罪なしを罪あることと見るならば邪見によって地獄に行くぞ(318)

ダンマパダ 第22章 地獄 318,319

罪ないことを罪あると思い
罪あることを罪ないと見る
この邪見の保持で
これらの衆生は地獄の行く

罪あることを罪あると知り
罪ないことを罪ないと知る
この正見の保持で
これらの衆生は天界に行く


○この詩から学ぶこと

 罪のないことを罪があると思うことはなにがあるでしょうか?あまりいい例が思い浮かびませんが、たとえば、残業をしないのは罪だと固執すること。このように思うと、体調が悪くても残業して、酷い場合は過労死になる。これを他人に押し付けると、その人に苦しみを与えるということがあります。

 罪のあることを罪がないと思うと、例えば、人間以外の生き物は殺してもよいと思うこと、異教徒や敵国の人々は殺してもよいと思うことなどがあります。この例は現実にあります。武器を製造しているということは、そういうことです。これらは大変間違った考え方で邪見といいます。地獄に行くといわれてもやむをえないと思います。

 一方、罪のあることは罪があると知って、罪のないことは罪がないと知っていることは正見といいます。正見があれば、罪を犯すようなことなく、正しい生き方ができるのです。そのような人々は、人間関係がうまく生き、幸福な人生が送れます。死後は天界に行くことになるでしょう。

 このような例は仏教を学んでいれば分かりやすいのですが、何が邪見で、何が正見か分からない場合があります。

 私たち人間は、事実をありのままに見ることができないのです。ですから、罪があるものを罪がないと見たり、罪がないものを罪があると思ったりします。自分の主観という色眼鏡を通して、世間を見ているのです。ですが、普通は自分が色眼鏡をかけているとは思っていません。自分は正しく見ていると思うのです。少し古い話しになりますが、「見たんだからしょうがない。」という言葉がはやりました。これも自分がみたことは事実だと言い張っているのです。

 主観的に判断してもあまり問題にはならないこともありますが、罪になることや、罪でないことを罪にしてしまうと、自分にも他人にも大きな影響を及ぼします。ですから、自分の判断や見解に固執しないことが大切です。しかし、自分の判断や見解を固執しないことは大変難しいことなのです。人々は多くのことは譲っても、見解だけは譲らないのです。ですから、ある場合は美徳のように言われていますが、自分の主義主張のためには命をも捨てるのです。多くの人々は主義、主張、見解は命より大切に思っているのです。

 ここで、また「戒め」の最後の言葉44番を思い出します。

 「他人は自分の主観にとりつかれ、しがみつき、捨てられないでいるが、我々は自分の主観にとらわれず、しがみつくことなく、簡単に捨てられるようにと戒めましょう。」 (日常読誦経典p83)

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_3.html
 罪なきことを罪なしと思う正見の人天に行く

○この詩のパーリ語原文

318.
アワッジェー  ワッジャマティノー
Avajje       vajjamatino,
罪ないことを  罪あると思って
ワッジェー  チャーワッジャダッスィノー
vajje      cāvajjadassino;
罪あることを 又 罪ないと見て
ミッチャーディッティサマーダーナー
Micchādiṭṭhisamādānā,
邪見の   保持によって
サッター   ガッチャンティ ドゥッガティン
sattā      gacchanti     duggatiṃ.
衆生たちは 行く        地獄に
319.
ワッジャンチャ  ワッジャトー ニャトゥワー
Vajjañca      vajjato     ñatvā,
罪あることを 又 罪あると   知って
アワッジャンチャ アワッジャトー
avajjañca      avajjato;
罪なしを 又   罪なしと
サンマーディッティサマーダーナー
Sammādiṭṭhisamādānā,
正見を   保持によって
サッター   ガッチャンティ スッガティン
sattā      gacchanti     suggatiṃ.
衆生たちは 行く        天界に

○罪なしを罪あることと見るならば邪見によって地獄に行くぞ(318)
○罪ありを罪あることと見るならば正見により天界に行く(319)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


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この記事へのコメント

2009年08月11日 07:19
ワンギーサさん、おはようございます。見解がどれほど事実を歪めてしまうか。最近、「99,9%は仮説」(竹内薫著)を読みました。地動説を唱え裁判になったガリレオですが、ガリレオが自分の発明した天体望遠鏡を披露するために、24人の大学教授を集めて、実際に覗かせました。学者たちは、はるか遠くの建築物や森などが目の前に映し出されたことに驚き、ガリレオを称賛しました。しかし、次に天体を見せたとき、月のクレーターなどが見えました。教授たちは驚き「こんなのはデタラメだ!」とし、「望遠鏡は下界においては見事に働くが、天上にあっては欺く」と言いました。当時、天上界は完璧であり、月にクレーターがあるはずがないからです。(以上一部抜粋)。馬鹿げた話のように思えますが、「見解、思い込み、常識」に対するこだわりの強さを感じる一例です。現代の私たちも同様なのでしょう。なかなか気づきづらく、直しづらいと言えます。「絶対的な真実」と思い込んでいます。思ったのですが、比較的肌のあうのではなく、自分と全く違う考えの本を読むと「自分の見解」が見えてくるので、そうした本を読むのも悪くないと思いました。有難うございました。
あっきん
2009年08月11日 10:06
おはようございます。
真理はいつの時代も生きていると思いました。
最近、マスコミは麻薬について取沙汰されていますが、仏陀はすでに説いていた。お酒も麻薬も似ている。依存症になり理性がなくなり正見どころでない。法律違反だからしないのでなく、自分の心を守り真の幸せになるために五戒を守るのだと改めて感じました。
身の丈修行者
2015年06月07日 07:55
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「自分の判断や見解に固執しないことが大切・・しかし大変難しい・・人々は多くのことは譲っても、見解だけは譲らない・・」心に響きます。本当にそうだなと実感致します。色眼鏡を持ってしまう事の恐ろしさを感じます。
そのような事がないように戒めたいです。

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