子も父も死神からは守れない親類縁者も守れないのだ(288)この道理賢者は知って戒守り涅槃に至る道を清

ダンマパダ 288、289

子供も救えない
父や親族も救えない
死神に襲われた人を
親類縁者も救えないのだ(288)

この道理を知って
賢者は戒により制御して
涅槃に至る道を
すぐに清めるように (289)


○この詩から学ぶこと

 この二つの詩のテーマである「死」をよく理解するために、非常に参考になるお経があります。それは、スッタニパータの「箭経」というお経です。(日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」P53~59) 前回の「この詩から学ぶこと」では、その内容を「どどいつ」20句にまとめて掲載しましたが、今回は短歌20首にまとめてみました。

1.兆しなく 知ることできず ここに死ぬ むなしく死んで 未練が残る

2.死を避ける 策はないので 老いを得て 死ぬは必定 不変の法則

3.よく熟れた 果実のごとく 地に落ちる 生まれたものは 死の恐怖ある

4.瀬戸物が 割れて壊れて 地に帰る 死ぬべきものも 地に帰るなり

5.若者も 老いたる者も 賢も愚も 死力に引かれ 究極は死す

6.死に敗れ 去り行く者を 父は子を 親族もまた 救うこと得ず

7.屠殺場に 引かれる牛の そのごとく 一人ひとりが 死に向かう

8.この真理 賢者は知って 生命の 老死について 嘆くことなし

9.生前も 死後の世界も 知らないで 両者を見ないで 無意味に嘆く

10.少しでも 身体損なう 嘆くこと 役立つならば 嘆くべきです

11.少しでも 嘆き悲しみ 役立たず 身体損ねて 苦悩が増える

12.嘆くなら 身体はやせて 色失せて 死者は戻らず 得るところなし

13.嘆くこと 捨てないならば 苦が増える 死者を嘆けば 嘆きに捕まる

14.人々は 自分の業に 従って 死んでいく よく見るように

15.人々の 結果は意図と 異なって 死んで行く よく見るように

16.人々は 百年以上 生きたとて 最後はわかれ 命を捨てる

17.それゆえに 阿羅漢に聞き 憂い捨て 帰らぬ人と 悲しみを去れ

18.たとえると 燃える家屋を 消すように 生じた憂い 捨て去るように

19.安らぎを 求めるならば 愛着と 苦しみの矢を 引き抜くように

20.苦しみの 矢を引き抜いて 憂いない 静寂を得た 阿羅漢となれ
   

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200809/article_9.html
 子供も父も誰も救えぬ死のことわりを知りなさい

○この詩に関するスマナサーラ長老の法話

 安全第一 ~保障がないと人生は心配~

1.生きるとははじめから危険な行為です。
2.世界には無数の保障があります。
3.世界の保障は「保障できない」という意味です。
4.死に至る人には何の保障もありません。
5.解脱こそ完全安全な境地です。

 パティパダー(2009年6月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはまだアップされてません。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。

○少しでもブッダの肉声に近づくために(カタカナを3回音読して下さい。)

ナ  サンティ プッター ターナーヤ
Na   santi   puttā    tāṇāya,
ない  ある  息子は  避難所に  
ナ  ピター ナーピ バンダワー
na   pitā   nāpi   bandhavā;
ない 父は  もない 親族も
アンタケーナーディパンナッサ
Antakenādhipannassa,
死神にとらえられた人には
ナッティ ニャーティース ターナター
natthi    ñātīsu       tāṇatā.(288)
ない    親族において 避難所

エタマッタワサン ニャトゥワー
Etamatthavasaṃ  ñatvā,
この 道理を   知って
パンディトー スィーラサンヴトー
paṇḍito     sīlasaṃvuto;
賢者は   戒により 制御する
ニッバーナガマナン マッガン
Nibbānagamanaṃ   maggaṃ,
涅槃に 導く      道を
キッパメーワ  ヴィソーダイェー
khippameva   visodhaye.(289)
直ぐに まさに 清めるように

○子も父も死神からは守れない親類縁者も守れないのだ(288)
○この道理賢者は知って戒守り涅槃に至る道を清める(289)

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年07月22日 05:03
ワンギーサさん、おはようございます。箭経の短歌化有難うございます。覚えやすくなり、かつ全体的イメージがつかめやすくなりました。人間の身体など実に脆いもので、誰がいつどんな形で死んでもおかしくありません。先日大腸の内視鏡検査を受けましたが、癌の疑いのある部分が一箇所ありました。医師の見解では「癌の可能性は殆んどない」というものでしたが、その時思ったのは「生きるということは死と背中あわせなんだな、身体はすごく壊れやすい」ということで、短歌の3と4が主に該当します。ところで「本業は心を清らかにすることで、普段の仕事は副業に過ぎない」とスマナサーラ長老やワンギーサさんから初めて伺ったとき、内心「それは出家の立場の押し付けだろ」と思いましたが、「死」を直視すればするほど「本業に励み悟るべき」ということが当たり前のように思えてきました。大変貴重な経典だと思います。有難うございました。
ツヨシ
2009年07月22日 06:01
 愛着と苦しみの矢を、抜いてみます。
髙橋優太
2009年07月22日 12:05
ワンギーサ先生、皆様、こんにちは。
普段、とくに何もないときは戒を守れます。だけど自分の立場が悪くなるときなど嘘で逃げようとしたり、他には不注意で虫を殺してしまうことがあります。そのような時こそしっかり戒を守ります。昨日はありがとうございました、実践します。一切の過ちを懺悔いたします。生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年06月01日 16:16
死は必ず訪れるものであり、それ迄に何を大事にするべきかが明確になっていると思います。
解脱・涅槃に至れるように精進したいです。

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