言葉では語れぬ世界こころざし愛欲捨てた聖者は不還果

ダンマパダ 218

言葉で語れない世界を志し
心にそれがゆきわたり
五欲に執着のない人は
不還果聖者と呼ばれる


○この詩から学ぶこと

 この詩で「言葉で語れない世界」とは涅槃のことであります。また、「不還果聖者」とは何かは、前回の「この詩から学ぶこと」に詳しく書きましたから、そちらを参照して下さい。

 「言葉で語れない世界を志」すことは大変難しいものです。「言葉で語れない世界」とは「理解できない世界」と言うべきのだからです。だいたい、そのような世界を志すことができるのでしょうか?私たちが志すものは、すべて、理解できる、言葉で語れるものです。

 今の若者は何に志しているのでしょうか?社会貢献したい。企業家になりたい。芥川賞作家になりたい。プロスポーツ選手になりたい。お笑い芸人になりたい。今の若者は夢がないなどと言われたことがありましたが、それなりに夢や希望を持っています。しかも、それらは昔と変わらず、何か言葉で表現できる具体的なものです。そうでなければ、目標を持って努力できないのです。

 しかし、この詩では「言葉で語れない世界を志し」とあります。これは、幾つかの具体的な言葉で語れる夢や希望に挑戦した人が、夢が破れた時、あるいは目標を達成したが、それでは満足できなかった人が志す目標が「言葉で語れない世界」なのです。人間は初めから、「言葉で語れない世界」を志すことはないのです。幾つかの具体的な目標を遍歴して、最後に「言葉で語れない世界」を志すことになるのです。ですから、その世界を志し、五欲の執着を捨てた人は不還果聖者と呼ばれるのです。

 具体的な夢や希望がある人は早めにそれに挑戦して、その無意味さを早めに知ったほうがいいのです。なにか気になるやりたいことがあれば、最終目標である「言葉で語れない世界」を志すことはできないのです。

 もっとも例外もあります。決め付けることはできません。仏教をよく勉強して、言葉で語れない世界が最終的な、最高の目標であることをよく理解した人は、無駄な周り道をせずに、直接その世界に志すことができるかもしれません。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200807/article_25.html

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話(日本テーラワーダ仏教協会HPより)

http://www.j-theravada.net/howa/howa125.html
 解脱は理解できない ~仏教徒は、仏陀の道を歩んでいるのか?~

○言葉では語れぬ世界こころざし愛欲捨てた聖者は不還果

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年06月09日 05:10
ワンギーサさん、おはようございます。今日のアドバイスはまさに我が意を得たりでした。仏教勉強の邪魔になってる二つのことがわかりました。(欲から離れようとしてわかったこと)ひとつは、アーベルとガロアの代数学における業績です。特に彼らが方程式の原点を発見するに至るプロセスです。所詮は言語、概念の世界ですが、原典に沿って理解するつもりです。かなり前から気になっていたことです。もうひとつはモノクロームの写真を自分で現像、プリントすることです。これもただの視覚の世界ですが、多くのアマ、プロの写真家が「真の写真の醍醐味は自分でプリントすることにある。」と語っていて気になっていたこてです。本当にそんなに素晴らしいのか?と。10年前からそう思ってました。両者とも理屈では、概念、視覚の世界に過ぎないと思っても気持ちの面で引っ掛かってしまいます。写真は場所をとるので、方程式の原理から初めてみます。それ以外は特にありません。有難うございました。
身の丈修行者
2015年05月17日 14:07
ワンギーサ長老の分かりやすい本文・解説の「具体的な夢や希望がある人・・その無意味さを早めに知ったほうがいい・・やりたいことがあれば・・「言葉で語れない世界」を志すことはできない・・」心に響きます。
これまでに「○○になれば・・」とまずその取得等を目指す方を少なからず見ています。それも必要と思いますが、こちらで何が大切かを学ぶ方がもっと大事なように感じます。
言葉で語れない世界、目指して参りたいです。

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