瞑想で智慧が生じる生じては滅する真理を体得すべし

ダンマパダ 282

瞑想から智慧が生じ
瞑想がなければ智慧は滅する
生じることと滅すること
この二つの道を知って
智慧を増やすように
自分を確立させること


○この詩から学ぶこと

 前回は、ヨーガを修行と訳しました。今回は瞑想と訳しました。この詩では智慧の内容を 「生じることと滅すること この二つの道を知って 智慧を増やすように」と述べていますから、無常を体得することに焦点を当てています。修行にはいろいろありますが、ここでは瞑想だと考え直したのです。無常を知識的に理解しても、智慧にはなりません。無常を体験し、無常を感じ、無常を悟らなければ、智慧になりません。そのためにはヴィパッサナー瞑想が不可欠です。

 歩く瞑想で、実況中継しながら、感覚の生滅を感じるのです。座る瞑想で、感覚の生滅、心の変化、ある心が生まれ、消えるのを感じるのです。ある時は簡単にできることがあれば、ある時は全然できないこともあります。めげずに繰り返し挑戦です。繰り返し挑戦すれば、宇宙は因果法則で貫かれていますから、その結果はあるのです。

 生命は生きています。生きていることは感じることです。感じることは何か実況中継し、観察することで、感じることは何かを知ります。感じることは何かを知ることは、生きていることは何かを知ることになります。生きていることは何かが分かれば、生命は何かが分かります。いかに生きるべきかが分かります。いかに生きるべきかが分かれば、智慧が現れたことです。

 この実践は、ブッダの教える、無明から脱出する、生命の苦しみをなくす、解脱を挑戦する、涅槃に達す聖なる挑戦です。「止まることなく、求めることなく、暴流(煩悩)を渡る。」(相応部第一経「暴流超越経」より」ことが大切です。そうすれば、涅槃に達するでしょう。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200809/article_3.html
 修行をすれば智慧が生じる智慧を増やし阿羅漢に

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話

空虚な知識人 ~人の中身とは解脱の智慧である~

1.無知な信仰より知識で理解すること
2.理論より理性にもとづいて観察すること
3.人格向上を助けない知識は危険な知識です
4.智慧のある人が中身のある人です

 パティパダー(2008年12月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはアップされてません。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。

○少しでもブッダの肉声に近づくために(カタカナを3回音読して下さい。)

ヨーガー ヴェー ジャーヤティー ブーリ
Yogā    ve    jāyatī        bhūri,
瞑想で 実に  生じる       広大な(智慧)が   
アヨーガー ブーリサンカヨー
ayogā     bhūrisaṅkhayo;
瞑想なしで 広大な(智慧)の消滅
エータン ドヴェーダーパタン ニャトゥワー
Etaṃ    dvedhāpathaṃ     ñatvā,
この    二つの道を      知って
バワーヤ ヴィバワーヤ チャ
bhavāya   vibhavāya  ca;
存在に   非存在に  と      
タターッターナン  ニヴェーセーッヤ チャ
Tathāttānaṃ      niveseyya,
そのように 自己を 確立するように
ヤター ブーリ パワッダティ
yathā   bhūri        pavaḍḍhati.
ように  広大な(智慧)が 増大する

○瞑想で智慧が生じる生じては滅する真理を体得すべし 

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

ツヨシ
2009年07月17日 05:27
繰り返し挑戦してみます。
2009年07月17日 05:32
ワンギーサさん、おはようございます。昨日、今学力の高いフィンランドの教育についての本を読みました。既成の知識や正解とされてるもの、つまり権威にこびず自分で考えることを小中学生に学ばせるやり方です。互いに「それが絶対正しい」という価値観の人らと共生をはかっていかざるを得ないからです。仮に仏教という立場なら「自分がイスラム教圈で暮らさなければならない場合、それでも無常を肯定したことを言えるか否か」「食糧がなく戦わなければ家族が死ぬ場合でも、戦いを放棄できるか否か」と、生徒に考えさせるわけです。それによって自分にとって理解困難な価値観で生きてる人の存在を認める。という具合です。それ自体はなかなかユニークな発想だと思いました。しかし基本はやはり「ことば」でいかに自分を表現するかがポイントになります。ことばは概念の一部です。私が思うに「ことば」や新たな概念に頼る限り、その理想はなされないでしょう。概念はぶつかりやすい性質があるからです。古くあれ新しくあれ、概念を頼りにすると限界があります。知識、ことば、概念の世界を乗り換え智慧の世界を目指す仏教の瞑想がその壁を破る。有難うございました。
身の丈修行者
2015年05月30日 10:30
ワンギーサ長老の分かりやすい本文・解説の「生命は生き・・感じること・・感じることは何か実況中継し、観察することで、感じることは何かを知り・・感じることは何かを知ることは、生きている・・何かを知ることに・・生きていることは何かが分かれば、生命は何かが分かり・・いかに生きるべきかが分かり・・いかに生きるべきかが分かれば、智慧が現れた・・」心に響きます。智慧で分かるように実践して参りたいです。

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