虚空には道がないように外道に捏造しない沙門はいるか(254)

ダンマパダ 254、255

空には道がないように
仏教以外に沙門はいない
人々は捏造を楽しむが
如来に捏造はない(254)

空には道がないように
仏教以外に沙門はいない
すべての現象に恒常はない
仏陀には動揺はない(255)


*注:沙門とは解脱(悟り)を目指している修行者。如来とはブッダのこと。

○この詩から学ぶこと

 今回の詩は、表面的に読むと非常に独断的な主張を述べているように思えます。仏教だけが正しくて、それ以外の教えは正しくないと言っているように読めます。しかし、ブッダは仏教が正しくて、それ以外は間違いだとは仰っていません。

 正しい方法で修行すれば、正しい結果、真理に到達できると仰っておられます。ですから、真理に到達した人、涅槃に至った人は、どんな宗教の人にも共通である真理に到達したのですから、阿羅漢は仏教徒ともいえないのだと、スマナサーラ長老のこの詩に関する法話で述べておられます。

 ではなぜ、このように独断的と読めるように述べたのでしょうか?それは仏教以外の宗教を調べたからです。仏教以外の人々は捏造を楽しんでいるのです。正しい修行は捏造を止めることなのです。つまり、仏教以外には解脱・涅槃に至る道えお示していないからです。

 「すべての現象に恒常はない」とは「すべての現象は無常だ」ということです。この真理を悟った人がすべての現象に執着しません。執着のない人には動揺がありません。仏教以外の人々は動揺しているのです。なぜならば、恒常のない現象に執着しているからです。変わらないと思っている物に執着して、それが変わってしまうから動揺するのです。動揺する沙門は沙門たりえないのです。

 今回の詩のキーワードである「捏造=パパンチャ」についてはダンマパダ195番の説明しました。
 http://76263383.at.webry.info/200807/article_9.html
 http://76263383.at.webry.info/200905/article_22.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200808/article_14.html
 空には道ができないように仏教以外に道はない

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会HPより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa148.html
 空に足跡なし ~現象に対する無執着は解脱です~

○少しでもブッダの肉声に近づくために(カタカナを3回音読して下さい。)

Ākāseva padaṃ natthi,
アーカーセーワ パダン ナッティ
空に     ように   足跡は ない
samaṇo natthi bāhire;
サマノー ナッティ バーヒレー
沙門は  いない  外部に
Papañcābhiratā pajā,
パパンチャービラター パジャー
捏造を楽しみ      人々は
nippapañcā tathāgatā.(254)
ニッパパンチャー タターガター
捏造を楽しまない 如来は

Ākāseva padaṃ natthi,
アーカーセーワ  パダン ナッティ
空に    ように 足跡が ない 
samaṇo natthi bāhire;
サマノー ナッティ バーヒレー
沙門は  いない  外部に
Saṅkhārā sassatā natthi,
サンカーラー   サッサター ナッティ
もろもろの現象に 恒常が   ない
natthi buddhānamiñjitaṃ.(255)
ナッティ ブッダーナミジタン
ない   ブッダには 動揺は

○虚空には道がないように外道に捏造しない沙門はいるか(254)
○虚空には道がないように外道に動揺しない沙門はいるか(255)

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

ツヨシ
2009年06月29日 05:06
 ワンギーサさん、おはようございます。
 三帰依いたします。

 聞いてもいいですか?
 十二縁起の「有」とは、実体の無いものを、実体が有る、と思うことですか?
 「有」とは、無常の現象を、恒常である、と思うことですか?
 十二縁起で、「執着に縁って、有が生じる」、と言われていますね。
 ご指導よろしくお願いいたします。
2009年06月29日 05:48
ワンギーサさん、おはようございます。昨日は大変お疲れ様でした。さて今日紹介されたスマナサーラ長老の法話の始めに「ブッダの教えに基づくならば、人の疑問に答えるのはそれほど難しいことではありません。」とあります。とても印象的です。仏教を学びはじめた頃、スマナサーラ長老がどんな問題にもお答えすることに驚きました。私も様々な質問を投げかけましたが、瞬時に教えて頂けました。その中には、この問題の解決は難しいのではないか?と思った質問もあります。何故なら、それは多くの人に質問したり話し合ったりしても正解の出なかったものだったからです。誤魔化したり逃げたりする人もいました。しかも、それらの人達は私からみるととても人生経験が豊富でなおかつ頭が優れているか、名の通った知識人や経験豊富なプロたちだったのです。長老はまず、一応その人達の意見のレベルを前提に、その意見の長所と短所を示され、更に最終的な「答え」を示されました。そしてその通り実行すると問題が解決されていくのには「神業ではないか」と思ってしまいました。ブッダの教えを学び、理解し、実践すれば途方に暮れることはない。有難うございました。
pun
2009年06月29日 07:09
 おはようございます。新さん、昨日のこのブログでのコメント、感謝いたします。ワンギーサさんがブログをなさっていたからこそ、私のようなひきこもりにも、イベントを紹介するチャンスが生じたのです。
ワンギーサ
2009年06月29日 10:02
皆さん、おはようございます。
 ツヨシさんに、有(bhava)は存在している生命の身、口、意の働きそのものが業(カルマ)・・・ポテンシャルになることです。「有」とは、無常の現象を、恒常である、と思うことですか?質問の答え方は難しいのですが、無常の現象を恒常と思うことは「有」になります。無常を無常と思うことも「有」になります。昨日の質問は昨日のコメント欄に後で返事をして置きます。
 皆さんが三宝のご加護により、幸せでありますように。
ツヨシ
2009年06月29日 19:14
お返事ありがとうございます。
ツヨシ
2009年06月29日 19:19
 それなら、「有」にならない原因は、何ですか。
ツヨシ
2009年06月29日 19:24
 「有」にならない原因は、現象だけを観る。無常である、と思わず、恒常である、とも思わず、ただ現象を観るだけ。ですか?
ワンギーサ
2009年06月29日 19:36
ツヨシさんへ。執着を滅することです。
ツヨシ
2009年06月30日 20:17
ワンギーサさんへ。ご指導ありがとうございます。
身の丈修行者
2015年05月24日 07:47
私事ですが、以前交際のあった方と久しぶりに接点を取りました。
美しい○○・家族の幸せな◇◇等々が満たされれば幸で、それを紹介し合うような(以前同様の)状況にあい、考えてしまいました。
ワンギーサ長老の分かり易い本文中の捏造の言葉が浮かびました。
限られた時間をそのような事に使うのではなく、執着を滅する事が出来るよう精進して参りたいです。

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