馴らされた駿馬や巨象それよりも自制ある人はよりすばらしい(322)

ダンマパダ 第23章 象 322、323

訓練されたロバたちは優れている
シンドゥ産の馬たちも優れている
象や巨象たちも優れている
それよりも自分を訓練した人は優れている

何となれば、これらの乗り物では
未到の涅槃には行けないから
自分をよく訓練することによって
訓練した人は到達する


○この詩から学ぶこと

 訓練されたロバは人間の役にたちます。訓練されていないロバに比べて優れていると言えるのです。また、シンドゥ地方産の馬は名馬が多いので、優れていると言えるのです。象や巨象たちも従順で力があり、忍耐強いので優れていると言えるのです。しかし、それ以上に、それよりも自分を訓練した人は、優れていると322番の詩は述べています。それはなぜでしょうか。その答えが323番の詩です。

 答えはこうです。訓練されたロバでも、シンドゥ地方産の名馬でも、象あるいは巨象に乗って、最終目標である涅槃には行くことはできないと述べているのです。しかし、自分自身を訓練するによって、そのことよってのみ涅槃に到達することができます。それゆえに、自分自身をよく訓練した人は、それ以上に優れた人であると述べられているのです。つまり、生命にとって最高の目標、究極の平和と幸福の境地は涅槃であると宣言しているのです。

 さて、それでは自分自身を訓練すべきでしょうか。それは八正道の実践です。その内容は正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定です。これらについては、すでに何度も説明してありますから、ブログ内検索で調べて下さい。

 八項目も一緒にできないと言う方がおられましたが、どこからから初めてもよいのです。しかし、正見、正思惟から初めは難しいかもしれません。これは長老の説法を聞いたり、仏教の本を読んで、理解するところから始めるのがよいでしょう。具体的な実践は正語、正業から始めたらよいと思います。それらを熱心に取り組めば、それは正精進になります。ヴィパッサナー瞑想をはじめれば、正念を始めたことになります。八正道は関連のある修行体系ですから、どこから初めても、全体が前進するように工夫されています。八項目はすべて、心を清らかにし、心を育てるものであるので、それは当然のことであるのです。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_6.html
 乗り物でなく、自己の訓練が未到の涅槃に連れて行く

○この詩のパーリ語原文

322.
ワラマッサタラー    ダンター
Varamassatarā      dantā,
優れている ロバは  訓練された
アージャーニーヤー チャ スィンダワー
ājānīyā          ca   sindhavā;
駿馬          又   シンドゥ産の
クンジャラー  チャ マハーナーガー
Kuñjarā      ca   mahānāgā,
象         又  巨象は  
アッタダントー    タトー  ワラン
attadanto        tato    varaṃ.
自分を訓練した人 それより 優れている
323.
ナ   ヒ      エーテーヒ ヤーネーヒ
Na   hi       etehi      yānehi,
ない 何となれば これらの  乗物によって
ガッチェッヤ アガタン ディサン
gaccheyya   agataṃ   disaṃ;
行ける     未踏の  地方に
ヤター タナー   スダンテーナ
Yathā'  ttanā     sudantena,
ように 自分を    よく訓練して
ダントー    ダンテーナ ガッチャティ
danto       dantena    gacchati.
訓練した人が 訓練で    到達する

○馴らされた駿馬や巨象それよりも自制ある人はよりすばらしい(322)
○なぜならばそれに乗っても涅槃にいけない自制で行ける(323)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

 
◎お知らせ
ある方がブログ内検索を作ってくれました。利用して下さい。
また、仏教ランキングに登録してくれました。
今回の詩に共感された方はクリックをお願い致します。

この記事へのコメント

才木広之
2009年08月14日 03:47
自分自身を訓練すること。
尊敬する御方がこう言われるからそのようにする
ブッダがこのように言われるからこうする
など大切なことと思います
しかし最終的には、
尊敬する御方はこのような事で、この事を自分におっしゃってくださったのか、と気づき自分のものとする。
ブッダははこのような事で、この事を自分におっしゃってくださったのか、と気づき自分のものとする。
慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想は自分を助けてくれます。
生きとし生けるものが幸せでありますように
2009年08月14日 06:06
ワンギーサさん、おはようございます。すると今日の詩の象は昨日のような「心」の比喩としてではなく、実用的なホンモノの象を意味してると単純に考えていいのでしょうか?例えば、ひとつの解釈として、同じ仏教を実践していても、「自己を戒め、罪を犯さず生きる」という立場(天界への道)と、「全てを捨てて解脱の道を歩む」立場に分ければ、昨日は前者、今日は後者とみなすことも出きるかと思います。もちろん、そうした区分に多少無理があるのはわかるのですが、昨日の解説で誹謗にたえられる人は修行完成者とあったので、やはりそこで矛盾してしまうのです。その辺はどうなのでしょうか?有難うございました。
ワンギーサ
2009年08月14日 08:52
才木広之、新さん、おはようございます。コメントありがとうございます。

新さんへ。昨日の詩も今日の詩も涅槃への道を説いていると思います。
2009年08月14日 09:58
ワンギーサさん、ご指導有難うございます。当時のインドでは、象は人間が幸福に生きるための極めて象徴的な動物だったのかもしれませんね。しかし、真の幸福は八正道を歩むことです。象は現代日本でいえば、便利な電子機器などの延長線にあるような存在なのだと思います。有難うございました。
才木広之
2009年08月14日 11:13
例えば、自分の親しい人が修行してれば、どうぞ涅槃までくじけず言ってほしいと思うでしょう。

言葉の限度があるから例えなければ仕方無いのですよ

自分が八正道を進むと決めたなら、その自分を(八正道を進むと決めた自分)励まし応援する自分が必要なのです。後で頭でごちゃごちゃ考えてることは、全て逃げですよ。初めて八正道を今日知ったのならその事について検討は必要でしょうが。一度でも納得する自分がもしいたなら乗ってしまえばいいんですよ。ごちゃごちゃ考えないで

八正道を進むと決めたなら、決めた時点でもうそれで完成してるでしょうに。預流果位にはなるでしょうに

決めた時点で決着がついているのです。あとはその自分を、乗りこなすだけしかすることはないでしょうに

親が、子を育てるときのように自分を、自分で育てればいいでしょう。

生きとし生けるものが幸せでありますように

あっきん
2009年08月14日 11:17
おはようございます。
涅槃が最高の幸せ。
当たりまえだけど涅槃を体験した事がない。だからピンときませんでした。あべこべ思考になっていると自分で感じます。体・生活等の豊かさは崩れさるもの。人の影響力は強い。智慧ある人に親しみ正法を勉強すると少しは価値観が変わる。それにもまして、自分自身で調教する強さを身に付けたいです。
*今後、私のコメントで違っているとこがあれば指摘して頂けると嬉しいです。
  宜しくお願いします。(*^-^*)
才木広之
2009年08月14日 11:37
とにかくブッダのことばを、なぜこのことばを発せられたかを知りたければ、慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想をしていったほうが理解しやすいです。ことばでなく心ですから。心が答えで、言葉は式でしょう。ですから答えに気づいてしまえば、数式は無数にあるでしょう。
慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想で真実を観るのです
そうすれば答えに合うように数式を理解していくだけの作業です。

どうぞブッダのことばで理解できないときは、慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想をしてください。さかさまをやるとかなり危険です

理解しようとせず、言葉だけを暗記されておいたら答えが出た時には、そういううことでこのことばをおっしゃられたのかと気づくときもあると思います。

真理は間違いない答えなのです。あとは少し世の中を生きていく上で必要な事をおっしゃられているられているだけです

生きとし生けるものが幸せでありますように
あっきん
2009年08月14日 12:14
さかさまをすると、時により地獄行き片道キップを買ったことになります。理解するには智慧が必要ですね。ありがとうございます。
2009年08月14日 13:07
なるほどです。基本的にはそうですが、でもだからこそ説法があるのだと思います。このブログは私なりに、勝手に説法(解説)だと思ってますが、言葉が限界にぶつかって自分の気づかなかった誤解が逆にわかったりすることがあります。だからいいのです。スマナサーラ長老の法話もそうですね。いつも意外な発見がありますから。
才木広之
2009年08月14日 22:36
ワンギーサさん
私はこの説法をお聞きして初めて気づいた事を書きました。
仏陀の言葉などの御本等を読ませていただいているわけですが、スマナサーラ長老、また今回は、ツヨシ様のことが気になったこともありワンギーサ長老へ書き込みをさせていただきました。生きとし生けるものの一員として書き込みをさせて頂いています。また新様あっきんさまのお言葉もあり私の変化していく要因となっておりますところです。私は仏教の科学的な面は研究しておりませんが、少しずつ対話の中で実践としてそういったことを経験できることがありがたいことだと思っております。

突然の書き込みにかかわらず対応していただき
また
生きとし生けるものが幸せでありますようにという思いが強くなったところです
身の丈修行者
2015年06月08日 08:43
「自分自身をよく訓練した人」に成れるように精進したいです。
身の丈の具体的に、正語は特に人の欠点の話時に非難・誹謗にならないように・無駄話をしないよう戒め、ヴィパッサナー瞑想は正念になるように真剣に取り組みたいと思います。

この記事へのトラックバック