恥ずべきを恥じることなく恥なきを恥とする者地獄に相当(316)

ダンマパダ 第22章 316、317

恥じるべきでないことを恥じ、
恥じるべきことを恥じない
この邪見を持つことによって
これらの衆生は地獄に行く

恐れるべきでないことを恐れ
恐れるべきことを恐れない
この邪見を持つことによって
これらの衆生は地獄に行く


○この詩から学ぶこと

 上の詩を別の面から表現すると次のようになります。

恥じるべきでないことを恥じない
恥じるべきことを恥じる
この正見を持つことによって
これらの衆生は幸福になる

恐れるべきでないことを恐れない
恐れるべきことを恐れる
この正見を持つことによって
これらの衆生は幸福になる

 「恥じるべきでないこと」とは何でしょうか?善行為をすることです。具体的には、十善行で表現されています。(ブログ内検索で検索して下さい。)恥じるべきことは、悪行為をすることです。十悪行があります。

 昔の日本では、あだ討ちは美徳とされていました。恨みに恨みで返すのですから、しかも相手を殺すのですから、完全な悪行為です。ですが、当時は間違った考え方で、あだ討ちを恥じないということがありました。これは「恥じるべきことを恥じない」というべきです。また今でも、戦争を肯定する人々がいます。これも「恥じるべきことを恥じない」というべきでしょう。これらの人々は邪見によって幸福にはなれないのです。

 内部告発ということがあります。告発という点は多少考える余地がありますが、企業や集団が法を犯す、悪行為をしようとする時、それを止めるのは善行為です。会社の目先の利益のために、悪を犯すのを容認するのは悪行為です。最後の手段として内部告発は恥ずべきことではないのではないでしょうか。会社は内部告発される恐れがあることを知っておいた方がいいのです。

 「恐れるべきでないこと」は何でしょうか? 基本的には「恥ずべきでないこと」同じ、善行為です。行為する人の感じ方が違うのです。例えば、布施という善行為があります。人によっては、偽善者と思われるのが恥ずかしくてしない人がいます。これは善行為をする勇気がないというか、やはり邪見です。またある人は、布施は自分の財産が減るので、それを恐れてしないということがあります。これは恐れるべきでないことを恐れるという邪見です。このような人もこの邪見で幸福になれないのです。

 以前述べましたが、恥じるべきこと(悪)を恥じること。漸といいます。恐れるべきこと(悪)を恐れる。愧といいます。この漸の心と愧の心が道徳を守る力になるのです。人々は道徳を守ることで幸福になるのです。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_2.html
 恥じるべきこと恥なしと思う邪見の人は地獄行く

○この詩のパーリ語原文

316.
アラッジターイェー    ラッジャンティ
Alajjitāye          lajjanti,
恥じるべきでないことで 恥じる
ラッジターイェー ナ  ラッジャレー
lajjitāye       na   lajjare;
恥じるべきことで ない 恥じる
ミッチャーディッティサマーダーナー
Micchādiṭṭhisamādānā,
邪見を   保持する
サッター   ガッチャンティ ドゥッガティン
sattā      gacchanti     duggatiṃ.
衆生たちは   行く      地獄に
317.
アバイェー          バヤダッスィノー
Abhaye             bhayadassino,
恐れるべきでないことで  恐れと見る
バイェー       チャーバヤダッスィノー
bhaye         cābhayadassino;
恐れるべきことで そして 恐れと見ない
ミッチャーディッティサマーダーナー
Micchādiṭṭhisamādānā,
邪見を   保持する
サッター   ガッチャンティ ドゥッガティン
sattā      gacchanti     duggatiṃ.
衆生たちは 行く        地獄に


○恥ずべきを恥じることなく恥なきを恥とする者地獄に相当(316)
○恐れなきを恐れありとし恐れありを恐れなしとは地獄に相当(317)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~
 

◎お知らせ
ある方がブログ内検索を作ってくれました。利用して下さい。
また、仏教ランキングに登録してくれました。
今回の詩に共感した方はクリックをお願い致します。

この記事へのコメント

2009年08月10日 05:01
ワンギーサさん、おはようございます。内部告発されるまでは、バレなきゃいい。ということでしょうか。最近なぜかこの「バレなきゃいいんだ」をよく耳にします。しかし、困ったことに「道徳や倫理というが、絶対バレない状況なのなら、悪をやってしまうのは人間の性であり、それは非難されるべきことではない」などと理屈をこねる人と又それに同調してしまう人が多いのは困ったものだと思いました。結局は「悪」を推奨してることになるからです。ダンマパダについての感想はいろいろで、「自分がこれをどう理解するべきか」「これを頭に叩きこんでおこう、心にすり込んでおこう」「理屈よりまずは実践だ」と思うことがほとんどですが、今日の詩は今生きてる全て人たちにも読んで欲しい内容だと思いました。有難うございました。
はるえ
2011年04月19日 19:49
怨みに怨みで必ず返したくなり悪事に悪事で必ず返したくなる私。岩に刻んだ様な執念深さがあり悪を蒔く事になると考え直し堪忍してます。自分でも非常に損な性(たち)と思います。
身の丈修行者
2015年06月07日 07:50
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「・・漸の心と愧の心が道徳を守る力になるのです。人々は道徳を守ることで幸福になるのです」心に響きます。
漸の心と愧の心が持てるように、そして道徳が守れるように精進したいです。

この記事へのトラックバック