いにしへは心のままにしたがいぬ今は心よ我にしたがえ(326)

ダンマパダ 第23章 象 326

昔はこの心はさまよっていた
心の望むように、好きなように
今こそ私は心を完全に従わせる
象使いが狂暴になった象を従わすように


○この詩から学ぶこと

 今日の記事にタイトルは一遍上人(いっぺんしょうにん)の短歌です。「いにしへは心のままにしたがいぬ今は心よ我にしたがえ」。この短歌の意味は「昔は私は心のままに、好きなようにさまよっていた。しかし、(私は心のままに行動していてはいけないと気がついた。)今からは心は私の理性に従いなさい。」というものです。まさに、今回の詩と同じ意味のことを一遍上人は短歌に歌われたのです。

 一遍上人は浄土系「時宗」の開祖で、鎌倉時代(1239年)に伊予国(愛媛県)の道後で生まれました。「遊行上人(ゆぎょうしょうにん)」、「捨聖(すてひじり)」と尊称されています。一遍上人がダンマパダ(法句経)を読んでいたかどうかわかりませんが、上人の気持ちはこの通りだったことは間違いありません。

 では、この詩について少し調べてみましょう。「 心の望むように、好きなように」とはどういうことでしょうか? 感情のおもむくままに行動することです。人間の感情は喜怒哀楽と言われますが、これらは欲と怒りと無知に支配されているのです。欲が満たされれば喜、楽が生まれ、欲が満たされないと怒、哀が生まれます。しかもこれらは理屈ではなく、単なる無知という衝動に支配されているのです。

 感情のままに生きる人々(心のままに生きる人々)は、人間関係の問題も多く、生活は生き難く、幸福とはいえなくなります。そこで、感情のままに生きてはいけないとこれらの人々は気づくのです。
これからは感情ではなく、気づいた私(理性的な私)に従わなければいけないと決意するのです。
感情に従うのは無知です。無知から離れ、感情をコントロールするのは理性なのです。

 余談になりますが、ブログの記事のタイトルは、これまで都都逸(どどいつ、7775)で書いてきましたが、一遍上人の短歌を切っ掛けで、短歌で書くことにしたのです。ですから、この二三日後からのタイトルは一応、57577でまとめた短歌です。私としては上手、下手は問わないことにしています。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_9.html
 いにしへは心のままにしたがいぬ 今は心よ我にしたがえ(一遍上人)

○この詩のパーリ語原文

326.
イダン プレー  チッタマチャーリ チャーリカン
Idaṃ   pure    cittamacāri     cārikaṃ,
この   以前は  心は 行った   徘徊を 
イェーニッチャカン ヤッタカーマン  ヤタースカン
yenicchakaṃ      yatthakāmaṃ   yathāsukhaṃ;
所へ 欲救の     好きなように   楽なように
タダッジャハン ニッガヘッサーミ ヨーニソー
Tadajjahaṃ    niggahessāmi    yoniso,
今こそ 私は  抑制しよう     根本的に
ハッティッパビンナン ヴヤー アンクサッガホー
hatthippabhinnaṃ    viya   aṅkusaggaho.
狂暴になった象を   ように  象師

○いにしへは心のままにしたがいぬ今は心よ我にしたがえ(326)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


 
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この記事へのコメント

才木広之
2009年08月16日 22:52
それには、象を納得させる条件が必要ということですね。
慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想がんばります。

才木広之
2009年08月16日 23:37
真実に気づくことこそ最重要課題です。

あんまりたとえを使いたくございませんが、凡人の私のことばです

例えば牢屋に入れられます。すると明日遊びに行きたいとか、女の子に会いたいとかは出来ない事を、とりあえず、認めざるをえません。

そのように事実を観てしまえば、はっきり言って苦しいですが認めざるを得ません。
自分の事実の心が生きとし生けるものが幸せでありますようにとなっている事に気づいてしまえば、あらゆる事象をありのままに見られます。

しかし妄想で見ている場合は、理性というもので押さえつけるより仕方ございません。しかしいつ逃げ出すか分ったものではないのです。

本当は、牢屋の中も、外も同じことなのです。牢屋の外にいても悪い事をした人は、その事実から逃れられないし、牢屋の中にいても悪いことをしてなければその事実からは逃れられないのです。

話はそれましたが。事実からは逃れられないので、妄想でダンマパダを読んでも仕方がないということを伝えたかったのです。

どう考えたってこの文からは、どうしたら象使いが狂暴になった象を従わせれるか、その事に興味を持ってほしいという意図でしょう。皆様はどうしたら凶暴になった象を従わせれるとせれると思いますか。棒でたたいて従いますか。機嫌を取ったら従いますか。食べ物をあげたら従いますか。それでは、またいつ凶暴に暴れだすか分りませんよ。そこの事を考えてほしいんじゃないですかブッダは。ブッダは自分で考えてほしいと思っておられるんじゃないですか。


才木広之
2009年08月16日 23:42
その答えをとりあえず自分でこの頭で考えてみる。どうしても分からなければ、他の章から探す。

ワンギーサ師のお考えは以上のような事柄と受け取りました。

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之
2009年08月16日 23:50
いっぱい書いてごめんね

スマナサーラ大長老に敬礼いたします。慈悲の冥想をすれば人格が向上する、理にかなった御言葉と気づき慈悲の心を感じました。
生きとし生けるものが幸せでありますようにで、もう人間関係とか、だれがどうとか、ぐだぐだは無くなります。他のせいにできなくなります。だから苦しいですが、幸福で満足です。スマナサーラ大長老の御身足に敬礼いたします
才木広之
2009年08月17日 00:10
逃げようとしない自分を作っておいて(慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想)

事実を突き付ける

生きとし生けるものが幸せでありますように。この心にどこか逃げ道が有りますか。自我も他も無いですよ。どこに逃げるのですか。

どうしたら象使いが狂暴になった象を従わせれるか

さーみんなで答えにたどりつけるよう意見を出し合いましょう
才木広之
2009年08月17日 00:24
凡人の私から発表です

まず象が逃げ出さないようにすることが先決だと思います。凶暴らしいからまず自分の事を信頼してもらう為象の事を事を自分の事のように一生懸命になる。その自分が頼りないと今度は従ってくれないから。この人間は尊敬できると、信頼できると思ってもらえるようしっかりする。そしてこの人間について行っても大丈夫ではないかと、悪いようにはされないんではないかと思わせる。その人間の先生はブッダ。だから殺生はしないから象も安心なんてね。チャンチャン。
2009年08月17日 04:46
ワンギーサさん、おはようございます。金メダリスト荒川静香さんの凱旋ショーを有明コロシアムで観た時は感動しました。長老が彼女をとても高く評価していることを知り嬉しくなりました。超一流の選手には極めて冷静なところがあります。「双葉の前に双葉なし、双葉の後に双葉なし」69連勝の大記録を樹立した昭和の横綱双葉山は、究極の名力士と言われてます。日本相撲教会編のビデオでお弟子さんの元大関豊山の話がとても印象的でした。「師匠が言うには、自分が自分に負けてどうする!そのために精進しなさい。君は才能でここまでなったが、まだ2年や3年の君に一体相撲の何がわかる。僕にだってまだまだ勉強すべきことがたくさんあるんだよ」というような内容でした。やはり違うなと思いました。はっきり言って、欲や怒りである程度いける面があるからこそ、その愚かしさに気づかないのでしょう。受験勉強など。しかし、感情で生きることは自分の才能を萎縮させたり、大失敗に終わることは残念ながら事実です。自分の感情(主観)の通りには物事は動きませんから。それ故、感情(主観)を理性(客観)に変えるよう常に努力したいと思います。有難うございました。
2009年08月17日 05:11
日本相撲協会の誤字でした(^_^;)。
髙橋優太
2009年08月17日 10:15
ワンギーサ先生、新さん、才木広之さん、こんにちは。頑張ります。
2009年08月17日 11:30
荒川静香さんについて、印象的なのは、トリノでほかの選手たちが、難易度の高い技に挑戦して失敗し得点を下げている中で、荒川さんは、ふだんよりもほんの少し難易度を下げた演技をして、失敗せず、まずまずの点数をとって、金メダルをとったということです。他者よりも高得点をとらなければ、金メダルをとれないという時に、そういう冷静な判断ができるというのは、まさにクールビューティー。私も、悟りを得るという結果を焦りすぎて、無理な瞑想修行などをしてやる気を失ってしまいがちなので、荒川さんの理性的な態度というのは、お手本にいたしたいと思いました。
林田明大
2009年08月20日 01:23
 久々に、コメントさせて頂きます。
 拙著『真説「陽明学」入門』でも主張させて頂いたのですが、感情の反対側に理性を置くという二元論では、誤解が生じるのではと、その点が気になりました。感情より、理性が勝るという西洋の価値観は、すでにゲーテもその誤りを指摘していますし、昨今の心理学しかりです。もちろん、おっしゃりたいことは通じております。
 私でしたら、「我にしたがえ」の我は、「高次の我(高次の自我)」とするところです(笑)。頑張りません(笑)。
才木広之
2009年08月20日 22:03
頑張りません。すばらしいです。頑張りましょう、では頑張りますでは駄目な訳ですね。

本当にすばらしい。

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之
2009年08月20日 22:10
高橋さんは頑張ってみて下さいね。そのあと必ず何か発見できます。またね
身の丈修行者
2015年06月09日 07:25
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「感情のままに生きる人々・・人間関係の問題も多く・・生き難く、幸福とはいえなくなります・・感情のままに生きてはいけないとこれらの人々は気づくのです」心に響きます。
感情のままに生きると、社会適応外になりかねないですよね。戒めたいです。

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