訓練した象に王が乗る訓練して誹謗に耐える最高の人(321)

ダンマパダ 第23章 象 321

訓練された象が戦場に行く
王たちは訓練された象に乗る
訓練して誹謗を耐え忍ぶ人は
人間の中で最高の人である

○この詩から学ぶこと

 よく訓練された象が、戦場で戦力として使えるのです。ですから、王たちはよく訓練された象に乗り、戦場に行くのです。

 何を訓練するのでしょうか?良馬の訓練については、増支部経典(南伝大蔵経19巻、p234、p235)に記載があります。直行、速疾、柔軟、忍耐、浄性について訓練するのだそうです。そして、この五項目についてよく訓練された比丘は最上の福田(ふくでん)だと述べられています。福田とは「田が作物を生じるように、供養することにより福徳を生じる対象、仏、僧という意味です。

 馬や象や比丘の訓練において五項目ありますが、忍耐もあり、それは訓練すべきことがらなのです。前回の「この詩から学ぶこと」では訓練方法について、八正道の実践がその訓練方法であるとのべました。その通りですが、今回は感覚のコントロールについて少し述べたいと思います。

 忍耐するとは、欲を我慢する、怒りを我慢するということでしょう。欲にはいろいろな欲があります。仏教で五欲というと、眼耳鼻舌身の欲よいう場合は多いのですが、財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲と考えても同じです。忍耐とはこれらの欲を我慢することです。また、怒りにもいろいろな種類があります。嫉妬や落ち込み、泣くことも怒りの種類です。

 欲や怒りはどのように現れるのでしょう。これらは感覚への刺激から始まるのです。感覚に対して快感のあるものは、もっとその感覚が欲しいという欲が現れるのです。一方、感覚に対して不快なものは、嫌だという怒りが生まれます。ですから、欲や怒りが現れ、大きくなる前に、感覚の快感や不快感が現れた瞬間にコントロールする訓練をするのです。そのためには感覚の変化を瞬時に気づく訓練が必要です。ヴィパッサナー瞑想はそのための訓練で、真理を発見するためのものです。誹謗に耐え忍べる人はこの訓練の完成者なのです。ですから、そのよう人は最高の人間だと言うのです。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_5.html
 訓練された象のように誹謗に耐えるスーパーマン

○この詩のパーリ語原文

321.
ダンタン   ナヤンティ サミティン
Dantaṃ    nayanti    samitiṃ,
調御された 伴い行く   集会に
ダンタン   ラージャービルーハティ
dantaṃ    rājābhirūhati;
調御された 王が乗る
ダントー  セットー   マヌッセース
Danto    seṭṭho     manussesu,
調御して 最上の人  人間の中で
ヨーティワーキャン ティティッカティ
yotivākyaṃ      titikkhati.
その人 誹謗を   耐え忍ぶ

○調御した象に王が乗る調御して誹謗に耐える最高の人(321)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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この記事へのコメント

才木広之
2009年08月13日 07:16
王とは心の事でしょうか、また象とは自分の体の事でしょうか。

体の癖を忍耐によって直し、またその自分を使いこなすようになれれば素晴らしい。

生きとし生けるものが幸せでありますように
2009年08月13日 07:19
ワンギーサさん、おはようございます。昨日のコメントでは、「ジョーク集」のような心のゆとりを持てる本を読んだりすると怒りが起きずらくなると書きました。最近読んだ、「詐欺や悪徳商法」に関する本を読むとあちこちに注意を促す文句があり、被害妄想的になってしまいます。前者は楽観的、後者は悲観的とすれば、楽観的な方が安全で気楽です。知らない人と目が合っても、好意的と受けとめるか、あるいは敵意や悪意と受けとめるかぐらいの違いがあります。このように、人や出来事を見たいよいに見て解釈するのが普通でしょう。どうせ解釈するなら気持ちが楽になりたいので、そうしたノウハウは人気があります。癒しもその一例です。ただ、解釈などは状況によって変わってしまいます。楽観主義は容易に悲観主義になってしまいます。両者を行き来してるのがほとんどの人でしょうが、やはり問題は「解釈」にあります。楽観的にみても所詮「主観」は「主観」なのでぐらつきやすく、より癒してくれる「主観」を求めます。付け焼き刃の効果を狙うのではなく、「解釈」そのものをやめるのが根本的で、「瞑想」に励むしかありません。頑張りたいと思います。有難うございました。
ワンギーサ
2009年08月13日 08:48
才木広之さん、新さん、おはようございます。コメントありがとうございます。

才木さんのコメントについて。面白いことに気がつかれたようですが、仏教は心の訓練を重視しておりますので、象の訓練を体の訓練と解釈しない方がよいと思います。訓練が大切だという意味で、象の訓練の譬えが出ているのだと思います。

才木広之
2009年08月13日 10:46
訓練をするということは、その方は訓練する必要がある。訓練して行いを改めます。誹謗されるかもしれません。行いを改めた自分に乗れるよう訓練する。そのような方は最高の人ですよ、とそのような方をブッダは褒め称えている

身の丈修行者
2015年06月08日 08:36
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「感覚の快感や不快感が現れた瞬間にコントロールする訓練をするのです。そのためには感覚の変化を瞬時に気づく訓練・・」心に響きます。出来る範囲で実践し、常に心の観察をし、そしてコントロールが出来るように精進したいです。
自分なりに実践し、会話中やインターネット中に疎かになりがちだと感じています。そのようなものは必要限りとし、長時間を使ってしまわないよう戒めたいです。

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