ののしらず道徳守り適量食べて静かに暮らし心を守る

ダンマパダ 185

他人をののしらず、害わず
戒律に関しては己を守り
食事に関しては量を知り
離れた所でひとり寝起きし
心に関して勤め励む
これが諸仏の教えである


○前回の「この詩から学ぶこと」・・・・・・短いので全文を引用します。

 この詩は通常の詩より長い6行の詩である。その始まりは「他人をののしらず、害わず」である。やはり、このことが修行の第一歩なのだ。
 次に戒律を守ること。
 食事に関することは戒律の中にも戒めが多い。欲の自制や他人に迷惑や不快を与えないために必要ことなのである。
 「離れた所でひとり寝起きし」は、修行者の心得であろう。多くの人はさびしがりやで人と群れたがるが、その心に打ち勝って自立しなければならない。実際他人とガチャガチャ騒いでいたら修行はできない。
 「心に関して勤め励む」、瞑想などの修行にはげむこと。
 これが諸仏の教えである。涅槃に向かうために必要ことが短い言葉で述べられている。ありがたいことである。

○スマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会ホームページより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa101.html
「一言で知る仏教の全て」(3) ~まさか、仏教も問題児?~

○今日のコメント

 お釈迦様はいろいろな表現で、私たちがすべきことを教えてくれています。表現は違っていても一つの目標(涅槃)に向かう道なのです。この185番の詩でもそれを具体的に述べられています。ただ聞くだけでは意味がありません。今日、一日先ずこの詩の内容を実践しましょう。それが明日につながります。

1.他人をののしらないこと。(他人をけなさないこと。)
2.他の生命の身体と心を傷つけないこと。
3.道徳(五戒)を守ること。
4.食べ過ぎないこと。間食をしないこと。
5.「離れた所でひとり寝起きし」とは、現代日本人にとっては、雑踏や混乱の中に居ても、心は落ち着いていること。別な表現では、どんな時も感情的ならないで、理性的でいること。
6.「心に関して勤め励む」は、忙しい日常生活の中でも、毎日「慈悲の瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」を行うこと。
 これは八正道を実践することにほかなりません。

○ののしらず道徳守り適量食べて静かに暮らし心を守る

~わたしは幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年05月20日 04:38
ワンギーサさん、おはようございます。一番目の「他人をののしらないこと」は面とむかってののしるのは勿論ですが、陰口をたたく行為も含まれているのでしょうか?…ところで、このように「八正道」をいろいろな方法で教えてくれると理解が自分のものになっていくように感じます。有難うございました。
ツヨシ
2009年05月20日 04:38
実践します。
2009年05月20日 05:15
もう一つ質問があるのですが、この場合の「五戒」「道徳」とは誰もが守るべき普遍的な「道徳」なのでしょうか?私個人はあくまで出家者と在家仏教徒が守るべき「道徳」のように思えるのです。例えば、他を殺す、ウソをつく。などはどんな小さなもねのであれ、仏教と一切関係なく誰にとっても悪であり罪であると思います。だから誰もが守るべき普遍的な「道徳」だと思うんです。それは「十悪」リストに入ってますが、「飲酒」は入ってません。だから、修行者が法を理解し実践する上では「飲酒」は避けるべきだが、それと無関係な一般的な社会生活では「飲酒」そのものが(少量のビールなど)普遍的な「悪、罪」になるとは思えないのですが、その辺はいかがでしょうか?有難うございました。
あっきん
2009年05月20日 07:56
おはようございます。
戒は何の為にあるのでしょう。私的に実践すると心を守り清らかになる事、そして規則正しい生活をするようになる。つまり精神面と行動面をコントロールしつつ、モチロン周りにも危害を与えていない気がします *オマケですが、知り合いでお酒を飲み酔って、負傷した人が2人います。心・体とも痛いめに会っている。その事を知り、私は守られているんだと、実感したのでした。
  ◎力まず背筋をのばして励みます。
ワンギーサ
2009年05月20日 08:11
新さん、ツヨシさん、あっきんさん、おはようございます。
新さんの質問への回答
 1.「他人をののしらないこと」は面と向かってののしらないことです。心の中で思ったことを外に出さないことも、一つの修行です。次は他人に怒りを持たないで、慈しみを持つようにするのです。
 2.五戒は誰もが守るべき普遍的な道徳です。「飲酒」そのものは「罪」にはならないのですが、飲酒すると、他の悪業につながり易いという問題があるのです。それはアルコールの中枢抑制作用によるものです。つまり理性を抑制するというものです。また、その作用は心の成長を妨げます。もちろん、その時は意味のある瞑想はできません。ですから、飲酒は避けた方がよいのです。
 あっきんさんが具体的に書いてくれました。仏教徒でなくとも必要な道徳です。
2009年05月20日 08:20
まあ、ネット中毒みたいな現象もありますからね。人に悪を引起させる装置て結構あると思うんです。そのひとつが「酒」。でも「ウソをつく」というように既に完全な悪行為としては成立してないと思うんです。「酒」の飲みすぎで事件を起こすのも、「ネットの見すぎ」で妄想の虜になったり、売春などにはしったりするのも対して変わらないかと。
2009年05月20日 08:35
もってわかりやすく言うと、巨大な賄賂を受け取ったり、殺しを生き甲斐にするようなことに対してはおかしいと思うのですが、老後の楽しみに晩酌してる人は結構いい人が多く、何だか憎めないんです。もちろんアル中などはダメですが、人に迷惑をかけずしっかり量をわきまえ生きてる人はどうなんでしょうか?
髙橋優太
2009年05月20日 09:20
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
一切の過ちを懺悔いたします。
心に関して勤め励みます。三宝に帰依いたします。生きとし生けるものが幸せでありますように。
2009年05月20日 09:42
ワンギーサさん、少し角度を変えて考えてみます。「五戒」の基本は権利、義務です。だから、妻の生活の義務を果たせる一夫多妻制は「カーメースミッチャーチャラー」には該当しない。殺生も自らが生きる権利を行使するならば、当然他の生命の生きる権利を守る義務が生じる。さて「酒」における「権利」「義務」とは何なのでしょう?上記「他人の迷惑にならない適量」と書きましたが、「酒」を飲む権利を行使することで必ず守らなければならない「義務」の存在がわからないのです。ちなみに「ウソ」は自分の権利の行使のみで他者の尊厳を侵害する。「与えられてないものを取る」は義務なき権利の濫用。と考えられるかと思います。
ワンギーサ
2009年05月20日 11:41
新さん、あまり妄想しないように。
五戒の基本は権利と義務ではありません。お釈迦さまが、人々が不幸にならないで、幸福になるような生き方を具体的に示され道徳です。
飲酒に関して、ウ・コーサッラ長老がアラナ精舎日記というブログで解説されていますから、そちらもお読みになったらいかがでしょうか。
2009年05月20日 14:22
ワンギーサさん、ご指導有難うございます。権利と義務については、かつて五戒の「カーメスミッチャチャラーはなぜ成立するのか?」をスマナサーラ長老に質問した時のお答えです。「不殺生戒」についても「現に自ら生きる権利を行使するならば、他の生きる権利を奪うなかれ」という説明が納得いきます。一般に「自らがして欲しくないことを他にするべからず」という説明で納得できます。飲酒について勿論「賛成」してるわけではありません。「仏教を信仰しようが、瞑想しようがしなかろうが、どんな人もどんな場合でも小量の飲酒もダメ」というところで自分自信が納得してないだけです。仏教に出会う前から飲酒はしてないのでむしろピンときません。他は心あたりがありますから、逆になるほどと納得できたなのかもしれません(^_^;)。あともう一歩ですので、じっくり考えてみます。有難うございました。
身の丈修行者
2015年05月11日 07:50
「1.他人をののしらないこと」ですが、職場の同僚に対して対応の難しさを感じる事があります。注意は良いと思いますが非難はやめて、そして良い方向に行けるように慈しみの気持ちで接したいです。
「5.「離れた所でひとり寝起きし」・・どんな時も感情的ならないで、理性的でいること」が何時も出来るように、心が安定して透明で入れるように精進したいです。

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