを非難してどこが悪いと思うのではないかと思います。

 しかし、これは大変な大間違いを犯しているので注意をする必要があります。このことを、少し現代的な解釈をします。阿羅漢を非難することは、単に阿羅漢である人間を非難していることではないのです。阿羅漢は、最終的な悟りに達して、真理に従い生きていて、その教えは真理なのです。ですから阿羅漢を非難するということは、真理を非難するということです。真理を非難するということは、自分の考え方が真理に反するということです。また単に真理に従わないというだけでなく、真理を攻撃することです。

 阿羅漢の説く真理は、人々を解脱・涅槃に導き、真に人々を幸福にする教えですから、自分自身が幸福になる道を閉ざすだけでなく、多くの人々が幸福になる道を進むことを妨害することになります。ですから、多くの人々から嫌われ、非難されることになります。そうすれば、阿羅漢を非難する人は不幸にならざるを得ないのではないでしょうか。すなわち己が滅びてしますのです。地獄に落ちると表現されることもあります。非常の恐ろしいことです。くれぐれも注意したほうがいいのです。少し脅かすような書き方をしてしまいましたが、阿羅漢は非難するのではなく、自分の無知を自覚して、学ぶものなのです。そうすれば、解脱・涅槃、幸福への道が用意されているのです。

 上の詩の「カッタカ草」は竹の種類のようです。竹は花が咲き、実が結ぶと枯れてしまうのです。そのように、人間も悪い見解の実が結ぶと、自分が枯れてしまう、滅びてしまうと述べられているのです。

 この164番の詩について、スマナサーラ長老は私と全然ことなる仕方で、すなわち「本物と勘違い」~真実の道は地道に歩むもの~というテーマで解説されております。日本テーラワーダ仏教協会のホームページにありますから、是非お読み下さい。
http://www.j-theravada.net/howa/howa79.html


○阿羅漢の教えを非難する人は結果が熟すと己が滅びる

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年04月27日 04:25
三宝に帰依いたします。おはようございます。無知を自覚します。生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
2009年04月27日 05:10
ワンギーサさん、ツヨシさん、おはようございます。真理を非難する場合というのはやはり感情的な場合なのでしょうか。仏教では、真理を吟味したり、疑問を呈したり、批判や議論することは真理を鵜呑みにすることよりもよいことである。とは認識してます。それは理性的な態度だからです。たちの悪いのが、知識人による感情的な真理批判です。感情を土台しながらも一応論理的に語れるし、それに影響力が強いですからです。その原因のひとつは勉強不足です。ある教義を非難する場合はその教義を知り尽してなければ、とは思います。お釈迦様がそうでした。最近では神学で有名な佐藤優さんが、鎌倉時代以降の仏教ではなく、南伝仏教の教え、アビダルマに関心をもたれて勉強されていると知り、共感すると同時に真理の探究態度について考えさせられました。非難するとは大変なことなのですね。有難うございました。
あっきん
2009年04月27日 07:22
おはようございます。
阿羅漢の教えを非難する事は、非道徳的な生き方となるのでしょうか。”困った時はダンマパダ”休みの時にでも、もう一度見てみます。
髙橋優太
2009年04月27日 07:42
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
昨日はありがとうございました。スマナサーラ大長老の講演会は本当にすばらしかったです。
お釈迦様がどれほどすばらしいかわかりました。

ワンギーサ先生へ。
今日の講演会はいけませんが、明日は参加させていただきます。よろしくお願いいたします。三宝に帰依いたします。生きとし生けるものが幸せでありますように。
2009年04月27日 12:23
高橋優太さん、こんにちは。明後日の水曜日じゃないですか?
2009年04月28日 00:56
教えの通りにやっているのに、苦しいではないか。非難。悪い見解をしているようです。あやまち。ヴィパッサナーします。
身の丈修行者
2015年05月01日 07:44
真理を知る事が出来ても、お坊様のその生き様を見る機会がなければ、実践は難しいと思います。
生きた教え、という表現も有るでしょうか。
尊敬できる御坊様がいて下さる事、至福です。
お布施をさせて頂ける機会を頂ける事も幸いに思います。こちらも実践し、功徳を積ませて頂きたいです。

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