外敵を守る城壁そのように自分を守り地獄を見るな(315)

ダンマパダ 第22章 315

内外を守られた
辺境の城壁のように
自分を守れ
瞬時も見逃すな
見逃した者たちは
地獄に引き渡され悲しむ


○この詩から学ぶこと

 昔のインドや中国の辺境の街は街の周りに城壁を廻らして、異民族や盗賊などの外敵の襲撃から守っていました。その警備は厳重で瞬時の油断も許されなかったのです。もし、警備を怠って、賊の進入を許してしまったら、街中の人々が皆殺しに遭うかも知れないからです。ですから、城壁を見守ることは非常に重要な仕事なのです。この詩では、「内外を守られた」と厳密に書いてあります。それは、城内に忍びこんで、内側から城壁の門を開ける賊にも注意すべきことを表現しているのです。

 そのように、私たち個人についても、私たちを不幸にする内外の敵から自分を守る必要があるのです。私たちの内外の敵とは、現代でも通り魔や訳の分からない暴力事件がありますから、それらに注意することも大切ですが、ここでは、自分を守るとは、自分の心を守ることについて説明します。

 心の外の敵とは、私たちの眼、耳、鼻、舌、身、意の感覚に対する刺激です。すなわち、色、声、香、味触、法です。心の内の敵は、それらの敵に対する反応です。その反応は3つあります。すなわち、快いものには、もっと欲しいという欲が現れます。不快なもの嫌なものに対しては、それに対する怒りが現れます。また、無関心なものには心に無知が現れるのです。この欲と怒りと無知は私たちを不幸にする心の内敵なのです。

 私たちの感覚には、絶えず、休むことなく、刺激が攻撃しているのです。ですから、心を守る仕事は休む暇がないのです。それらの刺激に注意しないで、心の中に進入することを許してしまうと、心の中に、欲か怒りか無知が現れて、私たちを地獄に引き込むような悪事を働かせることになるのです。ですから、心を守る必要があるのです。心を守るとは感覚の刺激によって欲、怒り、無知が現れないようにすることです。私たちがヴィパッサナー瞑想で実践しているように、音を聞いたら、よい音だとか、嫌な音だと思わずに。単に、「音、音、音」と聞けるようにすることです。

 ヴィパッサナー瞑想は心を守る実践です。
 
○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_1.html
 瞬時のひまなく心を守れ怠けた者は地獄行く

○この詩のパーリ語原文


ナガラン ヤター パッチャンタン
Nagaraṃ  yathā  paccantaṃ,
城壁    ように 辺境の
グッタン  サンタラバーヒラン
guttaṃ    santarabāhiraṃ;
守られた  内外を
エーワン ゴペータ アッターナン
Evaṃ    gopetha  attānaṃ,
そのように 守れ   自己を
カノー ヴェー マー ウパッチャガー
khaṇo  ve    mā   upaccagā;
瞬時も 実に  するな 虚しくすごす 
カナーティーター ヒ    ソーチャンティ
Khaṇātītā       hi    socanti,
瞬時を失った者は 実に  悲しむ
ニラヤンヒ サマッピター
nirayamhi  samappitā.
地獄に   引き渡され

○外敵を守る城壁そのように自分を守り地獄を見るな(315)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~
 

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この記事へのコメント

髙橋優太
2009年08月08日 22:26
ワンギーサ先生、今晩は。
三宝に帰依いたします。少しでも自分を守ります。ありがとうございました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
2009年08月09日 06:26
ワンギーサさん、おはようございます。通り魔たどの外の敵はその人の身体を狙ってきますが、霊感商法や悪徳商法などはその人の「心の隙」を不意打ちしてきます。だから「心」を守ってないと、実際に「生き地獄」を味わう可能性が高まってしまいます。特に「内側」のガードが甘いとそうした被害者にもなれば加害者にもなります。本来の瞑想の目的とは違いますが、絶えず自分の「心」を管理することは結果的に自分の身を守ることにも通じます。有難うございました。
2009年08月09日 08:24
 おはようございます。瞑想中、強い雑念が生じたら、自分の腕にしっぺや、頬を軽く平手打ちすることに、いたしました。具体的に少しは痛みや罰を与えないと、ケダモノのような自分は悪い思考から離れられないからです。愛のムチです。切り落とした片腕を差し出して達磨大師に入門を乞うた慧可さんのような真剣さでヴィパッサナー瞑想いたしたいです。
鹿
2009年08月09日 10:29
はじめまして!要望ですが、ブログの機能にひとつひとつの記事をカテゴリー別に分類できる機能があります。26品に分けてくださると、また読みたいときに助かります。数が多いため、手間がかかりそうですが、ひとつご検討ください。
ワンギーサ
2009年08月09日 16:33
高橋優太さん、新さん、Pさん、鹿さん、コメントありがとうございます。
鹿さんの要望ですが、私も26品に分類できるとよいと思っていましたので、それができるように検討します。
他の方も要望があれば、コメントに書いてください。できるものは、行います。
2009年08月09日 20:40
ワンギーサさん、こんばんは。先ほどある方から、上記コメントについてのご指摘がありました。瞑想はあくまで自分の心そのものを制御するものです。ちょうど通り魔などの犯罪の話が出てきたので、悪徳商法(振り込め詐欺など)やマインドコントロールなど現在いろいろ問題となってることをひっかけました。瞑想はあくまで自分の心をきれいにするためであって、心の隙をつく犯罪から守るためではありません。その点、混乱を招くおそれがありますので再コメントしました。有難うございました。
身の丈修行者
2015年06月07日 07:45
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「欲と怒りと無知は私たちを不幸にする心の内敵なのです」心に響きます。そのような内敵に脅かされる事がないようにしたいです。
同様に、心の外の敵・色々な意味での刺激の媒体にも注意したいです。その様なものに時間・労力・資金を浪費するとしたら、たちまち一日は終わる・・印象を感じます。戒めたいです。

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