パパンチャを乗り越えた聖者たち供養するなら功徳は大きい

ダンマパダ 195、196

誤知を克服し
憂い苦しみを乗り越え
涅槃に達して、恐れるもの無い
供養に値する
諸仏あるいは弟子たちを
供養するならば
その功徳の量は
何によっても計れない


○この詩から学ぶこと

 前回は「パパンチャ」を日本語にしないで、そのまま「パパンチャ」として説明を付けましたが、今回は、誤知という訳にしてみました。妄想としても悪くはないのですが、心が妄想を作り出す機能なので、そのようにしてみました。誤知の反対は正知です。ヴィパッサナー瞑想を行うとき、この正知(サンパジャーナー)と念(サティ)が必要なのです。

 正知(サンパジャーナー)と念(サティ)については、日本テーラワーダ仏教協会のお布施本「お釈迦様のお見舞い」(スマナサーラ長老著)をお読み下さい。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200807/article_9.html

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会HPより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa106.html
 手に届かぬ自由 ~学ぶなら完全な人から学ぶ~

○今日のコメント

 昨日の日本テーラワーダ仏教協会のウェーサーカ祭は、昨日のダンマパダ194番の内容のままの釈尊祝祭日になりました。「釈尊が生まれたことは幸せだ サンガは仲良く修行をしよう」

 大乗仏教の僧侶とテーラワーダ仏教の比丘たちが、在家の人々とお祝いしました。僧侶と比丘は、スリランカ、タイ、日本、ネパール、韓国の方々が仲良く参加されました。在家の人々には、バングラディシュの方も参加され、民族、宗派を超えたサンガでした。

○パパンチャを乗り越えた聖者たち供養するなら功徳は大きい

~わたしは幸せでありますように~
~わたしの親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年05月25日 05:07
ワンギーサさん、昨日はお疲れ様でした。確かに「誤知」から煩悩が生じますね。欲や怒りは見た瞬間生じるわけではなく、実際は「誤知」の直後に現れます。視覚においても、「色と形」から先に行かない時は煩悩が生じません。しかし、サティを怠り「妄想」の世界に入った途端、見た時に怒りなどの煩悩が牙を剥いてきます。人間生きることはすなわち「知る」ことですから、そこに焦点を当てて問題解決されたお釈迦様が現れたということは、非凡という表現さえ陳腐になってしまうほど貴重な出来事です。有難うございました。
あっきん
2009年05月25日 07:47
おはようございます。
大ホール(定員758名)で、すっぽり入り込むほどスケールの大きいウェーサーカ祭りでした。私は1階の後ろで見てましたが、ほぼ満席。慈悲の瞑想でのパワー、会員・一般客の壁を越えて仲良く仏陀をお祝いしました。在家が供養しないと存続できない。そして長老から、”勝利の道”生き方の知恵を教えてもらったのです。この章そのものを、実現・実践している感です。
身の丈修行者
2015年05月12日 09:07
パパンチャを持ってしまうと色眼鏡になり、正しく捉えれない印象があります。ありのままに見れるように精進したいです。
大乗仏教のお寺は沢山あり、一般の方が仏教に接する機会のチャンスにもなるかと思いますが、残念ながらその教義はお釈迦様の教えとは違う面もある様子ですね。
また真摯にお釈迦様の教えや心の成長を教えて下さる御坊様は少ないように思います。
スマナサーラ長老・ワンギーサ長老から学ばせて頂ける機会を頂戴出来ている事、至福に思います。沢山の方がご縁を持てると良いなと願います。

この記事へのトラックバック