身体での怒りを押さえ身体での悪行捨てて善行を為せ(231)

ダンマパダ 231~234

身体での怒りを押さえるように
身体を制御するように
身体の悪行をしないように
身体によって善行を行うように

言葉での怒りを押さえるように
言葉を制御するように
言葉の悪行をしないように
言葉によって善行を行うように

心での怒りを押さえるように
心を制御するように
心の悪行をしないように
心によって善行を行うように

賢者たちは身体を制御し
言葉を制御する
賢者たちは心を制御し
彼らは実によく制御している


○この詩から学ぶこと

 怒りは、はじめ心に現れ、ある時は言葉として表現され、ある時は身体の動きで表現されます。表現は言葉だけの時もあり、身体だけの時も、言葉と身体で表現されます。しかし、どんな時も怒りがある時は心に怒りがあるのです。

 心に怒りがある時でも、自分では気がつかないことがあります。他人には明らかに、怒っていると顔の表情や、言葉の調子から怒っていると分かるのですが、自分は怒っていないと言い張る人はいます。こういう人は怒りを止めることはできません。

 ですが、自分の行動は分かりやすいのですから、自分の行動から、自分の心の状態を知る努力をした方がいいのです。生きもを殺したり、他人に暴力をふるっている時は、間違いなく心に怒りがあるのです。また、人のもの、与えられてないものを取ろうとしたり、取ったりする時は心に欲が現れているのです。自分の行動に注意することにより、自分の心に現れた怒りや欲を知り、それらを制御できるのです。人の幸せを願う時や、困っている人々を助けたり、人の喜びを一緒に喜ぶ時は、その人の心には慈悲喜捨の心があります。

 そうように、自分の話す言葉を観察することにより、自分の心に怒りや欲や無知を知ることができ、それらを制御できます。他人に悪口を言っている時は、明らかに心に怒りがあります。人を仲たがいさせるような言葉も、心に怒りがあります。嘘を言う時は、いろいろな場合があるように思います。怒りの時も欲の時も無知の時もあるように思います。無駄話をしている時は無知の心が働いているのでしょう。やさしい言葉で話す時は、やさしい心があるのです。

 身体と言葉と心をよく観察して、そこに怒りや欲や無知は働かないように、慈悲喜捨の心が働くように注意する大切なことなのです。賢者たちは実によく、それを実践する人たちなのです。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200808/article_2.html

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会HPより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa135.html
 躾と行儀作法は正しいと言えますか? ~変遷する社会に適した道徳~

○身体での怒りを押さえ身体での悪行捨てて善行を為せ(231) 
○言葉での怒りを押さえ言葉での悪行捨てて善行を為せ(232)
○心での怒りを押さえ心での悪行捨ててて善行を為せ(233)
○賢者たち身と句と意とを制御して彼らは実によく制御する(234) 

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年06月18日 05:16
ワンギーサさん、おはようございます。よくお互いに「今日は何だか元気そうだね。」「何だか冴えない顔してるね」などと表情や言葉から察して話したりしてますが、まず外しません。他人様は自分より自分を冷静かつ客観的に見てる場合が多い。だから他人の批判は一理も二理もあるのですが、常にこの自分を見ることなど不可能なので、頼るべくは自分しかいません。気づきの実践では「常に」自分を客観的に突き放して見る。「常に」のレベルを少しづつ上げていく。そのために今日の解説はおおいに参考になりました。心の状態はとても言葉に出やすいです。だから、放逸でつい悪口を言ってしまった場合は、簡単に心の「怒り」を観察できます。しかし悪口などは言わないで我慢して、その「怒り」を観察し制御するのが正しく、それが八正道の実践だと思ってます。不殺生戒を守る時も、もし「怒り」が生じたならばそれをしっかり観察するのがいいのでしょうね。有難うございました。
pun
2009年06月18日 06:52
 昨日、小学校の近くを通りかかると、「えーでるわーいす、えーでるわーいす」と歌う声が聞こえてきました。おそらく、音楽の授業なのでしょう。美しい歌声でした。自分が歌っておりましたときは、苦行のように思って、おもしろくなかった音楽の授業も、このように長じてから客観的に聞いてみると、あの授業の尊さ清さに気づく。私のような人間に、そのような貴重な機会を与えてくださった小学校の先生方には、遅ればせながら、感謝の意を表したく思いました。明日はパティパダー発送ボランティアの日です。なるべく参加いたしたく存じます。生きとし生けるものが幸せでありますように。
髙橋優太
2009年06月18日 08:22
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」。慈悲の瞑想は家にいるとき、バスの中、座っているとき、いつでもできるので、少しでも念じるよう努力します。ありがとうございました。
楽の母
2009年06月18日 08:35
赤ちゃんは四六時中私を見ています…寝ているときでさえも…あれもしたいし 食べたいし 寝たいし 子どもが寝たらその間にやりたいことをあれこれ考えているときこそ なかなか腕から離れず寝付いてくれません

そこに あぁきついなぁ…と怒りが発生したら 泣き出して余計に手がかかり 小さな体で一生懸命私の思考ストップさせようとします そんな気がします

なかなか赤ちゃんを眠らせてあげる おっぱいを吸わせる ということだけに集中ができません…
掃除洗濯やらなきゃ死ぬわけでもないのに…頭でわかっているのに欲が止まりません 苦しくなり、ため息ついてしまいました

子どもは全部見透かしています
ワンギーサ
2009年06月18日 10:56
 皆さん、おはようございます。三宝の御加護がありますように。
 楽の母さんへ。赤ちゃんは首が座れば、おんぶができますから、おんぶをして掃除洗濯をしたらよいと思います。
楽の母
2009年06月18日 13:07
先生ありがとうございます
怠けないで 工夫をはたらかせて頑張ります
楽しめるように 工夫します
つらいは妄想でした
身の為修行者
2015年05月20日 08:24
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「自分の話す言葉を観察することにより、自分の心に怒りや欲や無知を知ることができ、それらを制御できます」心に響きます。
自分の言葉を見ると、怒りが元になっている時があります。後から気がついてももうその言葉を発してしまっています。
観察して言葉を出す前に気がついて、戒めて参りたいです。

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