ブッダには渇愛はないその境地 理解を超えて理解できるか

ダンマパダ 180

ブッダには網のような執着はない
彼を引き止める渇愛はない
ブッダの境地は無限だ
理解を超えた彼をどのようにして理解できるのか


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200806/article_8.html

○スマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会ホームページより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa95.html

○今日のコメント

 昨日、「朝顔はどのようにして離れた場所の支えを探してその支えに巻きつくのでしょうか?」と言う問いを書きました。皆さんは暇と余裕がないでしょうから、朝顔のつるの動きを一時間も観察できないでしょう。ですから、私の観察結果を書きます。朝顔は静かに本当にゆっくり右回りにつるを伸ばしながら、回っているのです。支えが遠くにあると初めは空振りしながら回ります。しかし、つるが伸びれば二回目の回転の時、つるは支えにぶつかります。そうするとつるは支えを軸にして右回りするのです。このようにして朝顔は支えを見つけて支えに巻きつくのです。

 さて、今回の詩とは直接関係はないのですが、ブッダが幾つかの経典で、(例:中部経典第76サンダカ経)修行者が話題にしてはいけない無駄話が具体的に書かれています。それは次の通りです。王国の話、盗賊の話、大臣の話、軍隊の話、恐怖の話、戦争の話、食べ物の話、飲み物の話、衣服の話、髪型の話、香料の話、親族の話、乗り物の話、村の話、町の話、都の話、国の話、女性の話、男性の話、英雄の話、道路の話、井戸端の話、先祖の話、四方山話、世界説、海洋説、有り無しの話、以上です。すべて欲や怒りや無知を増やす話なのです。

 この話題は私の為に書いたのです。最近の世界や日本の政治や経済の状況を見ると、世界は悪い方向に進んでいるように思えます。賢者は少なく、愚か者は多数です。いわゆる民主主義では愚か者の支持する世界になるのです。世界は良くなるはずはないのです。ブッダの禁止した無駄話、王国の話は政治の話です。しかし、これらに関心が向いてしまいます。

 このような時に私は、ダンマパダ124番から学びます。「傷ないと毒の中でも大丈夫 悪ない人に不幸は来ない 」http://76263383.at.webry.info/200903/article_27.html

○ブッダには渇愛はないその境地 理解を超えて理解できるか

~わたしは幸せでありますように~
~あなたは幸せでありますように~
~生きとしいけるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年05月12日 04:53
ワンギーサさん、おはようございます。戦後の日本の政治は権力闘争に明け暮れてました。また、政治家も国家天下を語りはしますが、選挙めあての誇大妄想的な美辞麗句ばかりです。このようなレベルのことなら無駄話も「ごもっとも」という心境です。しかし地方分権が進む中、一地域生活者として「政治」に無関心ではダメな気がします。各自治体が定めるゴミの分別なども政治的な問題のひとつです。また教育、医療、福祉…と地域密着型の政治的判断が大きな影響をもつ方向性で進む中、「人間学」を扱う仏教がそれらを「語るべからず」というのもおかしな話しだとは思います。何故ならそれらはまさに人間が生きる上での「現実」だからです。つまり政治形態が中央集権的な「国家権力」を盾にしたものから、権力構造から離れた形態に変わりつつある。ということです。「身近なことも無駄話なのか?」考えていきたいと思います。
2009年05月12日 04:55
ワンギーサさん、おはようございます。戦後の日本の政治は権力闘争に明け暮れてました。また、政治家も国家天下を語りはしますが、選挙めあての誇大妄想的な美辞麗句ばかりです。このようなレベルのことなら無駄話も「ごもっとも」という心境です。しかし地方分権が進む中、一地域生活者として「政治」に無関心ではダメな気がします。各自治体が定めるゴミの分別なども政治的な問題のひとつです。また教育、医療、福祉…と地域密着型の政治的判断が大きな影響をもつ方向性で進む中、「人間学」を扱う仏教がそれらを「語るべからず」というのもおかしな話しだとは思います。何故ならそれらはまさに人間が生きる上での「現実」だからです。つまり政治形態が中央集権的な「国家権力」を盾にしたものから、権力構造から離れた形態に変わりつつある。ということです。NPOによるボランティア活動とか。要はそれを「政治的なもの」の中に入れるかどうかですが、「身近な政治も無駄話なのか?」考えていきたいと思います。有難うございました。
2009年05月12日 04:57
最初のコメントは不要です。
2009年05月12日 05:15
例えば「住環境」はどうでしょう?確かに仏教では問題は自分の心にあり、外部ではない。ということですがその通りだと思います。しかし、それと外部の世界はどうでもいい。というのとは違います。修行にしてもある程度は「環境」は無視できません。話を戻しますが、「住環境」を悪くしないことは果たして「無駄話」でしょうか。何故このような問題提起をしたか理由があります。私は以前、ギャンブル施設設置の反対運動に携わってました。私個人は「環境」的な観点からの考えです。しかし、それは「政治的」問題であるから協力はしかねる。という判断をされた方もいらっしゃいました。この考えだと修行者の環境が破壊されようとそれは「政治的」問題だから黙っていよう。ということになります。「政治」という概念の適用範囲を明確にし、濫用を防ぐ必要もあるかと思います。
2009年05月12日 05:23
おはようございます。
「弁当はいくつ要りますか」「夏用の服はありますか」「冷たい物を飲むと、お腹が痛くなります」「静かな町ですよ」「めんどくさいから、坊主頭にしています」「彼女は居ません」「この道を右ですか」無駄話をやめます。
2009年05月12日 05:41
私の記憶が確かなら、スマナサーラ長老は「時の政府がおかしなことをやったら、スリランカ人は黙ってない。日本人はおとなし過ぎる」と聞いたことがあります。スリランカは仏教国です。その辺もどうなんでしょうかね?強大な権限をもつ霞ヶ関に対しても「長いものに巻かれろ」ということ無かれ主義は「人間らしい」態度なんでしょうか。
2009年05月12日 06:16
丁度昨日、ボランティアセンターに行って資料をもらってきました。タンザニアのテマ村(人口4000人)では老朽化した診療所がたったひとつしかありません。しかし、現在資金難により閉鎖の瀬戸際に立たされている。…このように朝カルの講義であった「第一義的目的」すら果たせないような状態です。もちろん政治的問題ですが、基本的は「一義的な生きる目的」については、それが「役立つ」という条件付きで、たとえ政治問題であれ「無駄話」どころか「大変有意義な話」なのではないでしょうか?有難うございました。
あっきん
2009年05月12日 08:02
おはようございます。
夏休みの宿題で、朝顔の観察記録がありました。しかし毎日見なかったので、気付かず大きくなっていました。怠けず、自己を観察します。煩悩が大きくならないように。自分が幸せになる為に。
ワンギーサ
2009年05月12日 08:22
皆さん、おはようございます。
 新さんへ。
政治問題は無駄話する必要はありません。議論すると賛成、反対と対立します。必要なことを行えばいいのです。
 あっきんさんへ。
観察は時々行うのでは駄目です。
続けて観察しないと、智慧は現れません。
2009年05月12日 08:24
言いたいことの要点は、生命のネットワークとしての「お布施」も広い意味では政治的な背景を知らなければ為されないのではないか?ということです。軍事政権下で困ってる人にお布施(助ける)する場合も、政治関係に無知識では不可能です。また、それは純粋なお布施でしょうが、見方によっては(第三者など)「政治」問題に首を突っ込んだことにもなります。
ふくろう
2009年05月12日 09:28
ワンギーサさん、おはようございます。

 一つ質問をさせて下さい。それは、今日のコメントの「・・・すべて欲や怒りや無知を増やす話なのです。」の箇所に関してです。
 「貪瞋痴」のうち、「痴」は把握し辛い対象として最も難敵ではないか、と思うことがありますが、「痴」は増えたり減ったりするものなのでしょうか。(智慧が生ずることによって減るのは理解できています。)
 「痴」とは何なのでしょう。ヴィパッサナーを丁寧に精密に行うことによってのみ、克服できるものということでしょうか。
ワンギーサ
2009年05月12日 12:04
ふくろうさん、コメントありがとうございます。
「貪瞋痴」のうち、「痴」は把握し辛い対象として最も難敵ですね。なかなか今自分の心に「痴」が現れたとは把握できないですね。それはいつも「痴」があるからでしょう。
そこで私は妄想に着目しています。痴と妄想は同じものではありませんが、妄想がある時は痴があります。痴がある時は妄想があります。妄想が増えるとか減るということは分かりますよね。ヴィパッサナー瞑想で妄想を減らし、智慧を増やすことで、痴を克服できるでしょう。
鈴木妻
2009年05月12日 12:54
主人との会話が減りました 私のおしゃべりはほとんどムダ話し…と気づきました 4ヶ月になる息子に絵本を読み聞かせていましたが 絵本は妄想でしょうか…育児の中での会話も考えさせられます
ワンギーサ
2009年05月12日 13:44
鈴木妻さん。コメントありがとうございます。
子育ては大変なことですが、世界で一番ためになる楽しい仕事ですよ。その頃の子供は、身体だけでなく心も毎日変化していますから、非常の面白いのです。人間の心はこのように成長するのかということも分かり、人間に対する理解も進みます。御主人との会話の件ですが、子育ての愚痴ではなく、御子息さんの毎日の成長を、一つでも教えてあげて下さい。御主人は疲れていても、御子息さんの成長は楽しみです。彼はきっと喜び、話も弾むと思います。
絵本はたくさん読んであげて下さい。
スマナサーラ長老の「一生役立つブッダの育児マニュアル」(日本テーラワーダ仏教協会発行¥630)がありますから、ぜひお読みください。
鈴木妻
2009年05月12日 13:53
ありがとうございます 子どもが見せる 私の心の迷いに対する姿に たくさん気づかされ育てられます…あたたかいお言葉ありがとうございます 楽しんで子育てしていきます
髙橋優太
2009年05月12日 14:27
ワンギーサ先生、皆様、こんにちは。
「慈しみと人間成長」を購入しました。慈悲の瞑想の理解が深まりました。生きとし生けるものが幸せでありますように。ありがとうございました。
あっきんの心
2009年05月12日 16:20
う~ん 
ワンギーサさんのコメントは鋭いかもしれない。
今日は休みなのでいいが、時間がなかったり、体調がいまひとつの時、慈悲の瞑想・座禅瞑想15分位で終わらせたりする。全くしないよりいいかと思い自己流で。
雑用・無駄話なくすのが一番なのですけどね。
この観察方法では、発見は難しいですか?
ツヨ
2009年05月13日 04:07
観察していないときは、見つからないですね。
ツヨシ
2009年06月19日 04:22
 ワンギーサさん、おはようございます。
 無駄ではない話とは、具体的には、因果関係の話、真理の話、心の話、仏教の話、自分が何を為し為していないかの話、法の話、悩み苦しみの話、です。
 無駄話とは、心が成長しない話。
 無駄ではない話とは、心が成長する話。
 と、思っているのですが、どうですか?
身の丈修行者
2015年05月09日 07:55
ワンギーサ長老コメントの「痴と妄想は同じものでは・・妄想がある時は痴があり・・痴がある時は妄想があります・・瞑想で妄想を減らし、智慧を増やすことで、痴を克服・・」心に響きます。
妄想している時は痴な状態・・と自分の妄想出現時を観察して実感致します。
妄想を減らせるように精進したいです。

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