聖賢と共に生きれば幸せだ愚かな者に会わないことも

ダンマパダ 206、207、208

聖者たちに会うことはすばらしい
共に住むのは常に幸せだ
愚か者たちに会わないことは
常に幸せだろう

愚か者たちと共に歩くのは
長い時間つらい
愚か者と共に住むのは苦痛である
敵と常にいるように
賢者との共に住むことは
親族との同居のように幸せだ

それ故に
賢く、智慧あり、多く学んだ
忍耐づよく、戒を守る聖者
そのような善人、叡智ある人に
月が星の軌道に従うように従え



○この詩から学ぶこと

 人間が幸福かどうかは、一緒に生きている人間のとの関係で決まると言っても過言ではないのです。気が合う人々と生きていることが出来れば、幸せであると思えます。逆に、気の合わない人と共に過ごさなければならないことは大変不幸なことです。それゆえに、人生問題の多くは人間関係にあります。しかし、気の合う人との生活が本当に幸福かどうか吟味しておかなければなりません。

 例えば、スリの仲間が共同生活をしていたとします。スリという共通の仕事がありますから、気持ちはあうのです。ですから、悪事が見つからない内は、気分よく生活できても、盗みという悪行為をしているのですから、この世でも、あの世でも幸福になれません。また、怠け者同士で生活していても、どちらもお互いを注意しないのですから、気分は楽かも知れません。しかし、怠け者の生活はいずれ破綻します。ですから、彼らもいずれ不幸になるのです。

 賢く、智慧があり、多く学んだ、忍耐づよく、戒を守る聖者と、共に生活できたら、それは本当に幸福です。たぶん、聖者の境地は、私たちの気分より相当に高いので、気が合うというわけにはいかないかもしれません。しかし、聖者の生活態度はすべて私たちに良い影響をもたらし、私たちの心を清らかにしてくれます。ですから、聖者と共に住むことは常に本当に幸福なことなのです。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200807/article_17.html

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話

http://www.j-theravada.net/howa/howa116.html
 個人という囚人 ~自由のない生き方は最大の苦難です~(206)

http://www.j-theravada.net/howa/howa117.html
 つきあう前に人を選ぶ ~人間関係は知人と友人を選ぶことで始まる~(207、208)

○聖賢と共に生きれば幸せだ愚かな者に会わないことも (206)
○愚者たちと共に過ごすは苦しみだ賢者と共住は幸福である (207)
○賢くて多く学んで智慧があり忍耐づよい聖者に従え (208)

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年06月02日 05:08
ワンギーサさん、おはようございます。ちょうど今読んでる本に、本を選んで選び過ぎることはない。というようなことが書かれていて、なるほどなと思いました。人間関係の危ないところは、相手の考え、思考パターンに影響を受けてしまうことです。だから、興味本位で悪本を読んだりするととんでめないダメージを受けてしまいます。そこで思ったのが、ネット、ブログ社会との付き合い方です。単にオモシロそうだから、非凡なことを主張してるから、難解だから。などの基準でブログにはまってしまっては、短い人生を台無しにするかもしれません。ブログ作成者が「正見、正思、正語」の実践に励んでいれば話は別ですが、あまり期待できないからです。「知」「知識」の世界は簡単に「痴」の世界になってしまいます。実際の人間関係に限らず、「欲、怒り、無知」を基準にしてさまざまな情報を選択することは日常的に極めて大切かと思います。有難うございました。
ツヨシ
2009年06月02日 05:25
おはようございます。
聖者でない者と共に住まないなら、幸福ですね。
2009年06月02日 05:33
ツヨシさん、おはようございます。愚者と住まないなら幸せ。聖賢のみと住むのなら、それは最高の幸せだと私は考えてます。有難うございました。
あっきん
2009年06月02日 07:38
おはようございます。
TVで汚い奴だ!セリフがあるじゃないですか、
汚いの基準、またどんな人かな?自分なり考えたが漠然としていた。実生活で私的に感じるのは、本人は、自覚してない時もある。だから私も気づかずしているかもしれない汚い事。 パティパダー6月号のP38に載っていた。思考・言葉・行動の三つがある。もしこの三つが矛盾していたら行為はどこか間違っている。当然清らかな行為でない。なるほど!
身の丈修行者
2015年05月15日 07:48
私事ですが、以前ご縁のあった方より宴会等のお誘いがあります。お酒が出るし夜遅くまでだし・・等々で気持ちのみにしています。
一緒に騒いで楽しい・・というのは俗世間では普通かと思います。ですがそこには欲の意味できりがない様にも思います。
愚者とは思いませんが「聖賢と共に生きれば幸せだ愚かな者に会わないことも 」を何時も思ってこちら等で学ばせて頂き、そして実教中継実践をする事を優先させて参りたいです。

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