法津(のりつ)如来 の独り言

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zoom RSS 出家者も在家の人も困難だ輪廻を離れ涅槃に向かえ

<<   作成日時 : 2009/07/29 22:26   >>

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ダンマパダ 302

出家は困難で、楽しむことも難しい
在家の生活も困難で苦しみです
共同生活は困難です
輪廻の旅人は苦難に陥る
故に、輪廻の旅人にならないように
苦難に陥らないように


○この詩から学ぶこと

 日本国は大乗仏教の国だから、仏教の理解がその影響を受けています。私はテーラワーダ仏教の比丘として、出家したのですが、大乗仏教の影響があります。それを誤解を恐れずに言えば、個人の救済と大衆の救済の問題です。テーラワーダ仏教では、個人が解脱するかどうかは個人の責任なのです。仏陀さえも解脱、涅槃への道を教えることはできますが、解脱させることはできません。解脱は各個人が努力して実践しなけれはできないのです。

 ところが、大乗仏教では、自分が悟ってもないのに、人を救おうとし、それを自分も他人もよしとするのです。ある意味お節介が推奨されるのです。ですから、出家の決意は人助けであるのです。しかし、テーラワーダ仏教の出家の決意の第一は、自己の苦しみを根絶するために、輪廻の苦しみから脱出するためなのです。大乗仏教から見ると、非常に個人主義的だと思われるのですが、人助けは自分が解脱できてからなのです。自分が解脱しないで、人助けなど言えないのです。初めに書いた、私の大乗仏教の影響は、出家の目的にどこかに、人助けがありました。今考えると傲慢な態度であったと思います。

 そのような、思想的な意味を含めて、頭を剃って、衣を着けても、心から世俗を離れて出家としての心と態度になるということは、困難なことなのです。真の出家は悟らなければできないことなのだと思います。出家は修行にはげまなければならないのです。このブログの作成は修行の一環のです。問題があれば御指摘をお願い致します。

 在家の生活の困難や苦しさは、ここで書く必要がないでしょう。皆さんがよく分かっていることです。しかし、それらはすべて世俗の苦しさで、各自の心が作り出していることを知る必要があります。なかなか、理解できないことではありますが、それを理解すれば、心を清らかにすることが、その苦しみを克服することであると分かります。7月25日のダンマパダ295番の詩では、苦しみの構造と克服の道筋が述べてありますので、再度学んで下さい。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200809/article_20.html
 出家は困難在家も困難輪廻苦痛脱輪廻

○少しでもブッダの肉声に近づくために(カタカナを3回音読して下さい。)

ドゥッパッバッジャン ドゥラビラマン
Duppabbajjaṃ     durabhiramaṃ,
出家し難い      悦楽し難い
ドゥラーワーサー ガラー ドゥカー
durāvāsā       gharā  dukhā;
住し難い      在家の  苦
ドゥッコーサマーナサンワーソー
Dukkho'  samānasaṃvāso,
苦      共住することは
ドゥッカーヌパティタッダグー
dukkhānupatit'  addhagū;
苦に陥る     旅人は
タスマー ナ   チャッダグー スィヤー
Tasmā   na    c'addhagū    siyā,
それ故  ない  また 旅人は  あれ
ナ  チャ ドゥッカーヌパティトー スィヤー
na   ca   dukkhānupatito      siyā .
ない また 苦に陥ること       あれ

○出家者も在家の人も困難だ輪廻を離れ涅槃に向かえ

〜私は幸せでありますように〜
〜私の親しい人々が幸せでありますように〜
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜

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内 容 ニックネーム/日時
ワンギーサさん、おはようございます。私の母の弟が10年前に「悟るか野垂れ死ぬかどちらかだ」といって、家を捨て旅立ちました。中村元博士の『ダンマパダ』『スッタニパータ』に感銘し「釈尊の真似をして悟る必要がある」と突然行方不明になったのです。そんな経緯もあり、私の仏教観は「厳しい個人による悟りの道」です。その後、上座仏教と出会いますが、大乗の影響がない分違和感はありませんでした。叔父の消息は全く不明ですが、両親とその件で大喧嘩したために、両親の仏教観は「危険思想」です。さんざん「自分勝手だ。ワガママ。非常識すぎる。」の非難を浴びての家出でした。今、マザー・テレサさんの本を読んでますが、孤独の耐えがたさ、止まらぬ涙、などの内面的な苦しみを抱えていた事実があります。私はやはり、そうした自分の弱味を問題視しています。渇愛をなくして苦しみを克服したいと思います。有難うございました。

2009/07/30 04:55
ワンギーサ先生 新さんの話を読んで 涙がでてしまいました…子育ての機会に自分を観察することが日常的になり 仏教の勉強をしながら苦しみの原因が自分にあると知り ますますたくさんの葛藤と矛盾だらけに混乱しながら生活し 家族との関係に悩んでいます 努力しかないんですよね 本当に… 先生たちの話を聞きたい私の悩みをきいてもらいたいそんな欲が芽生えます こうしてコメントを見たりコメントさせてもらうだけでも励みになります ありがとうございます
楽の母
2009/07/30 09:01
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
僕もスマナサーラ長老の本で初めて仏教を学んだので、大乗の影響が少ないと思います。「神さまが救ってくれる」とか「阿弥陀様が云々〜」という話がもともと性格的に合わず、宗教は自分には関係ないと思っていました。ですがテーラワーダ仏教の教えを聞かせていただき、仏教に対する見方が180度変わりました。ダンマパダ103番の
「戦場で百万人に
打ち勝つよりも
一人の己に勝つ者が
最上の戦勝者だ」
を聞き、仏教徒の生き方が素晴らしいなあ、と思いました。さらに憧れるだけでなく、自分も頑張りなさいと、いつも励ましていただきます。
ありがとうございました。一切の過ちを懺悔いたします。生きとし生けるものが幸せでありますように。
橋優太
2009/07/30 10:21
 7月25日の記事のコメントを拝見し、ワンギーサさんが夜ブログになった理由が理解できました。

 新さんは、毎日投稿なさっていて、在家の鑑だと思っておりましたが、仏道修行に命がけで取り組んでおられたご家族の影響だったのだと、今日の投稿で理解できました。

2009/07/30 13:47
道を実践してみます。
ツヨシ
2009/07/30 18:52
大乗仏教に詳しい訳ではないのですが接した範囲で、自己顕示欲的なPR要素があるように思いました。どれだけ人を○○出来たか?導いたか?等を自分で宣伝するような要素を感じます。
こちらで学び身の丈で実践するものとして、自分の家庭・職場・社会など身近で慈悲喜捨等の実践していく大切さを実感しています。それは自己PR(広く人を助ける・導く?)とは無縁です。月のようにそっと夜を照らすような印象を持つ事もあります。
そして自己PRに走るのではなく、自身が悟りに達するように精進する事が大事と認識しています。
それを有言実行出来るように努めたいです。
身の丈修行者
2015/06/03 07:49

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