乱暴な言葉を使うな不愉快だ言われた人は言い返すだろう

ダンマパダ 133、134

乱暴な言葉を使うな
言われた人々は言い返すだろう
怒りの言葉は不愉快である
報復が汝に及ぶだろう (133)

こわれたドラのように
汝自身が冷静であるならば
これが涅槃の境地である
汝には怒りの言葉はない (134)


○この詩から学ぶこと

 この詩は「言葉」について述べられたものです。スマナサーラ長老は、言葉は核燃料のようなものだと述べておられます。核燃料は原子力発電のように平和利用もできますが、原子爆弾にも利用できるのです。扱いかたの難しいものであるということです。同じように言葉も、人間の関係をよくすることにも使われますが、言葉一つで喧嘩、戦争まで発展するという危険な扱いの難しいものです。詳しくは日本テーラワーダ仏教協会のホームページのスマナサーラ長老の法話をお読み下さい。
http://www.j-theravada.net/howa/howa55.html

 ここではこの詩の言葉にそって、少し説明します。133番の詩について。言葉には意味ばかりでなく、その言葉を使う人の感情が含まれます。同じ単語を使っても、言い方で、聞いた人には異なった印象で受け止めるのです。乱暴な言葉には、多くは怒りの感情があるように聞かれます。ですから、乱暴な言葉は使わないようにした方がいいのです。聞く人は怒りを含んだ言葉を聞くと、反発を感じます。そうすると聞いた人は、同じように怒りの感情を含んだ言葉を言うようになります。これは怒りの言葉の悪循環を生みます。怒りを含んだ言葉は、乱暴な言葉は不愉快なものです。

 ここで注意しなければならないことがあります。イライラが癖になっている人は、自分がイライラが癖になっていることに気づかないように、いつも乱暴な言葉を使っている人は、自分が乱暴な言葉を使っていることに気づいていない恐れがあります。そして、このような人は周りに乱暴な言葉の悪循環を撒き散らす迷惑な人なのです。このような人にならないように、自分の言葉の使い方がどのようなものかチェックしてみる必要があるのではないでしょうか。慈悲の瞑想を実践していると、自分の乱暴な言葉に気づき易くなります。

 134番の詩について。こわれたドラは叩かれても音がしないのです。ですから、乱暴な言葉で叩かれても音がしません。つまり、乱暴な言葉で、何か言われても、冷静でいるのです。このような人は自分の感情を制御できる人であり、怒りの感情、怒りの煩悩が消えた人なのです。怒りの感情は無知、無明と伴っています。ですから、このような人には無知、無明の煩悩がないのです。このような人は涅槃の境地に達しているのです。もちろん、このような人には怒りの言葉はないのです。

乱暴な言葉を使うな不愉快だ言われた人は言い返すだろう (133)
乱暴な言葉言われても冷静な人怒りなく涅槃の境地 (134)

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
 

この記事へのコメント

2009年04月03日 05:37
ワンギーサさん、おはようございます。慈悲の瞑想をしていると多少乱暴な言葉でも相手はあまり反応しないようです。怒りの感情で丁寧な言葉を使っても反感をかったりします。しかし、慈しみの心で優しい言葉を使用し、怒りの心で乱暴な言葉を使用しない注意こそ大切だと思いました。言葉に核燃料のようなエネルギーがあるなら、美しくいい言葉に接するのはいいかもしれません。逆もそうだと思います。有難うございました。
2009年04月03日 05:47
 おはようございます。
 話しかけられます。挑発的だな。怒りを感じます。口調を揃えると、相手への理解になるだろう、と思う。乱暴に話します。怒り。混乱。さらに、話しかけられます。無知だな。調子に乗っているな。つぶそうとしているな、と感じます。会話が無駄話になっている、と思う。「話すことから、離れた方がいいよ。君は会話の中毒になっていますよ。」と、外から声がかかります。離れます。怒りが、消えます。乱暴に、乱暴を返すと、外にも不愉快を感じさせるのだろう、と思います。乱暴で返すのをやめました。穏やかです。
あっきん
2009年04月03日 08:02
おはようございます。
  ”心は無常”
 知り合いのゴジラ君は、忙しくなると火をはいて攻撃する。いつしか「いつキレるかな~ アハハ」と心待ちするようになった。しかし近ごろ様子が変。怒らない。
やはり心は無常と納得する。ご飯を食べないからキレるのでなく、慈しみの心だと思います。
コーヒー
2009年04月03日 08:06
初めてコメントします。ワンギーサ先生おはようございます。そしてこのブログを、お読みになっている皆様おはようございます。
「言葉」は大切ですね。その人そのものと、感じます。もちろん自分にも守るべき八正道の「正語」。実践してまいります。皆様と、共にこのブログを通してたくさんの事を学べることに感謝いたします。
高橋優太
2009年04月03日 08:20
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。相手に過失があり、そのことについてキツい言葉を言って直そうとしても問題は解決しないなあ、と最近思います。自分が間違いをしたとき、「それよりはこっちのやり方がいいですよ。」とニコニコ言われると直す気持ちになります。逆に失敗に対して攻撃されると、直す気持ちもなくなります。自分がキツい言葉を嫌っているので、皆が聞いて喜ぶ言葉、楽しい言葉を言うよう気を付けます(けっこう難しいですが)。言葉は核燃料だと思い慎重に扱います。生きとし生けるものが幸せでありますように。
まお
2009年04月03日 09:44
 ワンギーサ様、新さん、ツヨシさん、あっきんさん、コーヒーさん、高橋優太さん、皆様、おはようございます。
 言葉にも思考にも無知、無明、怒りの感情が入り込まないように注意し、慈悲喜捨の心を心がけます。
身の丈修行者
2015年04月23日 06:28
老人介護の現場で働いています。
被害妄想や自分中心の訴えを繰り返すお年寄りの対応に困る事があります。
その時にかける言葉次第で、更に不穏にさせる事があります。かと言って相手の言いなりになれば良い訳でも勿論ありません。
その時なりの丁寧な応対をしながら慈しみの気持ちを持ってコミニケーションを取っていると、何時しか相手が落ち着く事があります。安心する様子を感じます。
投げかける言葉に自分の感情がついて、両刃の剣にならないように注意したいです。

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