黙っても語っていても適度でもこの世の中は非難するのだ (227)

ダンマパダ 227~230

アトゥラよ、これは昔からである
これは今始まってことではない
黙して座っても非難され
多く語っても非難され
適量語っても非難される
この世に非難されない人はいない

過去も未来もいない
現在もいない
ひたすら非難される人は
ひたすら賞賛される人は

もし賢者たちが彼を
毎日毎日よく見て
彼の行為には欠点がなく無駄がない
智慧と戒ある禅定者だと賞賛するならば

ジャンブー河産の金貨のような阿羅漢聖者を
だれが非難できようか
神々さえ彼を賞賛する
梵天さえも賞賛するというのに


○この詩から学ぶこと

 227番の「アトゥラ」は、古代インドのサーヴァティに住む在家信者の名前だそうです。彼は多くの仲間といっしょに、僧院の長老たちの説法を聞きに行きました。その時、彼はほとんど話さない長老にもよく話す長老にも、適当に話す長老にも不満を持ち、ブッダにそのことを訴えました。

 それを聞いたブッダは、この詩にある通り「アトゥラよ、これは昔からである。これは今始まってことではない。黙して座っても非難され、多く語っても非難され、適量語っても非難される。この世に非難されない人はいない。ひたすら非難される人も、ひたすら賞賛される人も過去も未来もいない。現在もいない。しかし、智慧のある賢者が、彼の行為には欠点がなく無駄がない。智慧と戒ある禅定者だと賞賛するならば、その人は本物です。そのような人は神々さえ彼を賞賛する。梵天さえも賞賛する。誰も彼を非難できないのです。」と仰られました。

 この話は、昔から世間の人々はどんなことをしても他人を非難するものだということです。ですから、非難されたからと言って、落ち込む必要ないのだということです。

 しかし、智慧ある賢者の言うことはよく聞いて、批判されれば、改めなければいけないし、彼らが賞賛する人々は一目置いてみる必要があるのです。

 「ジャンブー河産の金貨」の金貨とは金の含有量の多い価値のある金貨のことです。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200808/article_1.html
 去年、この詩からタイトルを都都逸(7,7,7,5語の日本歌謡)で書き始めました。この時はまだ短歌ではありません。短歌で書くのは難しかったからです。

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会HPより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa134.html
 自分のことを棚に上げる ~己を観ずに他人を観て、不幸を招く~

○黙っても語っていても適度でもこの世の中は非難するのだ (227)
○現在も過去も未来もいないもの非難か賞賛されるのみの人 (228)
○賢者が欠点がない無駄ないと賞賛するならば智慧ある人だ (229)
○そのような阿羅漢聖者を非難できない神々さえも賞賛するよ (230)

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

ツヨシ
2009年06月17日 04:53
サードゥ サードゥ サードゥ
2009年06月17日 04:59
ワンギーサさん、おはようございます。私の場合、非難されたり文句を言われるとつい逆襲したくなる性格です。さて非難された場合どうするか?ということも大切なことです。というのは非難は突然襲ってくるからです。そのような場合、私は大抵感情的(怒り)になります。怒りに基づく反論はロクな結果になりません。その時一応黙ってるのがいい。しかし、非難に対して常に黙ってるのがいいとは限りません。全て相手の言い分を認めてしまうのも危険です。誤解に基づく非難なら、もう一度説明する必要があります。悪意に基づく中傷なら、無視するか、場合によっては毅然とした態度をとることも必要です。又、非難に一理あるなら、有益なアドバイスにもなります。しかしそれを実行するは、自分が感情的になっていては話になりません。昨日「常に」修行する。ことの重要性がありましたが、慈しみをもち、「常に」自己観察することしか非難された時、冷静に対処する方法はないでしょう。私自身日々の課題にしてます。それは困難ではありますが、じわじわとした効果があります。有難うございました。
ツヨシ
2009年06月17日 05:22
人を欺いてはいけませんね。人を軽蔑してはいけませんね。わずかな過ちも、犯さないようにします。三帰依いたします。
pun
2009年06月17日 06:50
 おはようございます。昨日、古本屋に注文いたしておりました『ブッダの実践心理学』第一巻が、届きました。先月、コーサッラ長老の説法をアビダンマ基礎講座に参加いたしまして、アビダンマを学ぶことの必要性を感じましたのが、『ブッダの実践心理学』シリーズを拝読いたそうと思ったきっかけです。今週のコーサッラ長老の基礎講座も、参加いたす予定です。さて、非難されることは、よくあります。ワンギーサ先生の仰るように、的外れの非難に対しては、気にしないことにいたします。そして、賢者や良識のある方からの非難に対しては、真摯に受け止めてまいりたいです。ありがとうございました。
あっきん
2009年06月17日 07:50
おはようございます。
これには心当たりがありますが、見る目のない人に言われて実行しても振り回されるだけ。人の評価とは、感情の好き・嫌いが混じり込みまた、我が儘だから何やっても永遠に文句がでる。修行でもしてた方がいいですね。
2009年06月17日 08:16
ここでの賢者をお坊様とか狭義にとらない方が良いでしょうね。子供が正論を言えば、受け入れる謙虚さが問われていると思います。どんな人も時に素晴らしいことを言うものです。かつてスマナサーラ長老が「私は無名の田舎のおばちゃんや子供たちから多くを学んだものだ」と話されてましたが、常に気づきのある賢者こそ無名の賢者を知るのでしょうね。それを見習いたいと精進してるつもりですが、難しいものです。(^_^;)
pun
2009年06月17日 10:41
ハローワークの求人で、宗教法人眞宗寺(川崎市)という寺の寺務の仕事を見つけました。やってみたいと思う一方、宗派が違うとか、運転免許証を持っていないなど、ハードルもいくつかございます。できれば、テーラワーダ仏教に理解がある寺の寺務をいたしたいとも考えますが、いや、一年間か、三年間くらい、浄土真宗の寺務もいいじゃないか、スマナサーラ長老だって、駒澤大学という大学で一年かわかりませんが、学ばれたのだし、ということで、いろいろ考えてます。何かアドバイスあれがお願いいたします。
ワンギーサ
2009年06月17日 12:18
 皆さん、おはようございます、ではなくもう今日は、ですね。コメントもありがとうございます。コメントがいろいろあると、ブログを読む人も楽しくなるのではないでしょうか。
 PUNさんへ。生活のための仕事は、あればいいのであまりえり好みせずに、やってみたらいいのではないでしょうか。ただ、やってみていろいろ問題があるようでしたら、その時、考えればよいと思います。
 皆さんが、三宝の御加護により、幸せでありますように。
pun
2009年06月17日 19:09
ワンギーサさん、アドバイスありがとうございます。参考にいたします。
髙橋優太
2009年06月17日 20:30
ワンギーサ先生、皆様、今晩は。
先生や先輩、両親、友人に悪いところを指摘されることは、はじめは耳が痛いですが、後になって励みになっていることに気が付きます。両親や先生方、お坊様の一言一言を大事にしたいです。ありがとうございました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年05月20日 08:20
私事に感じている事ですが、職場でどんな状況でも文句を言い、そして持ちあげて貰えないと働けない?ような方が居ます。
また違う場面ですが、少し目立つような事をすると様々にあーじゃこーじゃ言われたりします。中には誹謗中傷という部類の時もあるように思います。それについて反論・論争しないのも変ですし、かと言ってそれは相手の思うつぼ?だったりもして・・
心が動揺しない事、そして正しいと思った確信・信念を貫いて実行して続けていく事が大事かなと思います。
素人ながらそうして行く事で、本当の友が残りそうでない方が去るような流れに成りますように思います。

この記事へのトラックバック