眠りこけ大食喰らう愚か者母胎に入り輪廻を続ける(325)

ダンマパダ 第23章 象 325

眠りこけ大食を喰らい
ごろごろ寝るのを好む愚鈍の人は
えさを与えられる大豚のように
何度も母胎に入り輪廻を続ける


○この詩から学ぶこと

 この詩を理解するためには、何度も母胎に入ること、何度も生まれ変わること、すなわち輪廻することであることを理解しなければ分からないのです。しかも、輪廻は望まれることではないのだということも理解しなければ分からないことなのです。

 なぜ、輪廻は望まれるものではないのか? 実は、死ぬのは嫌だと思い、それが不可能ならばせめて、生まれ変わりたいと思う人もいるのです。生まれ変わる方法は簡単です。今回の詩のように、眠りこけ、大食を喰らっていれは、何度も輪廻できます。この詩は輪廻は望まれるものではないと教えています。しかし、それを理解するのは難しいのです。生まれ変わることは、もう一度生きることで、生きることは苦しいことであることを理解しなければならないからです。生きることは苦しいことだと理解すると、輪廻は繰り返すことをやめようと思うのです。そうすると、「眠りこけ、大食を喰らい、ごろごろ寝るのを好む」ことはやめようと思うのです。

 「生きることは苦しいことである」というは、仏陀が悟られた偉大な真理ですから、簡単には理解できません。なぜならば、私たちは、いつも生きていたい、死にたくないと思っているからです。「生きることは苦しいことだ」と理解できないからです。

 この詩に関連して、ダンマパダの152の詩を思い出します。

学ぶこと少ない人は
牡牛のように老いていく
彼の肉は増えるが
彼の智慧は増えることはない

 理解が難しい事柄でも、怠けを止めて、学ぶことで、智慧が増え理解できるようになります。

 日本テーラワーダ仏教協会から出版されているお施本に、スマナサーラ長老 著「なぜ苦は偉大なる真理なのか」というパンフレットがあります。興味ある方は協会事務局に問い合わせ下さい。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_8.html
 大食くらい寝転ぶ人は大豚のごとく輪廻する

○この詩のパーリ語原文

325.
ミッディー ヤダー ホーティ マハッガソー チャ
Middhī    yadā   hoti    mahagghaso  ca,
眠る者   時に  である  大食者     又
ニッダーイター   サンパリワッタサーイー
niddāyitā       samparivattasāyī;
眠りを貪る人は  ころごろ横たわる者は
マハーワラーホーワ ニワーパプットー
Mahāvarāhova     nivāpapuṭṭho,
大豚   ように    餌で育てた
プナップナン ガッバムペーティ マンドー
punappunaṃ  gabbhamupeti    mando.
何度も     母胎に入る     愚鈍の人は

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


 
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この記事へのコメント

2009年08月16日 04:28
ワンギーサさん、おはようございます。「輪廻からの解脱」というテーマならもうお手上げです。「精進」がキーワードだと思ってます。仏教を学び、お布施など善行為をし、真面目に瞑想すれば、かなり苦しい状態は緩和され、そしてさらによくなり、気持ちに余裕が出てきて、物事の道理がわかやすくなったりします。しかしここで満足すると、同じところをぐるぐる回るハメになるので、どうしても「精進」が必要です。せっかく作ったあの積み木細工を壊してやり直すような「勇気」が必要です。詩の最後の部分を除いては、多くの哲人や聖人が問題としてきたものです。優れた思索や洞察力で「快楽的な生き方」へのアンチテーゼを打ち出してますが、「偉大なる真理」を発見されたのは、あのお釈迦様だけです。全ての「苦しみ」を乗り越えるために「瞑想」を頑張ります。有難うございました。
あっきん 
2009年08月16日 11:42
こんにちわ。
 トコトコトコ繁華街を歩いていると、なにやら甘い香りがしてきました。ウーン~いい香りと思うがいなや、次の瞬間苦笑してました。”いいと”感情が入っているのに、気がついたからです。いい香りかor悪い香りになるかは,私のエゴで実際はにおうだけなのです。欲に翻弄されると、自我が破れないと思いました。  おわり。
才木広之
2009年08月16日 19:26
個人的な質問で大変申し訳ないのですが、このような事です。僕は自分の意思がはっきりする頃から、もし戻れたらどうする(例えば失敗をする前等)といった質問に考えたくないぐらいいやな感情を持っていました。失敗だろうがなんだろうがせっかく人生をここまで終わらせてきたのに、まっぴらごめんだと思っていました。想像するだけでも(もしあの時に戻れたら等)思うだけで怖くなるほどです、今でも全くそれは変わりありません。今はじめて輪廻というものに向き合おうと思います。はっきり言ってどれが欲で、どれが欲でないかなんてことは正直にここでしゃべると僕にはさっぱりわからないのです。スマナサーラ長老の御本も読ませていただいておりますが。なるほどそういうことかと感じるだけで、さっぱり実感としてわかないのです。これはぜいたく病なのでしょうか。私には欲が有るのでしょうか、それを調べる為にはどうしたらよいでしょうか。輪廻なんてのはまっぴらごめんなのです。これで最後にしたいのです。私は輪廻するのでしょうか今のままでは。その確証はいただけるのでしょうか。よろしくお願いします

生きとし生けるものが幸せでありますように
ワンギーサ
2009年08月17日 09:24
才木広之さんへ。質問にお答えします。
阿羅漢にならなければ、輪廻を繰り返すことになります。ですから、凡夫である人は輪廻します。
ヴィパッサナー瞑想は、身受心法を観察する実践です。ヴィパッサナー瞑想を正しく行えば、自分の心にある欲が分かります。精進あるのみです。三宝の御加護がありますように。
才木広之
2009年08月19日 20:50
慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想、心を清らかにすることだけに精進することが完成したならば阿羅漢になれますでしょうか。どうぞ、どうぞ、お教えください

身の丈修行者
2015年06月09日 07:20
働かず楽な生活を求めてしまう・・方もいらっしゃるようですね。そのような状況の方はきっと輪廻を繰り返す状況になるように思います。
「生きることは苦しいことである」を智慧で分かるように精進したいです。

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