世の中を泡のようだと見るならば死王は彼を見ることがない
ダンマパダ 170
世の中を泡のように見よ
世の中を蜃気楼のように見よ
このように世の中を観察するならば
死王は彼を見ることがない
○この詩から学ぶこと
「世の中を泡のように見よ」「世の中を蜃気楼のように見よ」、これは毎日のニュースを見ていれば嫌でもこのように思えるはずです。最近の二、三日は豚インフレエンザのニュースの繰り返しです。一度報告してくれれば充分です。そのくせ、マスコミ関係者があわてているのに、動揺せずに、落ち着いて下さいと言っています。確かに検疫関係者や何人かの医療関係者や患者にとっては重大問題でいろいろ忙しいでしょうが、その他の人々はそれぞれ必要なことを冷静に行えばいいことです。日本中が大騒ぎする必要はないのです。
このニュースの前は草なぎ剛さんのことで大騒ぎでした。その前はもう覚えてません。いくらか覚えているのは、北朝鮮のミサイル問題です。まったく、世の中は泡のようです。蜃気楼のようです。ある問題が現れたかと思うと消えています。問題が表れたときは大騒ぎして、大変だと深刻になり、その責任をいろいろな人に押し付けて、二、三日すると忘れているのです。ですから、どんなことのにも深刻になる必要はないのです。何かに執着することはまったく馬鹿馬鹿しいことなのです。
しかし、どんな悪政のもとでも、私たちは幸福に生きて生きていきたいですし、いくべきです。そのためには、世の中は泡のようなものですから、それらに思い悩まずに、各自が今必要な仕事をすべきなのです。自分ができる、人に役に立つ仕事をすべきです。困っている人がいれば、自分のできることで助けるべきです。そうすれば、不幸にはなりません。
ここで、「世の中」をどれだけ広げて考えられるかが問題になります。テレビで放映されているニュースだけでなく、自分自身の事柄も世の中のことです。自分自身の事柄を泡のようだと、蜃気楼のようだと観察するのは少し難しいのです。ですが、自分の失業や自分自身の病気のことも、世の中のことですから、泡のようだし、蜃気楼のようなものなのです。このように観察できれば、どんなことにも執着がなくなります。智慧が現れます。落ち着いて、必要な対応ができるようになります。そのような人は解脱した人であり、涅槃に達した阿羅漢なのです。死王とは、煩悩のある人、輪廻の世界にいる生命の支配者です。ですから、解脱して、涅槃に達した人は管理できない、見ることができないのです。
この170番に関するスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページにあります。是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa84.html
○世の中を泡のようだと見るならば死王は彼を見ることがない
~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
世の中を泡のように見よ
世の中を蜃気楼のように見よ
このように世の中を観察するならば
死王は彼を見ることがない
○この詩から学ぶこと
「世の中を泡のように見よ」「世の中を蜃気楼のように見よ」、これは毎日のニュースを見ていれば嫌でもこのように思えるはずです。最近の二、三日は豚インフレエンザのニュースの繰り返しです。一度報告してくれれば充分です。そのくせ、マスコミ関係者があわてているのに、動揺せずに、落ち着いて下さいと言っています。確かに検疫関係者や何人かの医療関係者や患者にとっては重大問題でいろいろ忙しいでしょうが、その他の人々はそれぞれ必要なことを冷静に行えばいいことです。日本中が大騒ぎする必要はないのです。
このニュースの前は草なぎ剛さんのことで大騒ぎでした。その前はもう覚えてません。いくらか覚えているのは、北朝鮮のミサイル問題です。まったく、世の中は泡のようです。蜃気楼のようです。ある問題が現れたかと思うと消えています。問題が表れたときは大騒ぎして、大変だと深刻になり、その責任をいろいろな人に押し付けて、二、三日すると忘れているのです。ですから、どんなことのにも深刻になる必要はないのです。何かに執着することはまったく馬鹿馬鹿しいことなのです。
しかし、どんな悪政のもとでも、私たちは幸福に生きて生きていきたいですし、いくべきです。そのためには、世の中は泡のようなものですから、それらに思い悩まずに、各自が今必要な仕事をすべきなのです。自分ができる、人に役に立つ仕事をすべきです。困っている人がいれば、自分のできることで助けるべきです。そうすれば、不幸にはなりません。
ここで、「世の中」をどれだけ広げて考えられるかが問題になります。テレビで放映されているニュースだけでなく、自分自身の事柄も世の中のことです。自分自身の事柄を泡のようだと、蜃気楼のようだと観察するのは少し難しいのです。ですが、自分の失業や自分自身の病気のことも、世の中のことですから、泡のようだし、蜃気楼のようなものなのです。このように観察できれば、どんなことにも執着がなくなります。智慧が現れます。落ち着いて、必要な対応ができるようになります。そのような人は解脱した人であり、涅槃に達した阿羅漢なのです。死王とは、煩悩のある人、輪廻の世界にいる生命の支配者です。ですから、解脱して、涅槃に達した人は管理できない、見ることができないのです。
この170番に関するスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページにあります。是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa84.html
○世の中を泡のようだと見るならば死王は彼を見ることがない
~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
この記事へのコメント
ニュースのお蔭で、肉が食べたくなくなった。別に食べなくても死なないし、自然に任せている。
別なプログでインフルエンザウィルスの事があった。
仏教を学んでいるなら、落ち着いてた方がいいんじゃないの。神経質になりすぎている。
私もかな。今を気ずこう。
悩み事はそのときそのときで変わっていくと思いました。小学生のころ、引っ越すのがとても嫌で泣きました。今ではその悩みは消えています。悩みや感情・気分は永遠に続くわけでなく、その時の状況によるものだと最近感じます。だから悩まなくても状況をしっかり把握してやるべきことをするのがベストかなと思いました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。
テレビ・新聞を見なくても生きていける事を実感した時は衝撃を受けました。情報に振り回されていた自分を感じたからです。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「自分自身の事柄を泡のようだと・・観察できれば、どんなことにも執着がなくなり・・智慧が現れ・・落ち着いて、必要な対応ができるようになります。そのような人は解脱した人であり、涅槃に達した阿羅漢・・」心に響きます。
そのような生き方を目指して精進したいです。
https://noritsu.seesaa.net/article/200905article_2.html