卑しくて気付のない生活と悪見持つな雑事増やすな

ダンマパダ 167

卑しい行為をするな
気付きのない生活するな
悪い見解を持つな
世間の雑事を増やすな


○この詩から学ぶこと

 今回の167番の詩から178番の詩まで、「第十三 世間の章」になります。この[世間]はパーリ語では「ローカ」ですが、世間、世の中、世界などと訳されますが、生命という意味にとったほうが分かりやすい場合があります。

 さて、この詩では、私たちが幸福に生きるために、必要なことを四つにまとめて、分かり易く教えています。

1.「卑しい行為をするな」 卑しい行為とは、欲と怒りと無知に基づく行為です。
 欲に基づく行為は卑しいのです。生きるためには欲は必要ではないかという意見をよく聞きますが、生きるためには、欲ではなくて、必要かどうかで判断すべきです。生きるために、食べ物や水は必要です。これらの必要のための行為は卑しくないのです。欲に基づく行為は際限がなく、私たちの心と身体を蝕むのです。

 怒りに基づく行為も卑しいのです。正義の怒りがあるという意見があります。正義の怒りはありません。正義には怒りは必要ないのです。正義に怒りが付いたとたん、それは主観的はわがままになります。正義に怒りは必要ないのです。怒りは他人を害するばかりでなく、自分を害する毒であり、爆弾です。

 無知に基づく行為は卑しいのです。さすがに、無知は生きるために必要だとか、正義の無知があるという意見はありませんが、私たちの行為はすべて無知に基づいて行われていると言っていいのです。自分の望むことを行わず。自分の望まないことを行っているのです。それは理性に基づいて行為せず、無知に基づく感情で行為するからです。

2.「気付きのない生活するな」 卑劣な行為をしないためには、自分の行為を監視しておく必要があるのです。それは気付きのある生活をすることです。不放逸な生活をすることです。八正道の正念を実践することです。

3.「悪い見解を持つな」 これはかなり難しいのです。特に日本では、何が悪い見解は分からないほど世の中が混乱しているからです。スリランカやタイやミャンマーなどの仏教国では、ブッダの教えが正しいという常識がありますから、日本ほど自殺や親殺し、子殺し、離婚などはないようですが、それでも欧米の現代思想が入り込んで悪い見解が増えているそうです。悪い見解を持たないようにするためには、仏教を学ぶ以外にはありません。仏教を学び、実践して悪い見解を持たないようにする必要があります。

4.「世間の雑事を増やすな」 この行の直訳は「世間を増やすな」なのですが、それでは意味がとりにくいので、私は「世間の雑事を増やすな」としましたが、スマナサーラ長老は「世俗のわずらいを増やすなかれ」とされています。「世俗の価値を増やすな」でもいいかなと思います。つまり世間で価値を置いていることを増やさないことです。財産を増やすこと。家族を増やすこと。名誉や名声を手に入れること。芸術作品、趣味や娯楽など。

 これらは世間で価値を置いていることです。世間の雑事で、世俗のわずらいなのです。これらはすべて私たちの悩みや苦しみを作りだしているのです。ですから、これらを増やさないことは非常に大切なのです。できれば、これらを減らし、なくすことができれば、悩み苦しみをなくせるのです。このことは、私たちの執着をなくすことであり、解脱、涅槃への道なのです。

 この詩のスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページにありますから、是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa82.html

○卑しくて気付のない生活と悪見持つな雑事増やすな

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年04月30日 05:11
三宝に帰依いたします。五戒を守ります。懺悔いたします。生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。おはようございます。
「休みの日に何もしないのなら、仕事に来るか」「行きます」雑事が増えましたか。仕事に気付きがあるなら、不放逸でしょう。監視します。
2009年04月30日 05:29
ワンキーサさん、おはようございます。今日の内容は難解に感じました。何故この四つなのか?お互いは関係してるのか?という疑問が生じました。そこで自分なりにほぐして、しっくりくるようにしてみました。まず、財産を得ること自体は決して卑しくはありません。それを人々の役立つように使えば、有難いことだと思います。財産を得ることだけに「価値」をおくことが大問題。何故そうなるのか?無常を忘れているからです。そして無常を無視した考えは基本的な悪い見解だと思います。ではどうすれば、そうならないか?正念を実践することだと思います。ではどうすれば気づきを実践するようになるのか?それは、欲、怒り、無知に基づく行為は卑しいことである。としっかり納得することだと思います。……以上強引で間違ってる可能性がおおいにありますが、あくまで個人的な試みです。有難うございました。
2009年04月30日 05:52
上記コメント文の「無常を知らない」「無常を無視した考え」を「無常を否定している」「無常を否定した考え」に変えた方がよいようです。
2009年04月30日 05:55
「無常を知らない」ではなく「無常を忘れて」でした。
あっきん
2009年04月30日 08:00
おはようございます。
今までのまとめのような章ですね。
人生にとって限られた時間、有意義に使い仏教を学び心を清らかにする。やはり、私は死なないと思う事じたい大間違い。どう生きるかテーマ。同じ内容でもいろんな角度から教えてるのが、面白い。
身の丈修行者
2015年05月02日 12:54
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の中の「世間の雑事で・・悩みや苦しみを作りだしている・・これらを増やさない・・これらを減らし、なくすことができれば、悩み苦しみをなくせる・・私たちの執着をなくすことであり、解脱、涅槃への道・・」心に響きます。
俗世間の中で思いっきりそれらに溢れていると思いますので、長老の言葉を実践し出世間を目指したいです。

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