不放逸で自分の心よく守れ心の沼から抜け出すように(327)

ダンマパダ 第23章 象 327

不放逸を楽しめ
自分の心を守れ
難所から自分を引き上げよ
泥沼に沈んだ象のように


○この詩から学ぶこと

 この詩のできた因縁物語については、前回の「この詩から学ぶこと」に書きました。いい話なので是非お読み下さい。ここでは、それとは別にこの詩について考えて見ましょう。

 はじめの言葉「不放逸」(アッパマーダ)は仏教の最重要なキーワードの一つです。釈尊の最後の言葉なのです。「怠けないこと」と訳されることもありますが、「気づきを怠らないこと」です。八正道で言えば、正念のことです。この詩では不放逸を楽しめと述べています。不放逸を実践するはかなり困難な課題なのです。ですから、不放逸を楽しむという心境でなければ続けられないのです。

 不放逸つまり気づきを怠らないことによってのみ、自分の心を守れるのです。自分の心を守るということは、心に欲、怒り、無知などの煩悩で汚されないようにすることです。心が汚れないようにするためには、感覚の制御が必要です。心は感覚によって汚れるからです。これは、見ない、聞かないということではありません。見ても、聞いての欲や怒りが起こらないようにすることです。

 この詩では、煩悩を泥沼にたとえ、心を象にたとえています。泥沼から象が抜け出すように、煩悩から心が抜け出るようにと歌っているのです。そのためには「不放逸」(気づきを怠らないこと)が必要なのです。これはすなわち、正念の実践であり、ヴィパッサナー瞑想の実践です。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_10.html
 気付きを楽しみ心を守れ 執着捨てて解脱せよ

○この詩のパーリ語原文

327.
アッパマーダラター  ホータ
Appamādaratā      hotha,
不放逸を楽しむことで  あれ
サチッタマヌラッカタ
sacittamanurakkhatha;
自分の心を守れ
ドゥッガー ウッダラタッターナン
Duggā    uddharath'  attānaṃ,
難路から  引き上げよ 自分を
パンケー サンノーワ   クンジャロー
paṅke    sannova     kuñjaro.
汚泥に  沈んだ ように 象の

○不放逸で自分の心よく守れ心の沼から抜け出すように(327)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


 
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この記事へのコメント

宇宙物理学
2009年08月18日 02:10
素晴らしいお話ありがとうございます。
日常の瞑想を実践している間は間違った判断をすることが少なく、無駄なことをすることも少なく物事を短時間で成し遂げることができることを実感しております。

ただ、今日無断欠勤してしまったんですが、そのとき自分がなんでこんな仕事をしなくてはならないのかという強い怒りを感じたのにそれをほおっておいてしまったんですね。

反省しております・・・これからは気付きを常に保てるようにしたいと思います。
2009年08月18日 05:17
ワンギーサさん、おはようございます。一日中、気づきを持続させる。とても厳しいことですね。一日、一時間とか二時間とか決めて集中瞑想するのはそれはそれでいいとは思います。私個人の印象なのですが、例えば二時間だけ集中してやって、あとはごく普通に生活した場合、それは気分転換程度になりがちです。もちろん、やらないよりは遥かに良いのですが、それでよしとするかしないかでは雲泥の差があります。一日中、気づきを頑張ると、普段の生活で「自分が何に執着してるのか」がウンザリするほどわかります。負けて気づきをやめてしまうことももちろんあります。案外と意外なことにこだわっていたりすることに気づきます。二時間程度決めてやる場合、実は「仕事など」を最優先させて、「心」のことは二の次三の次、という場合が多いです。煩悩愛好家である「心」は気づきを持続させると「反乱」をおこしてきます(^_^;)。それにめげずに今日これから気づきを持続させてみます。有難うございました。
髙橋優太
2009年08月18日 11:06
ワンギーサ先生、皆様、こんにちは。
実践します。生きとし生けるものが幸せでありますように。
才木広之
2009年08月18日 12:44
ワンギーサ先生

こんにちは

かすかに記憶にあるとおり、幼き頃に必ず分かれ道が有りました。その時にどちらの道を行くか自分で選択しています。両親がどうだから、先生がどうだから、世の中がどうだからと、自分を曲げて道を踏み外してきました。そういった決断の前の心に戻ろうではないか。そして歩こうではないか、

生きとし生けるものが幸せでありますように
身の丈修行者
2015年06月10日 07:33
不放逸を身の丈ですが実践すると、思考が回転し煩悩が・・の状態が減るのを感じています。思考が・・になってしまうと時間・労力を浪費する印象を感じています。
不放逸を精進し、それが出来る時の方が多くなるようにしたいです。

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