にがそうな遠離の味を味わえば心は寂静真理が観える

ダンマパダ 205

遠離の味を味わい
寂静の味を味わうと
苦悩のない悪のない人となる
真理を喜び味わい飲む人となる


*訳注:遠離とは「あれこれと束縛がないこと」「関わりを持たないこと」と言う意味です。(スマナサーラ長老 著「偉大な人の思考」より」 

○この詩から学ぶこと

 遠離(おんり)は、訳注に引用した「偉大な人の思考」では、「この法は遠離(独人)を喜ぶ人のものであり、衆会を楽しむ人のものではない。」という文脈のなかで出てきます。遠離の真意は「束縛がないこと、依存しないこと」ですが、直接的は、「人々から離れている、一人でいる」ことになります。

 前回の「この詩で学ぶこと」で書きましたが、遠離は、出家前の私にはあまり好きな態度ではなかったのです。むしろ人と交わって、いろいろ話すことが好きな性格でした。正直に言えば、出家してからもしばらくは、一人でいることはあまり好きではなかったのです。

 しかし、出家してからは、衆会を楽しむという状態にはならなくなりました。その理由は、始めはあまり誉められたののではありません。出家者に対する周りの目です。周りの人々は、その人なりの出家者のイメージがあります。ですから、自分のイメージに合わない出家者の態度は批判的に見たり、注意したり、非難したりします。それはありがたいことではありますが、非常にわずらわしいのです。ですから、だんだん人と関わりを持ちたくなくなりました。そのままでは、わがままな引きこもりと同じですが、欲に執着しない、人々に依存しないという態度に成長すればよいことです。

 5月30日、立川朝日カルチャーで、スマナサーラ長老が「2面性を熟知して、第3の道へ(相応部経典:蘊相応『アッサーダ経』)」についての法話がありました。その中で次のようなことが話されました。「全ての物事には利点と難点の両面があること。利点に着目すると、それを欲しがります。難点に着目すると、それを嫌がります。しかし、両面を見極めれば、欲しがりもせず、嫌がりをしない、それから離れるという第3の道、すなわち、遠離という選択が出来るようになるということです。それは智慧による選択なのです。」

 遠離という選択が出来るようになると、心の寂静を感じられるようになるのです。その人は真理の味が感じられるようになり、全ての執着、煩悩がなくなるのです。それは解脱、涅槃に繋がるのです。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200807/article_16.html

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会HPより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa115.html
 忙しさ自慢で苦を覆う ~幸福に生きるための査定プログラム~

 「この詩の意義: 物に依存するという欲から離れるという喜びを味わう。それを味わった人に、心の安らぎという喜びを味わえるのです。それを味わった人の心は、恐怖感と罪から離れるのです。罪から離れた心は、真理の喜びを味わうのです。」

○にがそうな遠離の味を味わえば心は寂静真理が観える

~私が幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年06月01日 04:55
ワンギーサさん、おはようございます。「衆会を楽しむ」の現代版は、ケータイ依存症でしょうか。確かに便利な道具ですが、それが目的となってしまうと依存(中毒)してしまいます。自分の場合は、何のために?という問いかけをしつつ、ケータイ使用に制限をしてます。長所と短所を見極めつつ、目的に応じて要領よく使うことに心がけてはいます。人間関係については無意味にダラダラ付き合うのは嫌いで、子供の頃から目的に応じて、その目的に絞った範囲でしかほとんど人付き合いしませんでした。だから目的がある場合は盛んに人付き合いし、ない場合は誰とも話さない。それでかなり落ち着けます。まさに人それぞれですね。(^o^)有難うございました。
ツヨシ
2009年06月01日 05:29
おはようございます。
遠離を選択できないなら、依存していますね。
あっきん
2009年06月01日 08:02
おはようございます。
近ごろ医者に行かなくなった。
目がかゆくなり、微妙な時は薬局で買う。医者にいくと検査までやるはめになり面倒。
智慧を開発する薬はない。そんなうまい話はない。あったら騙される事になる。
頼らず自己のエネルギーで生み出す事ですね。
身の丈修行者
2015年05月15日 07:43
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「欲に執着しない、人々に依存しないという態度に成長すればよいこと」心に響きます。以前の私は人に好かれようと・群れようとすり寄る?ような一面があり、そして疲れていました。未熟でした。
こちらで学ばせて頂き、成長したいです。

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