迷惑を誰にも掛けない聖者たち不死の境地に赴くだろう

ダンマパダ 225

誰にも迷惑をかけない
常に身体を慎んでいる聖者たち
彼らは不死の境地に至る
そこには苦悩はない
             

○少しでもブッダの肉声に近づくために(赤字のひらがなを3回音読して下さい。)

Ahiṃsakā ye munayo ,
あひんさかー いえー    むなよー
不害である  その人々は 聖者たちは
niccaṃ kāyena saṃvutā;
にっちゃん かーいえーな さんうたー

常に     体によって   制御する   
Te yanti accutaṃ ṭhānaṃ,
てー  やんてぃ あっちゅたん たーなん
彼らは 行く    不死の    境地に 
yattha gantvā na socare.
やった がんとぅわー な  そーちゃれー

そこに 到達した   ない 悲しむ


*日本テーラワーダ仏教協会HPに小野道雄さんのパーリ語入門講座があります。そのアドレスはhttp://www.j-theravada.net/sakhi/pali-aiueo-1.html

*日本テーラワーダ仏教協会HPに柴田尚武さんのダンマパダのパーリ語文法事項のまとめが掲載されています。そのアドレスはhttp://www.j-theravada.net/sakhi/dhp-reading-1.html

○この詩から学ぶこと

 この詩の出だしの言葉はパーリ語で「あひんさかー」です。パーリ語辞書では「不害の」と書かれています。他人を傷つけたり、殺したりしないことという意味です。しかし、スマナサーラ長老の訳に習って、「誰にも迷惑を掛けない」ということにしました。

 「身体を慎んでいる」は、自分の行動や話す言葉や自分の思いに注意して、悪行為をしないように注意することです。この詩の中の聖者はまだ最終的な悟りには達していないのです。しかし、誰にも迷惑をかけずに、常に身体を慎んでいるので、いづれ不死(涅槃)の境地に到達するのです。そしてその境地では、苦悩というものがないとこの詩では語っているのです。

 この詩に関するスマナサーラ長老の法話では、「 親との絆は遺伝的ではなく、精神的です」ということが話題になっていますが、これはこの詩の出来た因縁物語によるものです。興味ある方は是非お読み下さい。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200807/article_31.html

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会HPより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa132.html
 釈尊のもう一組の両親 ~親との絆は遺伝的ではなく、精神的です~

○迷惑を誰にも掛けない聖者たち不死の境地に赴くだろう

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年06月15日 05:04
ワンギーサさん、おはようございます。今日の内容はダンマパダの217、219~220と似てますね。誰にでも好かれたいのなら、ある特定の人物に照準を合わせるのでなく、道徳を守り、人格を研いて「誰もが」好いてしまう条件を自分が整える。と。さて、私もよく親や教師から「人の迷惑にならないように」と教わってきましたが、その中身は全く知りませんでした。長年のもやもやが、今日の詩で見事に解消されました!では「好かれる」と「迷惑を掛けない」とは似て非なるものなのか?一応私なりの答えはYESです。誰でも「自己愛」がありますから「好かれる」対象には「自分」はないと思います。しかし、自分愛があるからといって、自分を大切に扱っているか?というと決してそうではありません。「誰にも迷惑を掛けない」の「誰にも」には「自分自身」も含まれると思います。あくまで私見ですが、八正道を歩む時の心構えがより力強く示されたように思えます。有難うございました。
2009年06月15日 05:08
好かれる対象というより、好かれる相手の方が適切です。
ツヨシ
2009年06月15日 06:03
おはようございます。子は親に習っていますね。親は最初の恩師です。
2009年06月15日 07:04
敢えて異論を立てれば、人は人に迷惑をかけることで成長する。という意見があります。京大の名物教授・森毅(ツヨシ)さんのエッセイの中でこんな一節がありました。「そもそも、人に迷惑をかけないなんていう道徳を設定すること自体ナンセンス極まりない。むしろ人に迷惑をかけてしか生きられない現実を認めた方が謙虚で生きられるのでないか?そして互いに迷惑を掛け合いながら生きてこそ、豊かな人間関係学生がそこで育まれるのではないか?」と。一理あるとは思いました。
髙橋優太
2009年06月15日 11:44
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
慈悲の心の大事さを再確認しました。実際に精舎に行かせていただくと、家の中よりも落ち着きます。生命が精神的なつながりだからこそ、慈悲はものすごく大事だと思いました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年05月19日 06:29
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「誰にも迷惑をかけずに、常に身体を慎んでいる・・(涅槃)の境地に到達する・・その境地では、苦悩というものがない・・」心に響きます。
今の生活の中でそのような状況に成る事はなかなか難しい様にも感じます。ですが自分の生き方で出来る事もあると思います。
そのようになれるよう目指したいです。

この記事へのトラックバック