戦場で弓で打たれた象のよう誹謗する人私は耐える(320)

ダンマパダ 第23章 象 320

私は象が戦場で
弓から放たれた矢を耐えるように
誹謗を耐え忍ぼう
多くの人々は不道徳だから


○この詩から学ぶこと

 「なさぬ堪忍するが堪忍」という諺があります。我慢できない我慢をするのが我慢(堪忍、忍耐)だという意味です。ダンマパダの184番に「忍耐は最高の修行」(カンティ パラナン タポー ティティカ)という言葉があります。何事をするにも忍耐力がなければ成功しません。それは多くの人が知っています。

 世間で忍耐が必要だというときは、事業を成功させるため、あるいは美しくなるためのダイエットなど欲のためです。あるいは、恨みを忘れないために、「臥薪嘗胆」と言って、まきの上で眠り、にがい牛の肝をなめるなどの忍耐をするのです。仏教で教える忍耐は、欲をを少欲にするため、怒りをなくすためにするのです。これは欲や怒りのための忍耐よりも難しいのです。しかし、その意義を理解し、精進が進めば、欲や怒りのための忍耐はむなしいのですが、それとはと違って充実感と満足が感じられるものなのです。

 話しは変わりますが、先日「ヴィパッサナー瞑想を行っているが、進歩が感じられない。」という相談のメールがありました。修行というものも、一本調子で進歩するものではなく、いろいろ紆余曲折があります。順調に進歩する場合もありますが、ほとんど進歩が感じられないこともあります。長年の間につけてしまった心の癖を直して、人格を成長させることは、人間一生の一大事ですから、ただ食うための仕事以上に、大変で難しい課題なのです。それこそ忍耐が必要なのです。

 上の詩は誹謗にたいする忍耐ですが、これは長期間耐え忍ぶというよりは、一瞬の心の変化を制御することなのです。誹謗を聞いた瞬間、心に怒りが生まれます。それがまだ小さな火のうちに直ぐ、水をかけるように、怒りを消すのです。大きな火になると消すのが大変です。ですから、忍耐を成功させるためには、常に心を観察して問題が大きくならないうちに、対処することです。欲のコントロールについての同様のことが言えます。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_4.html
 誹謗する人道徳ない人私は象のように耐え忍ぶ

○この詩のパーリ語原文

320.
アハン ナーゴーワ サンガーメー
Ahaṃ  nāgova     saṅgāme,
私は  象のように  戦場で
チャーパトー パティタン サラン
cāpato      patitaṃ   saraṃ;
矢から     落ちた   矢に
アティワーキャン ティティッキッサン
Ativākyaṃ      titikkhissaṃ,
誹謗に        耐え忍ぶ
ドゥッスィーロー ヒ   バフッジャノー
dussīlo       hi   bahujjano.
不道徳      実に 多くの人々は

○戦場で弓で打たれた象のよう誹謗する人私は耐える(320)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~
 

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この記事へのコメント

林田明大
2009年08月12日 02:30
第一印象は、
「うーん」
 でした。
 徳川家康ではありませんが、やはり、忍耐力は、一番大切な心の力だと、不肖、この私も思います。
 仕事、友人関係、結婚生活、親子関係、どれをとっても、モノを言うのは、忍耐力です。
 
2009年08月12日 06:10
ワンギーサさん、おはようございます。スマナサーラ長老著『ブッダの教え一日一話』のp29に「けんかに勝ちたいのなら、向こうが何を言おうが、何をしようが、あっけらかんとニコニコしていることです。…そのためには、つねに自分の心を知ることです。…」とあります。難しいことですが、笑っているときは怒りが現れません。ユダヤ人は迫害された民族ですが、「ユダヤジョーク」を読むとユーモアで対抗してる様子がうかがえます。何が言いたいのかというと、普段からの対策です。それは、慈悲の瞑想であったり、仏教の勉強であり、こうしたジョークを読んだり、と色々ありますが、最近は「人生ドラマであり、そこに悪役や敵対者がいるお陰で、自分の人生が楽しくなる」という、人生論の一節が気に入りました。日頃の考え方次第でも随分違います。さて、それでも誹謗されて怒りがこみあげた場合ですが、友人は『ノコギリのたとえ』の一節を思い出すと怒りがおさまるそうです。私の場合「あなたが幸せでありますように」と念じるとかなりおさまります。しかし根本的な対処方法は「瞑想」であることはそうした経験を経ても理解出来ます。有難うございました。
2009年08月12日 06:11
林田先生、おはようございます。
2009年08月12日 06:27
上記コメント、最初は「怒り」が起きない心の状況をつくる工夫、二番目はそれでも誹謗されて「怒り」がこみあげたときの工夫、最後は根本的な方法という順番で書いたつもりです。なぜそのようなことを書いたかというと、私もそうですが、「怒り」が出やすい場合「怒りが頂点」に達した状況ではとても心の観察というのは難しいからです。工夫の余地はそれなりにあると思ってます。有難うございました。
2009年08月12日 07:11
おはようございます。もうすぐ終戦記念日です。日本が敗戦を迎えた日、昭和天皇が玉音放送の中で「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」と、道元禅師の言葉を引用なさったそうです。敗戦という屈辱、家族の戦死やいろいろなことに耐え、とにかく、日本を六十年間、平和な状態にしてくださった昭和の人たちには、感謝の言葉もありません。

ところで、「ヴィパッサナー瞑想を行っているが、進歩が感じられない。」という相談のメールのことが、今日書かれていましたが、それは私も相談したかったことなので、忍耐が大切との今日のアドバイスは、私も参考にさせていただきたいと思います。今日も麦茶を飲みつつ、蝉時雨を聞きつつ、ドラマ「相棒」など見たりしながら、瞑想修行いたしたいと存じます。
ワンギーサ
2009年08月12日 09:19
林田明大先生、新さん、Pさん、おはようございます。
 特に、林田先生には久しぶりのコメントありがとうございます。「朋有り遠方より来る、亦楽しからずや」の心境です。去年のこの詩に関する記事を見ますと、林田先生と新さんのコメントがありました。読み返しますのも楽しいものですね。私は先生のブログをほぼ毎日読んでいますが、コメントもたまにはしないといけないと思いました。
 Pさんへ。「ドラマ「相棒」など見たりしながら、瞑想修行」はいけません。瞑想修行は瞑想修行に集中して行わなければ効果がありません。老婆心まで。
才木広之
2009年08月12日 19:54
このおことばにはまず聞くと言う前提が有り、
私は少し間違いを犯している事に気付きました。双方無常であるのにやはり過去のとらわれが有り聞いていても妄想で聞いている事を発見できました
まず聞く。
誹謗であると判断したなら自分の心が清らかであるよう努めるべきだと思いました
ワンギーサ
2009年08月13日 07:09
才木広之、おはようございます。コメントありがとうございます。今後も気楽にコメントして下さい。質問にはお答えしますが、感想にはお答えしませんので宜しく。
身の丈修行者
2015年06月08日 08:28
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「小さな火のうちに直ぐ、水をかけるように・・忍耐を成功させるため・・常に心を観察して問題が大きくならないうちに、対処する・・」心に響きます。
まだ小さいうちに観察すると、魔法?のように観察対象として終わるように思います。
ですが大きくしてしまうと思考が回転し、色々なスイッチがスイッチが入って止まらない・・状況になると思います。その時に下手をすると破壊行為等をし身を滅ぼしかねません。
忍耐を培って参りたいです。

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