愛からは憂いと恐れが生まれる愛から離れそれらをなくせ

ダンマパダ 212、213

愛から憂いが生まれ
愛から恐れが生まれる
愛から離れた人には憂いがない
どうして恐れがあろうか

愛着から憂いが生まれ
愛着から恐れが生まれる
愛着から離れた人には憂いがない
どうして恐れがあろうか


*訳注:憂い(パーリ語でsoka)は愛する人との別離、憎む人との出会い、求めて得られないことによる精神的な苦痛を言う。

○この詩から学ぶこと

 私たちは、愛はすばらしい、愛着は当然と考えています。しかし、私たちの悩みや苦しみの原因は何か考えたことがありますか。原因はいろいろあるかもしれません。愛が失われた時、悩みや苦しみが生じます。すなわち愛や愛着があるから悩み苦しみが生じるのです。ですから、悩み苦しみをなくするためには、愛、愛着から離れればいいのです。

 また、愛や愛着がある時、どのような結果になるでしょう。一切は無常です。愛や愛着の対象も変化し、消えます。その時、悩みや苦しみが生まれるのです。愛や執着の結果は悩み苦しみになるのです。

 たしかに、愛や執着が喜びや楽しみをもたらす瞬間がありますが、それは一時的であり、結果は悩み苦しみであることを忘れてはならないのです。

 私たちは、愛することから離れること、愛着を持つことを止めることはほとんど経験したはありません。そのようなことは惨めなこと、不幸なことと思ってしまいます。ですから、そんなことはしたくないと思います。しかし、ヴィパッサナー瞑想の実践で、愛や愛着から離れた心の状態を体験できます。そのような心の状態は憂いのない、恐れのない心の状態なのです。是非、ヴィパッサナー瞑想で体験してみて下さい。

 具体的な説明は前回の「この詩から学ぶこと」に書きました。スマナサーラ長老の法話にも詳しく説明されてあります。そちらも御参照下さい。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200807/article_21.html

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会HPより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa121.html
 表は「好きと愛」、裏は「悩みよ恐怖」 ~世界は変わっても苦しみは消えない~

○愛からは憂いと恐れが生まれる愛から離れそれらをなくせ

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年06月05日 05:05
ワンギーサさん、おはようございます。集中した瞑想で「恐れ」のない状態を体験すると、普段いかに「ビクビクして」生きているのか、がわかります。常に自覚してない「欲望」に支配されて生きてることがわかります。さて、「必要性」「役立つ」「自分、他人、皆のために」という基準で判断し、「エゴ」「好き嫌い」「欲」では判断しない。という大変大切な教えがあります。それには、徹底的にバカ正直に「エゴイスト」の自分に戻ることも時に大切だと思いました。ダダッ子の精神を自認めないと、単に知識欲の衝動で買いたい本を「必要だからね」などとつい思ってしまいます。摩り替えが仏教の教えに沿ったかのように思える分、タチが悪いと思います。愛着は仏教の教義に変身してまでつきまとう、と言ったら言い過ぎでしょうか。瞑想のためにも時に「童心」に戻ることはとても有効だと思います。有難うございました。
あっきん
2009年06月05日 10:11
こんにちわ。
自己愛。これも二面性の視点から見ると、自分に愛着を持つがいずれ死の苦が訪れる。なので執着を無くすとが幸せ。事実死んだら残らない。私的、愛着より中道について理解が深まりました。
ワンギーサ
2009年06月05日 10:40
新さん、あっきんさん、おはようございます。
あっきんさんへ、鋭いですね。愛、愛着の究極は自己愛ですね。ここから離れれば、悟りの第一段階です。
身の丈修行者
2015年05月17日 13:37
ワンギーサ長老の分かりやすい本文・解説の「愛や愛着がある時・・愛や愛着の対象も変化・・その時、悩みや苦しみが生まれ・・愛や執着の結果は悩み苦しみになる・・」心に響きます。
愛着ではなく慈しみで生きた参りたいと思います。

この記事へのトラックバック