怨みある人々の中で怨みなく真に気楽に生きていこうよ

ダンマパダ 197、198、199

真に気楽に生きてみよう
怨みのある世の中で怨みなく
怨みのある人々の中で
怨みのない人間として生活しよう

真に気楽に生きてみよう
悩みのある世の中で悩みなく
悩みのある人々の中で
悩みのない人間として生活しよう

真に気楽に生きてみよう
求め過ぎの世の中で求めずに
求め過ぎの人々の中で
求めない人間として生活しよう



○これらの詩から学ぶこと

 この197番の詩から章が変わって、208番までは「第15 幸福の章」になります。

 幸福とはなにか?
 人々は怨むことが幸福と思っているのだろうか。人々は怨む。
 ブッダは怨まないことが幸福だと教えています。
 人々は悩むことが幸福と思っているのだろうか。人々は悩む。
 ブッダは悩まないことが幸福だと教えています。
 人々は求めることが幸福だと思っている。人々は求める。
 ブッダは求めないことが幸福だと教えています。

 この詩からいろいろなことが学べます。前回の「これらの詩から学ぶこと」やスマナサーラ長老の法話は、異なる論点意が述べられています。是非お読み下さい。

○前回の「これらの詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200807/article_10.html

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会HPより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa107.html
 戦争は愚か者の見せ場です ~戦争には正当な理由は成り立ちません~
197、198、199番の詩の因縁物語が語られています。

○怨みある人々の中で怨みなく真に気楽に生きていこうよ (197)
○悩みある人々の中で悩みなく真に気楽に生きていこうよ (198)
○求め過ぎの人々の中で求めることなく真に気楽に生きていこうよ (199)

~わたしが幸せでありますように~
~わたしの親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年05月26日 05:20
ワンギーサさん、おはようございます。二日前に「自分にとって幸福と思うこと」「幸福を壊すもの」とをノートに書き出してみました。随分平凡だなと思いましたが、それを受けとめることは大切だと思いました。幸福については「健康、友人との付き合い、必要な金銭」等がありました。これを今日の方程式?に当てはめるとなるほどです。スマナサーラ長老の法話からも、考えさせられます。諸悪の根源は「自分こそが正しい」と思うことです。しかし、実際にノートに具体的な幸福論を列挙してみると、「自分はあくまで自分でしかなく、大きな存在でない」ことが実感出来ました。これで「自分と他人はまるで異なる」という見解に至ります。聖書のお話が出てきましたが、「私はその教えはおかしいと思う」ということと「その教えや考えはおかしいので、この世からなくすべき」というのとでは全く違います。後者は「正思」で指摘される暴力思考に該当すると思います。様々な宗教や哲学がありますが、その違いは違いとして認めつつ、おかしな点を客観的に指摘する姿勢は大切だと思います。有難うございました。
あっきん
2009年05月26日 07:59
おはようございます。
仏陀は客観的に物事を見ている。怨み・悩み・欲を追求して、仮に戦争を挑んでも結局自分の首をしめる。それより、自分の煩悩に勝よう挑む。自己の戦いにより幸福が訪れる。対象がずれているんだ。
身の丈修行者
2015年05月13日 07:45
自分が嫌な事をされた時「仕返しをしてやる」と思うとさっと自分の心が曇る状況を経験しています。
またそれが色眼鏡に成り、その人を見るたびにその思考がぐるぐる回転します。心はさらに曇ります。
恨みを持たずに「嫌に感じている」のサティだけで終われば、心が曇る事はありません。それは自分にとって大変な得・徳だと思います。実践して参りたいです。

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