この世界彼の境地に達しない理解を超えて理解できるか

ダンマパダ 179

ブッダの勝利は壊れない 
この世でだれも彼の勝利に到達しない
ブッダの境地は無限である
理解を超えた彼をどのようにして理解できるのか



○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200806/article_7.html

○スマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会ホームページより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa94.html

○今日のコメント

 179番の詩の訳を少しかえました。また、今回の179番から195番までは、「第14 ブッダの章」になります。

 先日、紹介した「呻吟語」に次のような文章があります。「儒教、道教、仏教、この三つの教えの要点は、静の一字に尽きます。手始めは欲を制することであり、帰着するところは無欲であります。」
確かに、そのようにも言えますが、仏教を学ぶ私としては、ブッダの卓越性を述べざるを得ません。

 ブッダは解脱、涅槃という目標を明らかにしたことです。また、八正道という方法を示し、特に観察による智慧によって、目標に到達するという道筋を明らかにしていることです。これらは儒教、道教にはないところです。

 観察による智慧の開発について、卑近な例を示しましょう。「朝顔は、どのようにして離れた場所の支えを探して、その支えに巻きつくのでしょうか?」この答えは考えても分かりません。一時間、朝顔のつるを観察すれば分かります。ここように、自分の心に欲が現れ、欲がどのようになるのか観察すると、それがそのまま智慧になります。ここまで、孔子も老子も具体的に教えていません、ブッダのみです。

○この世界彼の境地には達しない理解を超えて理解できるか 

~私は幸せでありますように~
~あなたが幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年05月11日 04:53
ワンギーサさん、おはようございます。そしてそれはすぐに実行できるところが凄いと思います。森羅万象の何たるかを語り、それに対する人間のアプローチの間違えを斬る知識人たちも、肝心の解決の方法をあまり考えません。仮に方法を提示しても実行するには準備だけで何年もかかりそうです。そもそも実行可能か?どうも「それは努力と工夫次第だ」という文句で片付けられてしまいます。ブッダの教えは今すぐ誰でも実行できます。しかも、それは知識人たちが問題としている俗的なレベルでなく、超越した真理の世界というのだから、ブッダと比較しうる知識人は私の知る限り皆無です。有難うございました。
ツヨシ
2009年05月11日 04:55
観察します。
2009年05月11日 05:08
知識人たちの語る「努力と工夫次第」は自らはやってないか、経験があっても「私は子供のころよく悪さして育った。だから子供に「悪さしてはいけない」教育は必要ない」という類の話が多い。確かに「経験」は大切だと思いますが、自分の「経験」したことばかりにとらわれてそれで固めてしまうのもどうかと思います。そこには論理性、普遍性がないのです。
2009年05月11日 05:29
一方、智慧のある人も結構いますね。ちょっと無理そうなことでもすぐに解決してしまう。ものごとの道理をよく知っていてそれを応用できる。学んだ知識を色々役立てて問題解決する。しかし、そういう人らもちょっと違うことになるとまるでお手上げです。ブッダは「一切智者」とも言われてます。これはやはりとてつもないこてだと思います。有難うございました。
あっきん
2009年05月11日 08:11
おはようございます。
知識と才能は違う。いくら知識が豊富でも、いざと言う時役に立たないと意味がない。その点、ブッタは大天才だと思う。そして馬鹿な私でも、天才で幸福になる道が示されているから大先生でもある。
髙橋優太
2009年05月11日 09:31
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
ブッダに帰依いたします。
身の丈修行者
2015年05月09日 07:49
観察する事は嫌でも自分自身でやらないと分からない事と感じます。また観察せずにいるのと観察するのでは気付きが違うと思います。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「自分の心に欲が現れ、欲がどのようになるのか観察すると、それがそのまま智慧になります・・」心に響きます。実況中継実践をして参りたいです。

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