昼も夜仏陀の弟子は覚醒し仏陀の徳を念じているよ(296)

ダンマパダ 296、297、298

常に仏陀の弟子は
よく覚醒していて
昼も夜も
仏陀を念じている(296)

常に仏陀の弟子は
よく覚醒していて
昼も夜も
法を念じている(297)

常に仏陀の弟子は
よく覚醒していて
昼も夜も
サンガを念じている(298)



○この詩から学ぶこと

 「仏陀を念じている」とは、具体的には「仏陀の九徳」を心の思うことです。「仏陀の九徳」は日本テーラワーダ仏教協会の「日常読誦経典」p12、p13に記載されています。通常はパーリ語で唱えますので、意味をよく理解していないかもしれません。礼拝する時、パーリ語だけでなく、日本語でも唱えると意味が理解できてよいと思います。ここでは、引用しませんが、是非「日常経典」を開いて、確認して下さい。

 私たちは仏陀の九徳を心に思う時は、決して欲や怒りや無知の感情が現れません。その時の心を味わって下さい。その時の心は欲のない、怒りのない、無知のない心なのです。今まではそのことに気がついてはいなかったかもしれませんが、これからは礼拝するとき、その意味を知って礼拝すれば、心は清らかになっていることが分かります。その時の心をよく知って、よく感じて記憶しておいて下さい。そして日常生活で、感情的になって、妄想だらけの生活をしている時の心と比較して下さい。そうすれは、日常の生活の時の心を改善できるのです。

 「法を念じている」とは、具体的には「法の六徳」を心に思うことです、これは「日常読誦経典」p14、p15に掲載されています。これもパーリ語だけでなく日本語をよく読んで意味を知っておくとよいのです。「法の六徳」を念じるても心が清らかになります。「日常読誦経典」を開いて確認して下さい。「サンガを念じる」とは「サンガの九徳」を心の思うことです。これは「日常読誦経典」p16、p17に掲載されています。

 仏教では、心を清めるためのいろいろの修行方法が紹介されています。いろいろあって、どれを実践したらよいか分からないし、時間がないのでいろいろできないと思う人がいるでしょう。全部おこなわなければいけないわけではありません。心を清らかにするためには、どれか一つだけでも実践すればよいのです。釈尊は、一人の弟子には一つの修行方法を教えたのです。多くの弟子に指導したので、修行方法はたくさん経典に書いてありますが、その弟子に一番適した方法を教えたのです。

 今回の3つの仏随念、法随念、僧随念は、礼拝の時は3つ唱えますが、修行として取り組むときは一つを選びます。他にも多くの随念があります。どの随念を選ぶかは瞑想指導者に決めてもらうのです。たとえば、仏随念は仏陀が崇高すぎて随念できないという人もいます。しかし、僧随念ならばできるという場合があります。7月19日に紹介した285番には、自分の肉体を観察する不浄観はできないが、ハスの花の観察はできるという人の話がありました。修行は個性に合わせて行うのが効果的なのです。しかし、どの修行方法も目的は同じ、涅槃を目指すということです。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200809/article_14.html
 仏陀の弟子は仏陀の九徳常に念じて定にいる(296)

http://76263383.at.webry.info/200809/article_15.html
 仏陀の弟子は法の六徳常に念じて定にいる(297)

http://76263383.at.webry.info/200809/article_16.html
 仏陀の弟子はサンガの九徳常に念じて定にいる(298)


○少しでもブッダの肉声に近づくために(カタカナを3回音読して下さい。)

スッパブッダン パブッジャンティ
Suppabuddhaṃ  pabujjhanti,
よく目覚めて  目覚めている
サダー ゴータマサーワカー
sadā    gotamasāvakā;
常に   ゴータマの弟子は
イェーサン ディワー チャ ラットー チャ
Yesaṃ     divā    ca   ratto   ca,
彼らは    昼     も   夜   も
ニッチャン ブッダガター   サティ
niccaṃ    buddhagatā    sati.(296)
常に     仏陀について 念じている

スッパブッダン パブッジャンティ
Suppabuddhaṃ  pabujjhanti,
よく目覚めて  目覚めている
サダー ゴータマサーワカー
sadā   gotamasāvakā;
常に  ゴータマの弟子は
イェーサン ディワー チャ ラットー チャ
Yesaṃ     divā    ca   ratto   ca,
彼らは    昼     も   夜   も
ニッチャン ダンマガトー サティ
niccaṃ    dhammagatā  sati.(297)
常に     法に関して  念じている

スッパブッダン パブッジャンティ
Suppabuddhaṃ  pabujjhanti,
よく目覚めて  目覚めている
サダー ゴータマサーワカー
sadā    gotamasāvakā;
常に   ゴータマの弟子は
イェーサン ディワー チャ ラットー チャ
Yesaṃ     divā    ca   ratto   ca,
彼らは    昼     も   夜   も
ニッチャン サンガガター   サティ
niccaṃ    saṅghagatā     sati.(298)
常に     サンガに関して 念じている

○昼も夜仏陀の弟子は覚醒し仏陀の徳を念じているよ(296)
○昼も夜仏陀の弟子は覚醒し法の徳を念じているよ(296)
○昼も夜仏陀の弟子は覚醒しサンガの徳を念じているよ(296)

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年07月27日 05:07
ワンギーサさん、おはようございます。仏蛇はその人の資質などに合わせて説法され、多くの人々を悟りに導きました。現在は自分から仏蛇に合わせる努力が必要です。そのためには八正道の実践を怠らないことだと痛感してます。あるレベルの「心」の状態で、それにあった「経典」があるものです。今日の詩も同じこと。「己の煩悩を滅する」という強い意思があってこそ活かせるのだと思います。日々の精進の大切さはこのような詩で強く感じます。有難うございました。
あっきん
2009年07月27日 06:14
おはようございます。
今の自分に何ができるでしょうか。
繁華街に行くと目新しい物が沢山あり見入ってしまう。
でも必要かと考えると別にたいしたことなくてね。
物や形にとらわれず心を分析してみます。
2009年07月27日 06:29
あっきんさん、おはようございます。僕は繁華街のそばに住んでいるので、その気持ちがわかるような気がします。欲と怒りを激しく刺激する繁華街だからこそ、「煩悩の危険性」をひしひしと感じています。ひとつの目安として「繁華街を歩いても欲や怒りの衝動が起こらなければ、修行の効果あり」ということを決めてますが、現実は厳しいものです。(^_^;)精進あるのみですね。(^o^)
楽の母
2009年07月27日 08:42
私は北海道の田舎にいます…繁華街でなくても 米やパン 野菜など 子どものためにも無農薬で無添加で…とこだわってたりして 同じかぼちゃなのに育てられかたで差別してます 体への執着? 自分はカップヌードル食べてたりして おかしいですよね
2009年07月27日 11:45
楽の母さん、こんにちは!食べ物は生きる上で必要なので、それなりに気をつけていた方がよいとは、私は思います。東京の繁華街ではブランドのような「付加価値」がものをいいます。テレビに出たりするとお店に行列が出来たりします。もちろん、実質の方を求める面もありますが、今年になり近くの大型スーパーでは「他店より一円でも高い商品(食材など)は値引く」という戦略をはじめました。大型店同士の潰し合いなども過激化してます。このように、付加価値と仁義なき安売り競争のあいだで振り回されているのが、東京の消費者です。(^_^;)
ボクのなつやすみ
2009年07月27日 19:46
ワンギーサ様、昨日ご返事うございました。皆さまこんばんは・・デッデカ。今日は、カボチャのつるの観察をしながら歩く実践をしたので集中出来ませんでした。一つに集中します。
pun
2009年07月27日 20:08
皆さん、こんばんは。

最近は、アビダンマの勉強をするため、集中していたので、
ブログにも精舎にも、あまり縁遠く、
もっぱら『心の中はどうなってるの?』(サンガ新書)で、
勉強してました。自分の問題が少々軽くなったので、
まあ、また忙しくなるんでしょうけど、
今日は暇ですから書き込みいたします。

今日は、ボールペンと、蛍光ペンで、
ハスの花を落書きで書きました。
最近、ずっと、悩み苦しみを文字で書いていまして、
言葉に疲れましたから、ちょっとイラストみたいな感じのを書いて、
気分転換していました。

新日曜美術館という番組に出ているカン・サンジュンさんという人の
静かな語り口が最近、真似したいです
カン・サンジュンさんくらいの落ち着きを、
瞑想修行によって、得たいと思って、います。

大長老と対談したこともある立松和平さんが、
カンさんと番組内で対談していたこともあるので、
いつか、大長老とカンさんが、対談したらいいなと、
少し思いました。

2009年07月31日 08:05
上記最初のコメントで「仏蛇」とありますが「仏陀」の誤りです。失礼いたしました。
身の丈修行者
2015年06月02日 16:37
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「仏陀の九徳を心に思う時は、決して欲や怒りや無知の感情が現れません。その時の心を味わって下さい。その時の心は欲のない、怒りのない、無知のない心なのです」心に響きます。
振り返ってみて確かにそうだなと実感致しました。真摯に謙虚な気持ちで唱えさせて頂いています。
そのような機会を大事にし、そして日常でもそのような心でいれるように精進したいです。

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