独り座し独りで臥して独り行き己の調御独り楽しむ

ダンマパダ 305

独りで座り、独り臥して
独り怠けずに歩き
独り己を調御する人は
森の中で独りを楽しむ


○この詩から学ぶこと

 人間は独りでは生きられないのです。これは人間ばかりではありません。独りで生まれて来たわけでではありません。両親が居て生まれてきました。その後も両親を初めとする多くの人々、生命の御陰で生きているのです。それは前提ですが、独りで生きていけない理由は心にあるのです。私たちの心は、他の存在に依存しているのです。他の存在に依存し、それに執着しているのです。ですから、独りでは生きていけないのです。しかし、その依存と執着は私たちの苦しみの原因になっているのです。それがなければ生きてはいけないのに、それが苦しみの原因なのです。

 それが分かるのは、独りでいる時なのです。独りで座り、独りで臥し、独りで歩くとき、孤独を感じます。寂しいと思います。普通は、孤独を感じる前に、何かに依存してしまうので、そのことに気がつきません。しかし、真剣に独りで座り、独り臥し、独り歩くとき、何かに依存したがっている自分に気がつきます。そして、それが自分を拘束し、不自由にしていることに気がつきます。それとは、心が眼、耳、鼻、舌、身、意(心の感覚器官)を通じて求めている刺激なのです。

 「独り己を調御する人は」、感覚の調御で、この刺激への依存や執着を止めて、刺激の拘束を離れて自由になります。そのような人は、独りを楽しむことができるのです。ですから、釈尊は、独りで修行することを推奨しているのです。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200809/article_23.html
 一人座り一人で臥して一人で歩き一人楽しむ

○少しでもブッダの肉声に近づくために(カタカナを3回音読して下さい。)

エーカーサナン  エーカセッヤン 
Ekāsanaṃ      ekaseyyaṃ,
一座         一臥
エーコー チャラマタンディトー
eko     caramatandito;
一人    歩行を怠けず
エーコー ダマヤマッターナン
Eko     damayamattānaṃ,
一人    調御する 己を
ワナンテー ラミトー スィヤー
vanante    ramito  siyā.
森の中で  楽しむ ように

○独り座し独りで臥して独り行き己の調御独り楽しむ

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

髙橋優太
2009年08月02日 01:54
ワンギーサ先生、今晩は。
最近はほとんど一人で生活するようになりました(夏休み中なので)。寂しいと感じていましたが、今日のお話で自分が何かに依存したがっているとわかりました。実況中継、がんばります。一切の過ちを懺悔いたします。三宝に帰依いたします。生きとし生けるものが幸せでありますように。
2009年08月02日 06:56
ワンギーサさん、おはようございます。これは前提の方ですが、昨年秋の病気では、肉体への執着に改めて気づきました。そして独り病院の待合室で座っていると、普段は鼻もひっかけないテレビドラマに自分でも驚くほど見いってました。比較的個人行動の多い私ですが、生か死かの問題と直面すると孤独を感じ、そして刺激を過剰に求めてしまいます。これは瞑想で思考をストップさせる訓練を強化して克服するしかありません。有難うございました。
ツヨシ
2009年08月02日 19:04
ワンギーサさん、こんばんは。
独り修行してみます。
身の丈修行者
2015年06月04日 06:24
自分を観察しますと、刺激を求めているのが分かります。巷で聞く「あー何か良い事ないかな~」みたいな発言も同じだと思います。刺激を求めても欲望が刺激されるだけで、その欲望にはキリがなく不毛になるように思います。
心の感じている事の実況中継を行い、刺激を求める事に渇望してしまう事がないように修行したいです。

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